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第5話

 竹内と岩田を含めた四人で、ホテル内のレストランにでも行くのかと思っていたけれど、レストラン自体は流石に営業していないらしく、外食かデリバリーの二択となり今回はルキと水野の部屋での食事となった。 「ごめんねぇ、我儘言って」 「全然、平気。俺は肉が食べられれば、場所なんてどこでも良いんで」 「そうですよ、慎一郎君はルキさんを見ながら肉が食べられたらそれがベストですから」 「ちょっ…、岩田さん‼」  外食なんてしたら、それこそ人目が気になって落ち着けない。部屋で食事をするにしても水野と岩田がいる以上落ち着けはしないけれど、どっちがマシかといったら後者で、適当な理由をつけてデリバリーにして貰った。  水野の好青年っぷりは本物で、ムードメーカー的な雰囲気にも好感が持てて、水野と岩田のやり取りが余計に微笑ましい。  流生もその場の空気に合わせ、岩田と一緒になって水野を茶化していると、竹内が美味しそうな匂いのする紙袋を両手に下げて戻って来た。  水野所望の肉料理をメインに、サラダや果物がテーブルに所狭しと並んで色鮮やかだ。  流生の隣には当たり前の様に竹内が座り、相向かいには水野と岩田が座る。  竹内は普段からとても面倒見が良くて、今回も流生の苦手な物を避けて料理を取り分けてくれたりと、至れり尽くせりだった。  指先が触れ合うだけで頬が緩みそうになって、少しの切なさを感じて唇を結ぶ。 「ありがとうございますぅ」  気持ちを押し殺してルキを演じ、弾んだ声で礼を言うと優しい笑みが返ってきた。 「飲み物は大丈夫ですか?」 「大丈夫ですっ。私の事より、竹内さんもちゃんと食べてくださいねぇ」  竹内に返答しながら肩に寄り掛かって、上目遣いに笑って見せる。返事の代わりに柔和な笑みで頷かれると、生きていて良かったとさえ思えてくる。至福だった。 「うちも仲が良いってよく言われますけど、ルキさんと竹内さんも仲良いですよね」  岩田の声にふと我に返り、以前に広報担当から少しだけ自重して欲しいと指摘を受けた事を思い出した。  流生は人付き合い全般が苦手で、ルキになりきり過ぎて時に暴走してしまう。それ故に竹内への好意が駄々洩れなのだ。 また、やってしまった…。  冷静になった途端、流生が表に出そうになる。背中に汗が滲む程後悔しても今更で、甘えた表情をなんとか保ちながら、竹内にだけは何故か伝わる「助けて」を目で送った。 「…、そうですね。こんな事を言うとマネージャー失格と思われそうですが、私はルキ君が可愛いんです。弟につい世話を焼いてしまう、兄の心境というやつでしょうか」 「わかります! 俺も慎一郎君が弟みたいに可愛くて、つい揶揄っちゃうんですよね」  アイコンタクトで言いたい事が伝わるなんて、とても素敵な事だ。察してくれた竹内が柔和な表情を崩す事無くしみじみと言い、岩田も流生と竹内の距離感に言及する事はなく同意をすると隣に座る水野の頭を撫でた。 「い、岩田さん、子供扱いしないで下さい」 「ごめんねー。でも、慎一郎君は揶揄うと面白いから」  満更でもなさそうな顔をして抗議する水野と、口角の上がりきった岩田が目の前でじゃれ合っている。羨ましさ半分で竹内に笑いかけようと顔を向けると、竹内の薬指に光る指輪が目に留まり視線を戻す。  この指輪と対になる指輪を持っている人はもう、この世にはいない。それでも、竹内の指輪が外されていた事なんて一度もない。自分の入る隙なんてこれっぽっちも無い証拠だと頭ではわかっているのに、「弟みたい」だと言われた事に胸が痛んだ。  表情筋が急に重くなったような感覚がして、でも、もうボロを出したくなくてソーダ水に手を伸ばした。  口内に広がるシュワシュワとした炭酸で気を紛らわしていると、何やら射貫かれる様な鋭い視線を感じた。例えるなら肉食動物に捕食すると宣言された小鹿の気分で、視線の方を見る事も出来ないし、身動きが取れない。  やっぱり、海辺は、…何か出るのか?  背筋がゾクゾクと粟立ち、グラスいっぱいに注がれていたソーダ水の底が見え始める。 「ルキ君、おかわりは?」 「ぁ、はい。