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第30話
30.
「まぁ、そう怒るなよ。非礼は後で幾らでも詫びるとしよう。お前には返しきれない程の借りがあるからな」
「はは……言いたかっただけだ、気にするな」
「本当に……人が悪いな、ノクセスは」
玉座に座る男性は、肩から漆黒のマントを掛け、足を組みながら肘掛に肘を着きもたれかかっている。
紫色の艶やかな髪はサイドを綺麗に結われ、頭には光り輝く宝石が何個もあしらわれた小さなティアラのような髪飾りが乗せられていた。
「アー……サー……」
言葉を詰まらせる俺と目が合ったアーサーは、途端に甘い顔で微笑み始める。
「席は用意してある。レーファウ、出せ」
その名前に、ついピクっと反応し、即座にそちらに目を遣る。
レーファウと呼ばれた黒いスーツ姿の男は頭を下げ、アーサーの後ろに取り付けられていたビロードのカーテンのような赤い布を取り払う。
するとそこからは、金の玉座が2つほど姿を現した。
「レーファウっていうのは、アルトリウス王子の忠実な従者だよ。浮気相手とかじゃないから安心してね」
おそらく、レーファウを見る眉が寄っていたのだろう。そう耳打ちして教えてくれたリアンは軽くウインクをし、そのまま俺の手を引きながらノクセスの後ろに着いて歩く。
騒ぎを聞き付けて、普段なら立ち入ることが許されない民衆たちがこの謁見の間に群がるのを、青い軍服の男たちがどうにか押え込む姿を横目に3人は悠々と歩き……左の玉座にはノクセスが、右の玉座にはリアンが腰掛けた。
『あれ、ベルデ王国のノクセス王子だよな?』
『あのピンク髪の方はどなた? あそこに座るって事は、何処かの王族の方……?』
『あれ……ロアじゃないか?副騎士団の』
『アズーロの第1王子って本当に居たのね。良い男じゃないの』
群衆のどよめきが、次々に飛んでくる。
そんな声も何のその。さすがに様になってるな、と2人を見つめていると、ふと……ある事に気が付いた。
……あ、あれ……俺どこにいけば……
連れてこられたは良いものの、2つしかない玉座に端の方でオロオロしている俺に、アーサーが声を掛ける。
「お前の場所はここだ……おいで、ロア」
「へ!? いや、えっと、……あの……」
そう言ってアーサーは自分の膝をポンポンと叩いた。
正気か?
ここは間違いなく公の場。
多くの騎士や関係者、さらに民衆などが入り乱れている。その殆どがブランの人間だろう。間違いなく俺の顔を見た事ある者が多数いるはず。
……なんなら元部下たちが、既にポカンとこちらを見つめているのだが。
そんな中アーサーの膝の上に座るなんて……それはもはや公開処刑。
流石に|躊躇《ためら》ったが、あまりにもアーサーに|飢《・》|え《・》|過《・》|ぎ《・》|て《・》|い《・》|た《・》身体は本能的に……まるで操られているかのようにその膝に歩いて行った。
ちょこん、とその膝に座ったは良いものの、途端に正気に戻った羞恥が襲ってくる。
どうしたらいいが分からず俯いていると、後ろからフワッと身体の芯が疼くような甘い香りが鼻を掠め、同時に暖かい腕が全身を包んだ。
「会いたかった……愛するロア。すまない、後で幾らでも詫びよう……だからどうか、許してくれ」
耳元でそう囁く声が聞こえる。
……どれだけ、待ち望んだだろうか。
もう、二度と聞くことが出来ないのではないかとすら思った。
愛しい愛しい……この、心をキュッと締め付けるように焦がす低く甘い声を。
「ん……俺も、会いたかったアーサー。俺の事、嫌で捨てた訳じゃないならそれでいいから……」
今すぐに振り返って抱き締めたい、あの大きな背中を肌で感じたい。
でも……1度そうしてしまえば、涙が溢れ、このカサついた唇を潤して欲しいと求めてしまうだろう。
膝の上に作った拳に力を込め、チラっとアーサーを横目で見るのが精一杯の行動だった。
「捨てるなど、ある筈がないだろう……目的の為とはいえ、どれだけ苦しかったか」
アーサーが言葉を詰まらせ、掠れながら言ったそのセリフが、彼の心情を物語っている。
