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第35話
35.
――4年前。
ブランで行われた各国の会合の時だった。
表向きは外交嫌いとされ諸外国に存在さえ疑われる俺はその日、顔を出すはずだった第2王子ラキアの体調不良により、渋々それに参加していた。
そこで、衝撃の出逢いをする。
――天使が、俺の前に舞い降りた。
ルイスに着いて歩くお前の姿に、俺の目は一瞬にして奪われた。
甲冑越しでも分かる抱き心地の良さそうな身体付き、透き通るよな白い肌、可愛らしいが凛として意志のある瞳。
眩いほどに輝くその強い瞳の光は、|鬱蒼《うっそう》とした俺の心がを浄化していった。
着任したばかりなのだろうか。初々しさが覗くその姿には、どうしようも無く庇護欲がそそられた。
一目惚れ、とはこの事だろう。
あの時の身体を突き抜ける電流のような感覚を、今日この日まで1度たりとも忘れたことは無い。
入口付近で彼が1人になった時に軽く挨拶を交わせば、どことなく恥じらいながら挨拶を返すその姿の何と愛らしいことか。
|た《・》|っ《・》|た《・》|そ《・》|れ《・》|だ《・》|け《・》|の《・》|事《・》で、俺は簡単に恋に落ちた。
その日の夜、つまらない晩餐会を途中で抜けようと部屋を出た俺は、廊下の角を曲がったところで、飛び出してきたお前とぶつかった。
謝りながらこちらを見上げた顔は真っ青で。
慌てて隠すように、乱れた衣類の胸元を抑えていた。
「……っ!!」
俺が驚きを隠せない顔で彼を見ていると、途端に目を潤ませ、一目散に逃げて行った。
向こうにあるのは、ルイスの私室のみ。
何となく……起きた事の察しはついた。
身体中に、憎悪の炎が燃え滾る。
元々ルイスに良いイメージ等微塵も無かった俺が、奴を消す事を考えるのにそう時間はかからなかった。
許さない。
ゴミ以下の存在が。
あんな、この世の終わりの様な顔をさせて……
その涙を拭えなかった代わりに、何としてでもあのクズをここから消してやろう。
そう誓った俺は、来たるべき日をじっと待つことにした。
こうして、彼に恋焦がれる日々が始まった。
彼は「ロア」と言うらしい。
何と可愛らしい名前だろうか。
ロアを俺の傍に置きたい、幸せにしてやりたい。
笑顔はどれ程可愛いのだろうか、彼は何が好きで……どんな事をされると喜ぶんだろうか。
時折、あの泣き顔が頭を掠めると、
あんな顔、俺ならば絶対にさせない……と行き場の無い怒りに狂った。
元より男色な事、そもそも必要以上に外に出る事は良しとされなかったのもあり、娼館は使わずレーファウに簡単な性処理をさせていたが、あの日ロアに出会ってからというもの、彼の事を想わなければそこが機能しなくなった。
それはもう、不能を疑われる程に。
代わりに彼の事を想う夜は、狂ったように自慰をした。
|色慾《しきよく》に歪んだ顔はどの様になるのか、喘ぎ声はさぞかし可愛いのだろう、あの抱き心地の良さそうな身体を折れる程抱き締めてやりたい。頭のてっぺんから爪先まで全てを可愛がってやりたい。
……もう、頭の中は、|彼《ロア》でいっぱいだった。
本当は今すぐ奪いに行きたかったが、体裁もあり上手くは行かない。
魔法で彼の姿を覗き見する生活も、4年が過ぎようとしていた。
そして時は流れ。
ロアが国外追放される1週間前、ルイスが密談を持ち掛けてきた。
あからさまに毛嫌いしている国の王子に何の話があるのやら。
奴のことだ、密談とは名ばかりで何かしらの危害を加えるつもりなのは検討がついていた。
心半ばでこんな奴に殺される訳にはいかない。どうにか策を講じねば。
そう考えている時に、ある方法が浮かんだ。
馬鹿だな、俺は……何でもっと早く気付かなかったんだろう。
――隣国の王子でない状態で、ロアと出逢えばいい。
ロアの身近な、心許すであろう存在に物に姿を変えれば?
