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第2話

「流生君って話しかけると挙動不審だし、顔は綺麗だけど危ないよね」 「あー、わかる。すごく、いや、かなり残念な美人って感じ」  高校生の頃、放課後の教室に忘れ物を取りに帰ると聞こえてきた会話。あのクラスメイトとは仲が良かったわけじゃないけれど、こんな風に言われているなんて思わなかった。  反射的に唇を噛み締めていて、気付かれないように静かに教室から離れる。  虐められているわけではないけれどいつも一人で、高校では上手くやれていたつもりだったけれど違っていた。  一人が好きで口下手で、趣味は蟻の飼育。趣味なんて人それぞれのはずなのに、知った人の大半は離れて行く。勝手に擦り寄ってきて、華やかな見た目と中身のギャップに顔を引き攣らせて離れて行くのだ。 「…、僕だって、好きでこんな見た目なわけじゃないのに」  贅沢な悩みかも知れないけれど、最終的に悪目立ちさせるような、この容姿がコンプレックスで大嫌いだった。  家に帰る気にもなれなくて、通学路途中にある橋の上から川を見ていた時、強い力で腕を掴まれ後ろに引っ張られた。 「何があったのかはわかりませんが、まだその時ではありません」  黒髪でスーツを着た眼鏡の男に真っ直ぐに見つめられて、諭すようにそう言われた。  竹内との出会いだった。  別に飛び降りてやろうとか、そんな不穏な事は考えていなかったつもりだけれど、何を思って見ていたのかと訊かれたら。きっと答えられなかったと思う。 「学生ですよね?」 「…、はい」  質問をされてもそれに返答するだけで精一杯で、話を広げるなんて出来ない。初対面というのもあり、大人を感じさせる物腰の竹内がなぜか怖くて、アスファルトと綺麗に磨かれた竹内の靴をずっと見ていた。 「すみません、怪しいですよね。私、竹内と申します。芸能プロダクションのマネージャーをしております」 「ぁ、…、僕は、草薙と、申します」  竹内に名刺を差し出されながら爽やかに微笑まれ、この肌で感じる人の好さが余計に不安感を捲し立てる様で後退ってしまった。  酷く緊張していて、どうやって喫茶店に行って何を話したのか殆ど記憶がない。  けれど、趣味の話をしていて興味を示してくれたのが嬉しかった事は覚えている。 「蟻の飼育をしてるんですか。生態を研究するとか、そういう道に進まれるんですか?」 「えっ⁉ …、そ、そういう訳ではないのですが、見ていると、癒されるっていうか」  竹内は興味深そうに相槌を打ちながら話を聞いてくれて、少しだけ流生が笑ってみせると心配そうに眉を寄せ訊いてきた。 「何か、悩みでも? お節介だとは思うのですが、見てしまった以上は見過ごせません」  きっと勘違いされている。そう思ったけれど、今更違うなんて言ったらと想像すると怒られそうで、思いつく悩みを打ち明けた。  容姿の話をすると竹内は目を丸くして、信じられないという顔をした。  けれど、流生が本気で言っているとわかると真摯な表情へと一変し、少し迷っている様な仕草をした後にスカウトされた。  人前に出るなんて拷問にも等しい認識があったから、間髪入れずに首を横に振った。  根暗で面白い話の一つも出来ない自分に優しい言葉を掛けてくれたこの人も、結局は容姿目当てで近付いてきただけなんだと視線が落ちる。 「すみません。草薙君みたいな子が、まさか容姿で悩んでいるとは思わなくて…、勿体ないなって思ったら、口から出ていました」  目の前の竹内が深々と頭を下げ、その勢いでグラスが倒れた。水滴が一周していただけのグラスだったから被害は無し。  二人で顔を見合わせると、どちらからともなく笑みが零れた。  この日を境に、スカウトとは関係なく竹内と会って一緒にいる時間が増えた。  今思えば初恋だったのかも知れない。  竹内がマネージャーになってくれて、ずっと傍にいてくれるのならと、スカウトを受けた事を今でもよく覚えている。  いつしか心の支えが竹内になっていて、大きい仕事が入ってきた頃、竹内はずっと付き合っていた女性と結婚をした。  すごく悲しかったけれど、自分でも驚く程すんなりと受け入れる事が出来て、笑顔で「おめでとう」を言うと竹内は笑ってくれた。  胸が締め付けられて、鼻の奥がツンと痛んだけれど、それでも笑えるまでに演技が上達している事を自覚したのもこの時だった。 「流生君、話を始めても良いですか?」  上の空でいた流生のもとに竹内の温和な声が降ってきて、思わず肩が跳ねてしまう。 「ご、ごめんなさい。お願いします」  早くなった鼓動を落ち着けようと密かに深呼吸をし、口元の強張りを少しだけ感じながら笑顔を努めて返した。  