今の俺には……それで充分だった。
「ん……そっ、か」
「お前に愛を囁くのは、全てが終わってからにさせてくれ。先に、あのよく喋るゴミを断罪しようじゃないか」
頬を撫でる手が擽ったい。でもこれは大好きな大きな手。
ああ本当に、これはあのアーサーなんだ。
無条件にその手に擦り寄る。
アーサーが真っ直ぐ前へと鋭い視線を送っている事に気付き、同じくそこへ視線を向ける。
そこには、捕らえられ後ろ手に縛られた状態で、青の隊服の男たちに囲まれた……あのルイスが憎らしそうにこちらを見ていた。
「さて、役者は揃った。話を始めようか、ルイス」
ざわめいていた部屋の中は、アーサーのその一言を機に静まり返る。
「何故……なぜお前が生きている……」とブツブツ呟いているルイスの事を、アーサーは肘を付いたまま鼻で笑っている。
「待てよ、その男はブランのものだろ」
ルイスのドス黒い目が急に俺へと向けられ、それまで口をモゴモゴと動かしながら喋っていた奴が、唐突に声を張り上げた。
「その男はブランの副騎士団長! それは私のものだ……そうだろう、ロア!!」
は……何だいきなり気でも狂ったか?……いや、こいつの気はいつでも狂ってるか。
奴が放った言葉が信じられなくて、俺は一瞬目を見開いたが、すぐにそれは憎らしい者を見る目に変わった。
奥歯を噛み込み過ぎて痛みすら感じる。
誰が……誰がお前なんかの……
「黙れ」
言い返そうと口を開き声を出すより先に、アーサーの聞いた事もないような強く鋭い声がその場に響き、誰もが口を閉ざし息を呑んだ。
流石のルイスも、口を噤んでいる。
奴を見るアーサーの目は暗く深い闇を落し、それを見ていた者全て……俺ですらも背筋が凍り付いてしまった。
奴に見せ付けるように俺の頬に口付け、そこに舌まで這わせるアーサーは、先程までと本当に同一人物かと疑う蕩ける程の優しい笑みで「ロア」と呼び掛ける。
「ノクセスに頼んでは居たのだが……例の紙、持ってきてくれたか?」
「……へっ!? あ、あぁ……えっと、これ……だよな」
しばらくその顔に見惚れてしまったが、慌てて内ポケットから1枚の紙を取り出しアーサーに渡す。
それは前日の夜、わざわざ部屋を訪ねてきたノクセスが「忘れず持って行って欲しい」と言っていたものだった。
受け取った紙を開き薄ら笑うアーサーは、それをルイスに向かって投げ付ける。
「なんだ、これ」
心做しか、ルイスの声は震えている。
「それはなぁ、ロアが国外追放を言い渡された日にお前が出した書状だよ。……そこに書かれているだろう? 『ロア・ヴァルター・グライス、その地位・爵位・家名その他一切を没収し国外追放する。即時ブラン王国からの退去を命じ、ブランの民と名乗る事も禁ずる』と。……まさか、自分で書いた内容を忘れたなんて、言わないよなぁ? ルイスよぉ」
「それ、は……」
「お前が自分で言ったんだろう? ロアは……ブランのお前のものではない、と。なぁ、違うのか?」
正直に言おう。
この時のアーサーの顔は、もう王子なのか魔王なのか区別が付かなかったと。
そして……それにバカみたいに心ときめかせたのが俺だ…と。
「……っ!!」
唇を噛むルイスを尻目に、アーサーは俺の顎に手を掛け、頭1つ上にある自分の方へと向ける。
「なぁ、ロア? お前は誰のものだ? ブランの、あのルイスのものなのか?」
俺を見つめるアーサーの紫色の宝石のようなその瞳をじっと見返す。
「俺は、アーサー……いえ、アルトリウス王子のもの……です」
俺が無理やり言わされているのかそうでないのか、真っ赤に染まった頬ともう蕩けきった表情が物語り、誰の目からも明白だった。
「だ、そうだ。寝言は寝てから言うんだな」
満足そうに俺の顔から手を離したアーサーは、俺だけに聞こえるような声で「愛してるよ」と言い、再びルイスへと顔を向ける。
……甘い。甘過ぎやしないか、|完全体《本物》のアーサー……
もうずっと、激しい心音に冒され続けていた俺は、どうしようも無くなって両手で顔を覆った。
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