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第10話

10.  夜の俺、やばいかもしれない。  いつの間にか気を失い、そのままぐっすり眠ったとはいえ流石に起き上がる事が出来ず、ダルい身体をベッドに投げ出す。  アーサーは目覚めのシャワーにでも行ってるのだろう。姿は見えず、水音がしっかりと聞こえてくる。  いやもう、乱れ過ぎだろ……清廉潔白が売りだった筈なんだが。  アーサーに抱かれると途端に訳が分からなくなる。  流石にそろそろ自重しなければ……俺の何かが狂ってしまいそうだ。  まだ温もりの残る隣の枕を、そっと自分の方に抱き寄せる。そこからフワッとアーサーの香りが鼻を掠めると、それだけで顔が熱くなるのを感じた。 「記憶、戻ってほしくないな……」  ポツリと自分が呟いた言葉に驚いた。  ……なんだよ、この気持ち。自分から言ったんだろ、記憶を取り戻そうって……抱かれ過ぎて絆されたのか?  これは、アーサーの記憶を取り戻すための行為だから。 俺の気持ちとかそんな…そんな…  ん?  俺の気持ちって……何だ? 「そろそろ起き上がれるか?今日は買い物に行くんだろ?」  シャワールームから出て、黒いシャツに袖を通すアーサーが、俺の様子を心配そうに見つめている。 「ん、平気。すぐ着替える」  端の方に脱ぎ捨ててあったバスローブを手繰り寄せ、それを肩に掛けると、覚束無い足取りでベッドから立ち上がる。が、これ迄に無いほど酷使した足腰がそう簡単に言う事を聞くはずがない。  2.3歩ほど歩いたところで、|躓《つまず》き大きく前に転びそうになってしまった。 「……っ!!」  床に身体をぶつけるであろう痛みに備えて目を閉じると、その身体をふわっと暖かいものが包んだ。 「っと、危ない。無理せず今日は休んでろ。必要な物があれば俺が買いに行くから」  アーサーの逞しい腕に身体が抱き留められ、床と口付けをするのはま逃れたようだ。そのまま、ぎゅっと抱き締められ心配そうな声でそんな事を言われると、嫌でも心はときめいてしまう。  いやもう、恋する乙女かよ。 「だ、大丈夫。今日はどうしても行きたいところがあるから」  アーサーの胸を腕で押し退け、素っ気なく着替えを済まそうとクローゼットへと向かった。  ダメじゃん……しっかり絆されてる。  心の中ひとり大声コンテストを執り行いながら、もたつく手でどうにか着替えを続けた。  相変わらず、ベルデの街は活気で溢れかえっている。毎日が休日のような人混みの中を、俺とアーサーは手を繋いだまま歩いていた。 「少し休むか。色々回って疲れただろう」 「えっ、あ、……うん」  そう言ったアーサーに手を引かれ、水色のベンチへと腰掛ける。  「飲み物でも買ってきてやる」と雑踏の中へと向かうアーサーの背中は、敵地にひとり赴く男のように輝いていて「はー、かっこいい」なんて口の中で呟いてしまった。  いや、乙女か。バカになってるって……しっかりしろって俺。 「しかし凄いなぁ、ベルデは。皆元気だなぁ~」  行き交う人々を見つめる俺の口から、思わずそんな言葉が漏れる。 「国力で言えば、ブランも劣らないだろ。ブラン・アズーロ・ローゼ・ベルデは、この大陸の四大国家と言われているぐらいだし」  近くの出店で買ったコーヒーを手渡しながら、「そう特別じゃないだろ」と不思議そうにアーサーは答えた。 「そうなんだけどさ。なんて言うのかな、ブランの皆は元気が無いんだ」  早速それに口をつけると、口内にほろ苦いコーヒーの味が広がる。 「……ルイスのせい、か」 「まぁ、そう。あのバカがとにかく民から何でも搾取するから皆、生きるのに必死で。余裕が無いっていうのかな。