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第2話

2.  ――なにが、起こっている……? ちゅっ、と音を立てて離された唇は、幾分かの湿り気と熱を残していった。 「毎日のように、俺の身体を手入れしてくれていただろう。それはそれは、丁寧に」 「は……?」  呆けたままの俺の手をそいつは握ると、自分の口元へと|誘《いざな》い、手のひらに口付けを落とす。 「まるで愛撫の様に俺の事を撫でるこの手の感触、堪らなかった」 「……っ、……しゃ」 「ん……?」  どうにか絞り出した声を聞き取ろうとそいつが手を離し、顔をこちらに近付けた瞬間『パアンッッ』と森中にイイ音が響き、木々で羽根を休めていたであろう小鳥たちが一斉に青空へと羽ばたいて行った。 「近寄るなこの変質者!!」  震える手のひらが、そいつの頬に綺麗な赤い痕を付けた。 「……っ……愛剣に向かって随分なご挨拶だな、ロア」  引っぱたかれた頬を己の手で撫で、ソイツは怒るどころかクスクス笑いながら、真っ赤になって今にも泣き出しそうな俺を見つめている。  本当はもう1発、なんならグーで殴ってやりたい所だが、「愛剣」と言う言葉にハッとして慌てて荷台に駆け寄る。  扉を開けて中を確認するも、やはりそれらしき物はどこにも見当たらない。 「何処に行ったんだよ俺の、アーサー」  ある日突然着の身着のまま国から放り出された俺は、今までの思い出も、築き上げてきた物も、何一つ持つ事を許されなかった。  そんな中唯一手元にあった『アーサー・オブ・ダーク』さえも……遂に消えてなくなってしまった。  ――あぁ、全部無くなったんだ。俺、ほんとに独りになったんだ。  そう思った瞬間身体中の力が抜け、草の上に膝から崩れ落ちる。 「……仕方がない」  横からそんな声が聞こえ、そいつがパチンと指を鳴らすと。するとその場から男の姿が消え、代わりにこの世の至高と呼ばれていた大剣が唐突に姿を現す。 「…っっっ! アーサー!!」  震える膝をどうにか奮い立たせ、急いでその場へ駆け寄る。  柔らかい草の上に横たわるそれを、見間違うはずが無い。世界一美しい剣身を、肌が切れぬようしゃがんでそっと抱き締めた。  するとその瞬間……剣を抱き締めていたはずの腕は、何故か男を抱き締めていた。 「……はっ!? ま、さ、か」  嫌な予感が過ぎり、背中に一筋の汗が流れた。 「これで分かったか。俺は、お前が愛してやまないアーサーだ。信じてくれるな? 愛しいロアよ」  まるでしがみつくようにアーサーに抱き着いて固まる俺の身体を、ひと回り大きな身体が抱き締める。 「うそ、だろ」 「嘘じゃない。国を追い出される前の晩だって、俺の身体を愛撫してくれたろ?」 「いや、俺がしたのは日課の手入れで、誤解を招く言い方は如何なものかと」  混乱と気まずさでそっぽを向く顔は、顎を掴んだアーサーの手に寄って正面に戻される。 「この世の何よりも愛している、俺さえ居ればいいと言っていたのは嘘だった、と?」  ……色男の困り顔は、世界を制する。 「いえ、あの……それは、剣に対して言ったことであって、決して貴方様に言った訳では……」  背中に幾筋もの冷や汗が流れ、しどろもどろに目を泳がす俺の唇が、再び柔らかい物に塞がれる。 「……っっ!! ……っぅ、 ……」 また、キス……されてる!?  何度も角度を変えて重ねられる唇から逃げようと顔を話すも、いつの間にか後頭部を片手で掴まれていて身動きが取れない。流石に酸素を欲した唇が薄く開くと、その隙間からヌルッとした舌が侵入してくる。 「は、……ずっと、こうしたかった……ロア」 「……っんん! ちょ、な……に」  口内を這いずる舌が上顎をなぞると、途端に身体の力が抜ける。  ――なに、これ……擽ったいのに……きもち、い……  崩れそうになる身体は、腰に巻きついた腕によって支えられている。