竹内の眉間には皺が刻まれていて、表情も曇っている。良い話では無い事位は察していたが、流生が思うより深刻な内容なのかと勘繰ってしまい息を呑んだ。  竹内が小さく唸り、目が合う。  流生の不安が竹内に伝わってしまったようで、お互いに苦笑いを浮かべた。 「それでは、…、お話いたします」  覚悟を決めたように竹内が重い口を開き、その内容に血の気が引いて行くのを感じた。 「え、…、コ、コラボって、ぼ、…僕、…その人と、一ヵ月も一緒の部屋に、居ないといけないんですか…?」 竹内が話してくれた内容はこうだった。  ルキと並び人気急上昇中の肉体派犬系男子である水野慎一郎(みずの しんいちろう)と、ルキのコラボ企画で写真集を出す事が決定している。  写真集の舞台は海で、友達以上恋人未満がテーマ。その海を一望できる場所に建つ某高級ホテルのツーベッドルームスイートにその爽やか男子と一ヶ月間同居。部屋は既に決まっており、某高級ホテルのタイアップも兼ねているらしく変更はない。  かつ二人が見せるプライベートの顔もファンサービスとしては必須である為、通常の撮影の他にも仲良くなった二人が自主的に撮った体の自撮り企画も採用されている。  さらに一ヵ月のうちのどこかで一日だけではあるが、ルキ、水野のファンクラブで当選した各五名とランチをする日もあるらしい。 「も、問答無用過ぎる…」 「今回の写真集はコラボという事で、かなり力が入っている様です」  流生が唖然としながら呟くと、竹内が溜息交じりに付け足してきた。 一ヵ月もの間、二十四時間人の目を気にしながら生活をしないといけないのかと思うと眩暈がしそうだった。 胃が、…、胃が痛い。 そんな事を思いながら流生が腹部を擦っていると、追い打ちが来る事を予測させる竹内からの謝罪が耳に届き、身体が震えた。 「実は、その水野さんと明日、顔合わせが入ってしまいました…。今日の撮影後にと言われ、そこはお断りしたのですが、…申し訳ありません。せめて明後日に出来たら良かったのですが」 「ぁ…、い、いえ、大丈夫です。今日だったら、大変だなって思いましたけど、…そうじゃないだけで、僕は、嬉しいです」  肩を落とし暗雲を背負っている竹内に、これ以上謝罪を繰り返させたくない。その一心で大袈裟に見えない程度の笑顔で応えるが、内心穏やかではいられなかった。  というのも、明日は久しぶりに丸一日フリーという貴重な日で、唯一の趣味である蟻の観察に時間を費やせると思っていた。  蟻達の好きな桃も明日には届く予定だったのに、何時に帰れるのかもわからない。  休みの日を有意義に過ごそうと意気込んでいた分、その計画がガラガラと音を立てて崩れていく衝撃は大きかった。 膝から崩れ落ちそうな話ではあるけれど、明日も竹内と会えるのなら、まぁいいかと思う自分もいて、口元の緩みを感じた。  休みが無くなった事自体は、憂鬱なようでそうでも無い。  ただ、一ヶ月間も知らない人と過ごす事だけは、どうにも苦痛で仕方が無かった。  リビングで水野対策の資料を捲り、人への興味のなさからの欠伸を噛み締める。  こうやって仕事の資料を見ている時は睡魔がすぐそこにいるのに、それが終わった途端に目が冴えてしまうのは何故なのか。  やっと眠れたと思った傍から目覚ましのアラームが鳴り響き、夜の短さと朝までのあっと言う間な体感に弱々しく長い息を吐く。 「…、初対面の人って、苦手だなぁ」  ただでさえ人付き合いが苦手なのに、初対面での顔合わせだ。  胃が、すでに気持ち悪い。  もう一度重々しい溜息を吐くとベッドから這い出て、腹部を擦りながら支度に取り掛かる。もともと機敏な方では無いけれど、ギリギリまで寝ていたいが為に、出かける支度だけは素早くできるようになっていた。  念の為の帽子とマスク、地味な私服で玄関の外に出てタクシーに乗る。よく見ればルキだがオーラが皆無なせいか、マンションの住民にもタクシー運転手にも、ルキかと声を掛けられた事は一度もない。  良いのか悪いのかはわからないけれど、それでも部屋から一歩外に出てしまったら自分はルキであって流生ではない。だから大欠伸は厳禁で、歯を食いしばりながら、窓の外を流れる景色を眺めている振りをして待ち合わせ場所を目指した。  ホテルのレストランで水野と顔合わせという事だったが、到着するや否やエントランスで待機していた竹内に、予約してあったという一室に通される。  何事かという疑問はあったが、竹内のする事に意味がないわけが無い。そう確信して付いて行くと、部屋には流生が予想していなかった人物が待機していた。 「ルキ君、お肌が少し、荒れ気味?」 「わかりますか? 