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第26話

26.  その朝は、なんて事ない朝のはずだった。  目覚めた時、隣のベッドが冷たくて。  またノクセス王子の呼び出しでも受けたのかなとか、ボヤけた頭で乾いた喉を潤そうとテーブルに向かった。  ふと、俺の中で違和感が生まれた。  おかしいよな。  ――|あ《・》|る《・》|筈《・》|の《・》|無《・》|い《・》|も《・》|の《・》|の《・》|横《・》を、いま…通り過ぎたよな。  途端に心臓がざわめく。  全身の毛穴がぶわっと開いて、ドクンドクンって身体が脈打つ。  どうにか見間違いであってほしいと願いながら、クローゼット横の甲冑を掛けているすぐ隣をいま1度確認する。  どうしてあるんだろう、愛剣『アーサー・オブ・ダーク』が。 「あー、さー……?」  物言わぬお前がそこにあるってことは、俺が愛するあの『アーサー』は一体どこにいるんだ。 「おい、アーサー。なんで剣の姿に……お前ずっと人の姿だったじゃん」  震える手でその剣に触れると驚く程に冷たい。そこに在るのは人の魂が宿っているなんて到底思えない、ただの『無機質』の物体だった。  それが手を伝って脳に届くと、両眼から涙が溢れ出す。  ――いつかこんな日がくるんじゃないかって、心の何処かで怯えていた。 「なん、で? なぁ、アーサー……なんで喋んないんだよ……なぁ! アーサー!!」  取り乱して縋り着いた剣が、大きな音を立てて倒れる。  『痛いな。もう少し大事に扱えよ、愛剣だろ』  そんな言葉が、返ってくることを期待していた。  ……でも、そこに広がるのは静寂の海。 「うそ……ね、嘘だろ。俺のことからかって遊ぶなよ、なぁ、アーサー」  剣の横に、1枚の紙が落ちていた。柄の部分にでも乗っていたのだろうか、それをおそるおそる手元に手繰り寄せる。  そこには綺麗な字で『愛するロアへ。信じて待っていて欲しい』と、一言だけ書かれていた。  「もしかして寝惚けて剣の姿になって、実はそのまま寝てるとか?」なんて少しだけあった希望が、完全に打ち砕かれる音がした。 >>>  どれだけ泣いただろうか。  部屋を差し込む太陽はどこかに消え、いつの間にか月に成り代わっている。 「……レーファウの元に帰ったのかな」  アーサー・オブ・ダークの前に座り込んだ俺はまだ、そこから動けずに居る。  やっぱり、アーサーの記憶は戻っていたんだ。  『レーファウが居る場所』そこが、彼の本当の在るべき場所だったんだろうか。  大事な人だった、んだろうな……俺もなりたかったな。 「アーサーの大事な人に、なりたかった」 「ロアは彼の大事な人だよ」  唐突に後ろから声が聞こえ、慌てて振り向くと、そこにはこれまでの道化のような振る舞いとはまるで別人の、真面目な顔をしたリアンが立っていた。 「ごめんね、ノックしたんだけど返事なかったから」  そう言ってリアンは、床に崩れ落ちたままになっている俺の身体を優しく抱き締めてくれる。 「り、あん……アーサー、が」 「うん……でも、待っててって、彼言ってたんでしょ?」  一旦身体を離したリアンの目線が、握られてぐしゃぐしゃになった1枚の紙へと移る。  それを広げて、涙で滲んでしまったその紙をぎゅっと抱き締めた。 「アーサー……どこに、いったんだよ。おれ、置いて……」  耳朶がズキンと痛む。 『なぁ、ロア。これを俺だと思って、片時も外さず付けていてくれ。ずっと俺はお前の傍にいて、お前の事を愛し続けているから』  あの時感じた不安は当たってたんだ。 「ロア……いっぱい泣いていいよ。全部受け止めてあげるからさ」  リアンがあやす様に背中を摩ってくれる。  