ありがとうございます…ぅ」  竹内の声にハッとしてストローから口を離し、流生に戻りそうだった口調を慌てて直すと竹内が笑いながら顔を寄せてきた。 「大丈夫です。…今は、私と流生君だけですから」 「え? そ、そうなのですか?」  竹内に言われてやっと気が付いたけれど、確かに水野と岩田の姿が無い。  それに、あの強い視線もいつの間にか消え去っていた。  鼓動は煩いままで、何だったのだろうとわけもわからず辺りを見渡していると、岩田だけがリビングへと戻って来る姿が目に入り視線を向ける。 「水野君は大丈夫ですか?」  流生の気持ちを代弁するかのように竹内が岩田に訊ねると、岩田の顔が一瞬だけだが顰められた様に見えた、…気がした。 だがすぐに朗らかな岩田に戻り、大袈裟に見える位に眉を八の字にする。 「すみません。慎一郎君はちょっと野暮用を思い出したらしくて、席を外しました」 「そうですか、体調不良で無いのなら良かったです」  竹内も岩田の顔色が変わった事に気付かないはずは無いのだろうが、詮索する事無く食事の続きを始めていた。  こういう業界だから深追いは禁物。暗黙の了解なのだと流生も察し、もう岩田の前でやってしまったのだからと半ば開き直って竹内の肩に頭を乗せた。  今はルキだから、少し位許して欲しい。  顔が僅かに熱いのは完全にルキを演じ切れていない証拠だけれど、きっと許容範囲だと自分に言い訳をして笑顔を作る。 「竹内さん、そろそろデザート食べても良いですかぁ?」  結局デザートを食べ終えてから三十分経っても水野は姿を見せず、そのまま解散となりだだっ広い部屋に流生一人となった。  一人最高…。  リビングのソファに浅く座り、両手を投げ出して背凭れに寄り掛かる。  深く吐いた息が歓喜に震え、つい薄目になってしまう程に気分が良い。  大きな口で欠伸をして、ソファからずり落ちそうになって一人で笑う。ルキとしては完全にNGな動作を繰り返しながら、水野がいつ戻って来るのかわからないスリルで流生のテンションは上々だった。  最高、気が楽、ずっとこれが良い…。  そんな事を思いながら少し顔を傾けると、水野のプライベート空間であるキングサイズのベッドが視界に入る。  片付けは苦手なのだろうか。ベッドの上には水野の荷物が無造作に広げられていた。  一人は好きだけれど暇すぎる。贅沢すぎる悩みは水野への好奇心に変わり、気配を気にしながらベッドへと近づいてみる。  荷物の中にはプロテインと青汁らしいパッケージが含まれていて、資料にあった通りだと感動してしまい、思わず笑みが漏れた。 他にも何か面白い物はあるかなと視線だけで覗いていると、スマートフォンが視界に入り違和感を覚える。  岩田が野暮用と言っていた位だから、食事中にスマートフォンに連絡でもあって席を立ったのかと、勝手に思い込んでいたけれど違ったのだろうか。  隠し事…? スマホ二台持ち?  束の間無粋な想像をしてしまったが、結局想像の枠を出る事は無く、最終的にはどうでも良い事だと興味が薄れた事を自覚し、自分の寝室へと戻る事にした。  一日の終わりに一人の時間が持てた事は不幸中の幸いだった。勢い良く倒れ込むようにしてベッドに横になり、視線を定めずに天井を見上げて一息つく。 「今日は何にもしてないのに、…疲れ、た」  気疲れのせいか瞼が重くなり、呟いた言葉尻が途絶えると、意識が飛んだ。  どの位眠っていたのだろうか。すぐ近くで雨音がして、窓を閉めたかという不安に駆られて、一気に覚醒し目を見開く。  辺りは薄暗くて、それが不安を煽ってくるようだった。 「エスメラルダッ‼」  勢いよく飛び起きて、訳もわからない喪失感で大事な家族の名前を呼んでいた。  数秒後、ベッドの感触、匂い、景色の全てが自宅とは違う事に気が付く。ここがホテルだと認識した途端血の気が引き、口元を手で覆うと耳を澄まして、瞳だけで周囲を探る。  大丈夫。水野君は…、いない。  安堵と共に息を吐き、足元に視線が自然と流れると、一つの違和感に気が付いた。  寝落ち同然だったから、何もかけていないはずだったと思う。  それなのに、薄手の掛布団によって流生の脚は覆われていたのだ。 「…、やっぱり、何か、いる?」  