今日三ヵ月ぶりのオフだったのに急に予定入ってしまいまして、悲しすぎて眠れなかったんですよねぇ」 「あれー? ルキ君ってそんな繊細な子だったっけ? 本当は、…、寝かせてもらえなかっただけの間違いじゃないのー?」 「雪田さんって、私の事そういう風に見てたんですかぁ? 寝かせてもらえないとか、…何をしていてなのか詳しく聞かせてもらいたいんですけどぉ」  いつも穏やかで冗談が好きな雪田はルキの専属ヘアメイクを担当していて、お洒落な帽子がトレードマーク。  メイクやヘアセットに関しては妥協を許さない細かい雪田だが、それ以外の事は大雑把で引き際も良い。竹内とはタイプは違えど色々と大人で、一緒にいて気疲れを感じない貴重な人だ。  そんな雪田とふざけ半分のお喋りをしながら、和やかな雰囲気の中、ルキのメイクとヘアセットを仕上げてもらっていた。  普段よりもナチュラルなヘアメイクで、用意されていた鎖骨が見える程度に開いた青いシャツと、黒のパンツに着替えさせられる。  流生が着てきた私服では、ルキのプライベート感が足らないと竹内にやんわり言われたが、足りないどころかゼロだったのだろうと予想できる。  全く流行を意識していない無地のティーシャツにジーンズ、スニーカーを華やかなイメージのルキが着ている姿は想像できない。もしかして、今まで誰にも気づかれなかったのは、この私服のせいでは? と痛感した。 「水野さんとマネージャーがいらっしゃいますので、あくまで、プライベートな雰囲気でお願いします。その服装も普段着という事になっておりますので、メイクもそれに合わせて控えめにと雪田さんにお願いしました」 「ルキ君、今日も綺麗。頑張ってね」 「雪田さん、ありがとうございましたぁ」  雪田はそう言うと「またね」と片手を振りメイクボックスを持って部屋を出て行く。  ルキがここまで露骨にキャラ設定をされた作り物であると雪田は知っているのかいないのか、それともこの業界ではよくある話で特に気にしていないのか。  そんな風に考え始めると妙に気になってしまう事ではあるが、今はその時ではないと我に返った。 「ぁ…、はい、わかりました。その設定で、頑張ってみます」  気を取り直して返事をすると竹内が目を細めて微笑んでくれて、徐に伸ばされた手指が頬にかかる髪に触れる。 「大丈夫。流生君ならやれますよ」  この一言だけで全て上手くいく気がしてしまう自分は、とてもチョロい。  でも、チョロい存在だとわかっていても、竹内の一言で一喜一憂してしまう自分の気持ちは抑えられなかった。  それに竹内が全て予測済だったのだと思うと胸が熱くなり、顔の火照りを感じずにはいられない。竹内の完璧なフォローを無駄には出来ないと意気込むと、緊張から手に汗を握っていた。  水野と顔合わせ予定のレストランの個室に流生と竹内の二人で向かい、少しだけ早い到着時刻に長い息を吐いた。  流生はテーブルにつかされ、その隣に竹内が立っている。  何度も水の入ったグラスを口に運んでいると、竹内の手が肩に置かれ、笑みを含んだ声で励ましと、アドバイスが降ってきた。 「…、いつも通りに振る舞っていれば問題ないと思います。ですが、細かい仕草などは気を付けてください」 「はい、気を付けます」  何故ここまで慎重になっているのかというと、水野がルキの大ファンであるらしいからだ。それもかなり熱烈だという。  ルキ本人である流生以上に、ルキを知り尽くしている可能性が十分にある。その為、絶対にボロを出すなと、社長からも釘を刺されていた。  緊張で、トイレに行きたくなってきた…。ここに来るまでに二回も寄ったというのに、またトイレが恋しくなってくる。  だが、手の内にあるスマートフォンのディスプレイを一瞥すると、数字が待ち合わせ時間まであと少しだと告げていた。  ソワソワして落ち着かず、つい竹内を見上げると、「大丈夫」励まされる。  竹内さんがこう言っているんだから、大丈夫に決まってる。  そう心の中で復唱し、深呼吸を繰り返しているとドアがノックされた。 ついに来てしまった。  頭の中が真っ白になる感覚がして、そのすぐ後に昨夜読んだ水野の情報が脳裏を埋め尽くす。  水野は公私ともにかなりの好青年。筋トレが好きで、酒も煙草もやらない健康志向。ベータで異性愛者、時々女性との熱愛報道で一面を飾っていたが、現在は落ち着いているらしい。あと、ルキが大好き。  運動が好きそうなイメージで、それだけで苦手視してしまう。  けれど、ルキならきっと上手くやれるはずだと、ルキへと変わるスイッチを入れた

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