何でお前がこんなに俺に優しくしてくれるんだ? そんな疑問が、今は浮かぶはずもない。 「リアン……ちゃんとまたおれ、アーサーに会える?」 身体を包んでくれるリアンの暖かさで、止まっていた筈の涙がまた溢れてくる。 「会えるよ、安心して。アーサーが戻るまでさ、僕が一緒に居るから。あ、流石に恋人関係は無理だけどっ……! 僕にはノクセスって心に決めた人居るし、親友的な感じで? パーッと遊びに行ったりさ、ギルドで暴れてストレス発散でもいいよぉ」  よく知ってるリアンの姿が現れると、涙でぐちゃぐちゃの顔から思わず笑いが漏れた。 「恋人なんだ? ひっ、く……ノクセス王子と」  しゃくり上げながらそう言葉を返すと、リアンが目元に自分の着ている服の袖を押し付けて、涙を拭ってくれる。 「まぁねぇ~! だって、かっこいいでしょ」 「ニイッ」と笑う彼の笑顔は、少しだけだけど俺の心を落ち着かせてくれる。 「まぁ……っく、……いやでもアーサーの方が……」 「は? ちょ、何言ってんの?」  むくれるリアンの顔を見て笑う俺に、彼は少し安堵した息を吐き、優しく頭を撫でてくれた。 「とりあえず、ごはん食べよ。今日何も食べてないでしょ? ノクセスが美味しいもの用意してくれてるからさぁ」  腕を引かれ、ゆっくり立ち上がって頷き、じっとリアンの顔を見つめた。 「うん……あの、さ……やっぱり知ってるの? リアンと、ノクセス王子は、アーサーがその……居なくなった理由を」  真剣な俺の表情に、彼は少し言葉を詰まらせ「ごめんね」と困ったように笑った。 「知ってるよ、僕もノクセスも。でもごめんね、今は言えないんだ。……あ、でも信じて! アーサーはね、ロアの事本当に愛してるから。それはもう引くくらいにさぁ……僕、正直ドン引きしたもん」  本当ならば、詰め寄ってでも居場所を聞き出したい。でも、申し訳なさそうに手を合わせるリアンの姿を見ていると「きっとアーサーがそう頼んだんだろうな」と下唇をキュッと噛みながらも、どうにか自分を納得させる事が出来た。  リアンと一緒に摂った食事は、ノクセスの計らいなのか胃に優しい物が並んでいた。それを有難く完食し、リアンに引っ張られて例の大浴場へと向かった。  湯気越しに見えたリアンの身体は、噛み跡と赤い痕だらけで「紳士な顔して、ノクセス王子って結構凄いんだ」ってうっかり心の声が漏れたら「えっちぃ」と思い切り水を掛けられたりなんかした。 「明日はさ、カフェ行こうよ! ケーキが美味しいんだよね。ノクセス連れて行けば食べ放題だし」 「流石にそれは悪いだろ……」 「いいのいいのー! ノクセスは何でも買ってくれるから、甘えちゃいなよぉ~」  客間の広い広いベッドに、俺とリアンは並んで横になった。  この広いベッドで1人寝るのか、と考えると心が潰れそうだったが、それを察したリアンが「僕もここで寝るからねー」と言ってくれた。 「なぁ、リアン……」 「むにゃ……なぁに?」  既に枕に顔を埋めて半分寝掛かっているリアンに、ずっと心に有った疑問を投げ掛けた。 「お前って、何者、なんだ?」 「……Zzz」  答えは寝息で返ってきた。  ずっと気にはなっていた。治癒魔法の事もそうだけど、ノクセス王子の事をずっと呼び捨て。幾ら恋人とは言え、許される事ではないだろ。  ノクセス王子と同格かそれ以上の存在で無い限り、は。 「ま、いいか……俺も寝よう」  これ以上粘っても仕方ないと諦め、枕に顔を埋める。  俺が使っている場所は、アーサーが使っていた枕。  カバーは当然取り替えられているだろうが、不意に彼の香りが鼻を掠めた気がして……  その日は、枕を抱き締めたまま眠った。  

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