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第8話

メイクと撮影用の衣装に着替えてバーのある最上階へと向かった。  本日の撮影は場所がバーという事で、少しだけアダルトな雰囲気がテーマだという。  シックで重厚感のあるそこは自然と背筋が伸びる様な雰囲気で、バーに踏み入れた経験なんて無い流生には敷居が高い。  バーカウンターの向こう側にはカラフルで見た事も聞いた事もない酒瓶がたくさん並んでいて、物珍しさから挙動が怪しくなりかけると竹内に名前を呼ばれハッとした。  ただでさえ目を引く格好をしているのだから、少しの油断が致命傷になる。視線に慣れ過ぎてしまって気にも留めていなかったが、気付けばスタッフ達の視線が自分に集中していた。  無駄な装飾のないシンプルでタイトなドレスは鮮やかな深く鮮やかな紅色で、身体のラインにフィットした深いスリットからは細すぎない太腿が覗いている。  勿論インナーとして薄手のショートパンツを着用してはいるが、それも注視しない限りは気付かない位薄い素材でできていた。  平静を装い、ルキらしく凛とした佇まいを意識してカメラマンをはじめとするスタッフに愛想良く挨拶をしていく。  途中、首筋を触れられるような、前にも経験した事がある妙な感覚に襲われ、流生の手指が咄嗟にそこを隠すように覆った。  今の流生は髪をアップにしていて、普段隠れている項が露出している。擽る様な感覚がそこに移り、疑問がイコールに繋がる。  これって、もしかして…。  以前にリビングで感じた、あの射貫く様な視線に酷似していたのだ。  誰からともわからぬ熱心で強烈な視線。瞳だけでさり気無く周囲を窺うが、この場に社長は居ないし心当たりがまるでない。 やっぱり、このホテル何かいるのかな…。  人知れず身震いをすると、一体何なのか、それを気にする間もなく撮影が始まった。  カメラマンの声とシャッター音にだけ集中し、指示された通りの表情を作る。顎を上げ気味にして薄く唇を開いたり、目を細めて妖しげに微笑んだり。流生にとっては、ルキでいる間がずっと演技だ。だから、指示通りに動く事なんて容易い事だった。   ずっとこれで良いなら楽なのに。  そんな風に思いながら、小休止の為に用意された椅子へと足を向けると、タキシード姿の水野が駆け寄ってきた。  そういえば、バーに来てから水野を見たのは今が初めてかも知れない。 「水野君。あれ? 今来た感じぃ?」 「ぁ、…実は、スーツが少し、小さくて」  照れ笑いをする水野はバツが悪そうに岩田を見ていて、その姿が微笑ましい。 「食べ過ぎなんじゃないのぉ?」 「それは違う。筋肉です」  流生が思わず揶揄ってしまうと水野は一瞬目を逸らしかけたが、満面の笑顔で腕を曲げると二の腕を見せつけてきた。  そうこうしているうちにカメラマンの準備が整った様で、水野に声が掛かる。  元気良く返事をした水野がバーカウンターへと向かう足を止め、何を思ったか流生の所へと引き返してきて呟いた。 「ルキさん、すっごく綺麗だった。本当に」  水野はそれだけ言うとすぐに去っていき、流生は束の間呆気に取られてしまう。  流生の視界に映る水野の横顔は、目元が淡く赤に染まっていて、なんだか胸の奥からほのかに温かい気持ちが湧いてきていた。  竹内に褒められた時みたいな、そんな感覚に近くて、鼓動の高鳴りが心地良い。  ずっとこの感覚に浸っていたかったけれど現実に引き戻される。現場の空気が引き締まった感覚がして、水野の撮影が始まった。  流生の視界の端に映り込んだ岩田が、いつになく真剣な眼差しをして水野を見つめている。  気のせいかも知れないけれどそんな風に見えてしまい、僅かに緩んでいた唇を結び直すと流生もバーカウンターへと視線を向けた。  カウンターチェアに座る水野は堂々としていて姿勢も良く、スタイルの良さが際立って見えた。斜め下を向く横顔はどこか儚げで、改めて輪郭の綺麗さに気付かされてドキリとする程だ。  でも、水野君には岩田さんがいる。  どうしてこんなに水野の事が気になってしまうのだろう。水野の一挙一動を追ってしまい、目が離せなくて見つめてしまう。あわよくばこっちを見て欲しいなんて、念じてしまう程だ。  ヒートの影響なのか、水野のシャワーシーンを見てしまったせいなのか。それとも、ただの親近感を好きと勘違いしているのか。  …、え?  思考が停止し、自分が水野に恋愛感情を抱いているらしい事に驚愕して手に汗を握る。  僕は、水野君が好きなのか?  自分の事だというのに俄には信じ難く、脳裏で自問自答するが答えは返ってこない。  休憩中とはいえ撮影を見るのも仕事の一環で、学ぶ事は多い。それがわかっているくせに、何を下らない事を考えているのだと自分に呆れる反面、水野への好意を自覚して直ぐに感じた絶望に眩暈がして、溜息が零れた。  水野君には岩田さんがいるんだってば。 「ルキ君、気分でも悪いですか?」 「ううん、大丈夫ですぅ」  内側だけに留めなければいけないのに、つい溜息を吐いてしまい、ルキらしく無かったと反省しつつ竹内に笑顔を向ける。  