ザラザラした舌面を合わせ擦られると、「離せ」とアーサーの二の腕に置いたままになっていた指にぎゅっと力が入る。 「……は、ふ……っん、は、ぁ……」 「気持ちいいか? ロア……可愛いな」  ――だめだ……頭、なんかぼーっとする……  癖になる感触に、つい自分から舌を擦り合わせてしまうと、アーサーの機嫌良さそうな声が耳に入る。  きゅっ、きゅと何度かキツく舌を絡ませ合うと、漸く唇が解放された。 「はっ、は……なにするんだよ、変質者……」 「んー? 満更でもなさそうだったけどな」  ペロッと舌先を出し、そのまま舌舐りするアーサーを見てしまうと、顔が火を吹いたかのように熱くなる。 「ち、ちが!! それは、その……あの、はじめて、だったから……」  素直に言ってしまった自分の言葉で、更に顔を赤くした。  ぱぁぁと美しく高貴な花が相手の周りに咲き誇るような幻覚が一瞬見え、「この言葉は間違いなく自爆だった」と後悔してももう遅い。  項垂れる頭を、アーサーがポンポンと優しく撫でた 「まぁ、これで話し相手が出来たんだ。ロアも寂しくはないだろう」  その言葉にハッとする。  思わずアーサーの顔を見ると、彼はその美しい顔で、見惚れるような笑顔を俺に向けていた。 「まっ、……まぁ、それはそうだけど」  まさか、その為に人間の姿に……!? と、一瞬感動しかけたが、ここで|絆《ほだ》されてはいけない。 「さて…ここが何処か、流石に皆目見当もつかない。一度街にでも出て情報を仕入れるしかない、か」  |漸《ようや》く身体を離したアーサーが先に立ち上がり、野っ原の上にへたり込む俺に手を差し伸べる。 一瞬その手を取るか、反射で伸ばしかけた手を引っ込めたが……結局その後、おそるおそるその手を握り立ち上がった。 >>> 「少なくとも1晩は走った、という事はノワール大陸真ん中にあるブラン王国から北、もしくは南側に居ると考えるのが自然だよな。ブランの東はサイラ海だし、ある程度交流がある西のアズーロ王国に送るのは考えづらい」  しっかりと手を握りあったまま……と言うか握られたまま、2人は緩やかな山道を並んで下山する。  俺がその考えを口にすると、アーサーは首を横に振った。 「残念だがお前が眠っていたのは3日だ」 「は……?」  その言葉を流石にそう簡単に信じる事は出来なかった。    だって、そんな長い間眠っていたはずが…… 「お前が逃げないようにする為なのか、途中御者がお前に何らかの魔術を掛けて居たからな。睡眠系の魔法でも掛けられたんだろう」 「いや、ならなんで起こしてくれなかったんだよ! 今みたいに人間の姿になれば幾らでも起こすことが出来たよな!?」  思わず立ち止まって大きな声を出すと、同じく歩みを止めたアーサーは眉を下げる。 「出来るものなら……な。俺だって知らなかったんだよ、自分が人間になれるなんて。気が付いたら、この姿でお前の事を抱き締めていた」  疑いの眼差しを向けると、アーサーは肩を竦めて「この期に及んで嘘を言ってどうする」と困ったように笑っていた。  まぁ、たしかに……ここでアーサーが嘘をつく利がない。 「そもそも、何で人間に? てか元々意志があったのか? そんな話じいちゃんは一言も……」 「さぁな。まぁ、疑問は尽きないとは思うが、それに何一つ答えることは出来ないぞ。何故なら同じ疑問を俺も持っているからな」  これ以上、アーサーに対して何かの答えを導くのは出来そうにないか…と再び歩み出した足が、アーサーが止まったのにつられてまたピタり止まる。 「見えてきたぞ、街だ」  そう言ったアーサーと同じ方角に俺も目を向けると…木々の割れた先から見える眼下に、広大な街並みが広がっていた。  

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