思わず呟いてしまったのは、食事中に感じた鋭い視線を思い出したからだ。  鼓動は速くなる一方で、胸の前でシャツを握り締めながら窓の方へと顔を向ける。  何か見てしまったらどうしよう。そんな風に思いながら様子を窺うが、窓が開いている様子は無かった。カーテンは揺れてもいないし、観葉植物の葉も、空気も止まっていた。  だったらこの雨音は何だ? 戦慄しながら彷徨う視線を戻し、視界の端にある柔らかな光の方へと顔を向ける。 「っ、へ、…、ぁああ?」  瞳に映る光景に、間の抜けた声が口から飛びだした。  雨音の正体は判明したが、それはとても凝視して良いものでは無い。すぐに顔を背け、部屋の構造を脳裏で描きながら横になると、浴室に背を向けて寝たふりをする事にした。  流生が雨音だと錯覚していたのはシャワーがガラスに当たる音で、今も止めどなく続いている。  深呼吸をして目をきつく閉じ、見なかった事にしたくて他の事を考えようと試みるが無駄だった。むしろ目を閉じた事で余計に見えなかった水野の身体の隅々までを想像してしまい、眉間に皺が刻まれる。逆効果だ。  水野君はいつ帰ってきたんだろう。  何の心の準備も出来ていないまま、水野の裸体を不意打ちで見てしまった。  ガラス越しで曇っていたからこそ細部までは見えていないけれど、大まかな姿は写真の様に脳裏に焼き付いている。  均整の取れた男らしい肉体に滴る雫がスローモーションとなって落ち、水野が気持ち良さそうに目を閉じている横顔。  資料で見た画像なんて比べ物にならない位の色気を感じ、思わず生唾を呑んだ。  水野の大きな手が女性の腰に触れ、目を細める水野はとても満足そうで、薄く開いた唇が愛を囁く。飛躍した想像にすぐに我に返るが、すでに熱く火照った身体と煩い鼓動は治まってはくれず興奮は覚めない。  冷めるどころか水音が耳に届く度に淫らな思考は加速してしまい、水野の手指が自分の頬に触れ、抉じ開けられた唇から指を捻じ込まれる妄想が始まった。  唾液まみれの水野の指に口内を弄られ、敏感な部分に触れて欲しくて呼吸が荒くなる。  こんな妄想、いつもなら絶対にしない。  足元にある布団を引っ張り上げると頭まで被り、湧き上がってくる性的な衝動を閉じ込めようと深呼吸を繰り返した。  普段の流生は特定の相手がいないというのもあるがほぼ無欲で、エッチな画像を目の当たりにしても赤面して終わり。鼓動が速くなって感嘆の声を洩らす事はあっても、そこからどうこうする事も無く興味が逸れる。  だがオメガである以上ヒートは避けられない問題で、ヒート間近の流生は性的興奮が高まりやすく、射精をしたい、中で熱を感じたいという欲求が前面に押し出てしまい、自分ではどうにも制御する事ができないのだ。  耳を塞いでも水音をシャットアウトする事なんて出来なくて、水野を相手にした妄想は止まらない。  疼く下半身と昂る下腹部を抑えたくて身体を丸めるが、無駄な足掻きだった。 「…っ、痛ぁ…、うっ、ぁあ…っ」  流生の額に薄らと嫌な汗が浮かび、苦痛が滲み出る。  痛みの原因はわかっていて、無意識に下腹部へと手が伸びていた。  震える指先に硬い物が触れる。布越しに振れたソレはメタルフレームの貞操帯で、陰茎部分全体が通気性の良い形状の金属で覆われている。尿道口の隙間から排尿行為はできる仕様になってはいるが、直接性器に触れる事や勃起は制限されるという仕組みだ。  この貞操帯がある限り流生に自由は無く、自慰行為は勿論、人前で薄着になる事だって躊躇われるし、全裸なんて以ての外だった。  こんな物が流生の下腹部にある事を誰にも知られたくない。その一心でバスルームに近いベッドを選んだのだ。  惨めさと痛みで溢れた涙が頬を伝い、シーツを濡らす。痛みで萎えた流生の性器は貞操帯の締め付けからやっと解放されたが、いつ次の波がくるのかと思うと怖くて堪らない。 明日からは抑制剤を多めに飲んで、ルキになりきる事だけに集中して、香水もこまめに付けなくてはいけない。 静けさを取り戻した周囲が雨の後の晴れ間を想像させ、ほっと安堵の息を吐いた。

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