竹内が流生を好きになってくれないのも、ルキみたいに明るくないから。  ネガティブ思考に拍車がかかり、そんな事まで考えてしまうが、本当はそうじゃない事位理解している。竹内は無くなった奥さんの事を今でも愛しているだけだ。  でも、水野君はルキが好きなだけで、本当の流生を知ったら…、幻滅すると思う。  這い上がれそうに無い気分で胸が苦しくなり、無意識に水野から視線を外していた。  視線を外した先に映る、味の想像はつかないけれど美味しそうなカクテルに目が留まった。縦長のグラスに透明な液体が注がれていて、緑の葉が捻じ込まれている。 「水野君、お酒NGだからなぁ」 「強そうに見えますけどね」 「ああ見えて下戸なんですよ。五リットル位余裕で飲みそうな見た目なのに」  岩田と竹内の内緒話が耳に入ってきて、思わず声に出して笑ってしまった。  水野の情報が一つ聞けただけで、地の底にあった気分が急上昇する。 この棚から牡丹餅の気分転換が功を奏し、その後の水野との絡み撮影は、思った以上にルキとして上手く振る舞えた気がする。  絶対に、ルキが流生である事を知られたくない。知られるわけにはいかない。  嫌われたくない…。  そんな思いが空回りして、嗜む程度に酒が好きなルキの設定を重視してしまい、撮影用に用意されていたカクテルに口を付けた。 喉を通る熱で、顔も身体も熱くなる。  一口飲んだだけで頬の火照りを感じるが、鏡に映る流生の見た目に変化は無い。スッキリしたミントの風味が雑念を振り払ってくれるようで、気分も良くバーを後にした。  部屋まで送ってくれた竹内と岩田が帰って行き、その数分後に水野は用事を思い出したと言って出て行ってしまった。  やっと一人になれた。そう思い一息ついた最中、喉元にせり上がってくる感覚を覚え反射的に口元を手で覆った。  少しだけ不快感のあった腹部が波打ち、次の瞬間には口元を両手で抑えたままトイレへと走っていた。  まさか、あの一口で…。  と驚愕してしまうが、目尻には涙が溜まっているし、二度も吐いて鼻を啜る有様。  水野が部屋にいない事が不幸中の幸いだ。  短く息を吐きながら指で涙を拭い、脚に力を入れると震え、口の中と腹部が気持ち悪くて床に座り込んでしまう。  気持ち悪い…。調子に乗った罰だ。  今までもルキとしてアルコールを口にする事は幾度となくあったが、こんな風に具合を悪くした事は無かった。  自分は酒に強いのかと錯覚していたが、ノンアルコールを用意されていたのだと今更気付いたが後の祭りだった。  冷たい床に足を投げ出し、透明な壁に凭れて息を吐く。吐き気が治まったのは良かったけれど、何だかとても心細い。  空回りした挙句にトイレに籠る事になるなんて、馬鹿みたい…。  鼻の奥がツンと痛んだかと思うと涙が頬を伝ってきて、両脚を引き寄せると膝を抱え込んだ。  竹内の顔が思い浮かんできて、少しの間の後に水野の顔が浮かび上がる。身の程知らずな胸の内が哀れに思え、深く息を吸うと重々しく息を吐きながら顔を膝に埋めた。  目を閉じていると落ち着く気がして、いつまでそうしていたのかは定かでは無いけれど、後頭部を優しく撫でる感覚に竹内の柔和な笑顔が思い浮かんでいた。 「竹内さん…、僕、もっと頑張ります」  蚊の鳴くような声で呟くと、優しかった手の動きがピタリと止まる。  途端に妙に悲しくなってしまって鼻を啜ると、広くて逞しい腕に抱き寄せられ、そこで感じた違和感に顔を上げると絶句してしまった。  煙草の匂いと、竹内らしからぬカジュアルな服装。流生を慰めていた人物が水野だったと知り、失言に続く失態で目を見開く。  だが、唖然として身体を硬直させている流生とは対照的に、水野は動じている様子は見られ無い。無言で膝の裏と背中に腕を回されて抱き上げられると、思考が停止している間に流生のスペースのベッドに運ばれていた。  ベッドの縁に座らせられ、放置された。  そう思っていたけれど、戻って来た水野の手にはミネラルウォーターのペットボトルが握られていて、キャップを回す仕草をすると流生に差し出してくる。 「大丈夫? 水分は取った方が良いよ」 「…、ありがとう」  水野の顔を見る勇気も無く、差し出されたペットボトルを見つめながら受け取った。  弁解をしなければと思うのに、礼を口にするだけで言葉に詰まってしまう。全身の血の気が引いているのは、アルコールのせいだけでは無いと理解した。  何も訊いてこない水野が何を考えているのかが解らなくて、顔も合わせられない。  この状況を立て直す術が思いつかず、ただ両手で握っていたペットボトルを見つめていると、視界の端にあった水野の足が動いた。 「…、脱水症状起こすとまずいから、ちゃんと飲んで。俺は、戻るから。…、おやすみ」  囁くような水野の声は酷く優しいのに、それにときめきも感じない程、心が疲弊していた。  嫌われたくない…。  明日からの事を考えると気が重く、メイクを落とす気力もゼロで、どうでも良くないのに、全部どうでも良い、そんな気分だった。

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