前まで笑顔だった店のおばちゃんが、暫く見ないうちに別人かのようにやつれて……疲れ果ててるっていうの、ザラだったから」 「……酷いもんだな」  同じくコーヒーを飲むアーサーの口からも、思わずため息が漏れる。 「俺もさ、近衛隊にいる限りは、奴を守らなきゃいけない立場だったんだけど、常に頭の中で『なんでこんな奴を。こんな事の為に騎士団に入ったのか。俺が守りたいものって何だったのか』って自問自答を繰り返してたよ」  思わず見上げた空は、憎いほどに蒼穹。  ブランにいた頃見上げた空は、いつも曇っているように見えたのに……ここは、毎日のように晴れ渡っている。 「いつか特大のしっぺ返しが来るさ。そんな奴、天が赦すはずないだろう?」 「だと、いいな。あんな奴が、このままのさばって欲しくはない」  空になった紙コップを、クシャッと思い切り握り潰した。 >>> 「ありがとうございましたー!」  可愛らしい店員の女性に「じゃぁ、よろしくお願いします」と頭を下げて店を後にした。 「なんだったんだ? あの、女物の髪飾り……どこかに送っていたが」  夕日が落ちた帰り道。  影を長く伸ばしながら、俺とアーサーはゆっくりと歩みを進めた。 「ん? あぁ、あれ妹の。誕生日だったんだよ。俺が国外追放された……あの日」 「えっ……」  思わずアーサーの歩みが止まる。繋がれたままの手のおかげで、つられて足が止まる。 「ホントは花でも持って行ってやろうと思ったんだけどな。アイツさ、生まれつき体弱くて……今、アズーロとの国境の、空気のいい田舎に住んでんの」 「妹が、居たのか……?」  驚いたような顔をアーサーは俺に向ける。  無理もないか。アーサーに記憶があるのかどうかは分からないが、家族が引っ越した頃、じいちゃんはまだ王宮で仕事をしていた。中々会いに行く事も無かったし、じいちゃんが俺たち会いに来る時……まさか武器片手に来る訳ないしな。 「そそ。気管支弱くってさ、なら空気のいい所に引っ越そうって一家でかなり前に引っ越して。俺は騎士団に入りたかったから、そのまま王都に残ったんだけど。休暇取って帰るつもりが、まさかこんな事になるなんてな」  頭を掻き、苦笑いを浮かべながらそう言う俺の顔を、眉を下げたアーサーが見つめている。 「いつから? ……ずっと、1人で居たのか?」  彼の紫の瞳には、夕日が差込み幻想的な色に変わっている。それが少し揺れて見えるのは、光の加減なんだろうか。 「あー、うん。12の時からかな? じいちゃんと一緒に暮らすの提案されたけど、仕事あるし面倒かけらんないって  俺が断ったんだ」  顎に手をかけ「うーん」と当時を思い出している頭がポンポンっと撫でられる。 「よく頑張ったな……つらかったろ」 「へ? い、いやそんな、家族も度々会いに来てくれていたし、俺も騎士団入りたいって頑張ってたし、そんな事思う暇なんて……」  ――嘘。  帰って来た部屋が真っ暗で、何度も心が押し潰されそうになった。 「でも俺は、頑張るって決めたから」って、毎日のように自分を鼓舞し続けた。  『寂しい』なんて言葉、絶対に口に出さなかった。 だからアーサーの、その「頑張ったな」って言葉が……まるで子供を褒めるみたいな手の動きが、異常に胸に響いてしまった。 「これからは、俺が傍にいるから、沢山愛してやるから寂しくないぞ」 「なんだよ、それ」  少しだけ、鼻先がツンっとしたけれど……それを啜り、声を出してアーサーに笑いかけた。  なぁ、アーサー、記憶が戻っても……お前は同じことを言ってくれるのかな。  いつの間にか、辺りはオレンジ色から深い藍色に変わり始めていた。  

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