そこで彼の、心も身体も虜にしてしまえば。
肉体と魂を分離する術式は前々から知っている。
命を懸けた大博打だが、この機を絶対に逃さないと計画を練った。
そして俺が描いた『今後の事』を書き記した紙をレーファウに手渡し、そのままブランへと向かった。
密談中に「ウチの副騎士団長が中々夜伽に応じない、可愛いがってやろうと思ってたのに馬鹿な奴」とルイスが零した時は、心臓を|抉《えぐ》り潰してやろうかと思った。
どうにか引き攣る笑いで耐えていると、「思い通りにならないから、近々国外追放してやろうと思う」なんて言葉が聞こえてきた。つくづく救いようのないゲス野郎だとは思ったが、これは俺に取って朗報でしかない。
「なら、どこでも自害出来るよう、愛剣くらいは持たせたらどうですか。どうせ着の身着のまま放り出すんでしょう。ウチの騎士にはそうしていますよ、騎士の誇りを持って死ねと」
なんてありもしないでっち上げ話をしたところ、あのバカは易々と信じたようだった。
――予定していた俺の魂の受け先が、これで確実に決まった。
見知らぬ地を生き抜くには、1人より2人の方がいいだろう……愛しいロア。
他愛もない話が終わると、メイドが紅茶を俺の前に置いた。
予想通り、|ルイス《バカ》は俺の紅茶に毒を仕込んでいる。
こんな匂いでバレる|謀《たばかり》に誰が引っ掛かるのか、なんて心の中で|嘲《あざけ》りながらもそれを口に付けた。
案の定、俺の体は痙攣を始める。
それを見たルイスは、早々に部屋を出て行ってしまった。
――今しかない。
意識が途切れる寸前に、上の階に居るロアの愛剣に魔法で魂を転移させた。彼がどこに居るかなんて、|常《・》|日《・》|頃《・》|か《・》|ら《・》|把《・》|握《・》|済《・》|み《・》。
後は手筈通り、息を引き取る瞬間に倒したテーブルの倒れる音を聞きつけたレーファウが部屋に飛び込み、俺にこっそりと蘇生魔法を施す。そうすれば身体が腐敗する事はない。
後はアズーロの俺の部屋で身体を安置させ時を待つ。
例え居ようがいまいが変わらぬ存在だとしても、腐っても俺は『第1王子』。
ここで「毒殺された」など大騒ぎしてしまえば、俺直々にあのゴミクズを断罪するチャンスを失ってしまう。
そこは有能な従者が役に立つ。
魔法で体内の毒素を浄化させた後『心臓は動いているが、意識が戻らない。何かの病を発症したようだ』など取り繕った顔で適当な事を言い、周りを信用させるなんて……レーファウの1番得意とするところ。
俺の死体を確認する為に、奴の従者が部屋を覗きにくるだろう。そこをレーファウが抑え暗示を掛ける。
今頃は「死体は処理しておきました」なんて報告が上がっている頃だろうな。
そして次に目覚めると、荷車の中でロアの身体を抱き締めていた。
――俺は、賭けに勝ったのだ。
アルトリウスとしての記憶が無くなったのは計算外だったが、むしろ俺を本来の姿に戻そうと、必死になるロアを見ることが出来たのは嬉しい誤算。
まぁ、戻らなくともあのままロアを愛し続けるだろうからその点は心配は要らなかった。
俺は|そ《・》|う《・》|出《・》|来《・》|て《・》|い《・》|る《・》はずだから。
だが、問題も生じる。
アルトリウスとして戻らなければ、ルイスを消す事は出来ない。
アレは、何がなんでも俺が直々に裁くと、4年前からそう決めている。
ここで、万一に備えた闇の珠が功を奏した。
まさか、レーファウが占い師の女に扮してくるとは想像すらしておらず、国に戻った時に腹を抱えて笑った。
彼には1ヶ月以上音沙汰がない場合、記憶の一部を封じ込めた闇の珠をどうにかして俺に触れさせるよう命じていた。
あれは、作り出した人間が触れると弾け、その記憶が術者の元に戻るという主に諜報活動時に用いられる代物。
あの……相性を見ると言って触った際に弾けた珠から俺の元に1部戻ったきた記憶は、数日後には完全に復元されていた。
『レーファウ』
彼の名を呼ぶ事が、覚醒の証。
俺がその名を口にすれば、レーファウにそれが届く。そうなるよう予め仕込んでおいた。
言葉を合図に、次の……断罪の準備に取り掛かる。
おおよその準備が整ったと連絡を受けた俺は、その2日後に「王子の意識が戻った」と周囲に報告をするよう使い魔で連絡を飛ばし、アズーロの身体へと魂を還した。
当初の予定では、ルイスを捕縛し全てを奪い、大陸追放するつもりだった。
だが……計画が変わった。
ファフニール討伐の報告を受けたノクセスが、その書類の顔写真から俺の正体に気付き、王宮に連れてこられたあの日。
リアンからロアの身に起きた事を、視覚同期で見せられた時……
「あぁ、もうこのクズは生かしておけないな」と思った。
追放なんて生温いこと……どうして思ったんだろうな。
お前から全てを奪い、生きている事を後悔する地獄を味あわせてやらないでどうする。
ノクセスにその旨を話すと、彼は快くそれに応じてくれた。
流石、|同《・》|類《・》なだけはある。
大国の王子がこちら側に付くなんて願ってもいない事。しかもブランの件を俺預かりにさせる為の『交渉カード』まで用意出来るとは。
更に附帯で、あの稀代の魔術師まで付いてくるという。
間違いない。
天は俺に|や《・》|れ《・》と言っている。
そう確信した。
気がかりはロアの事だった。
彼は4年前と同じ事をされ、心に傷を負っているだろう。
バスルームから出たロアが、気丈な態度を振舞おうとする姿に……俺は物心付いてから初めて、涙を流した。
つらい時に傍に居れない事を赦してくれ。
その代わり、お前が穏やかで幸せに生きられる場所を、俺が必ず用意してやる。
そう、心から誓った。
――さぁ、舞台と役者は整った。
予定通り、あのバカにこの世の終わりを味合わせてやろう。
勘違いするな。お前の罪は、俺を毒殺したことでも、ロアを国外追放した事じゃない。
|ロ《・》|ア《・》|に《・》|触《・》|れ《・》|た《・》|こ《・》|と《・》
お前のその汚い手が、あの純粋無垢なロアに触れそして泣かせた……それは万死に値する。
『偶然』と喜んでいたお前が、この話を聞いたら……どんな顔をするだろうな。
でもな、分かってるんだ。
お前は、こんな俺の話すら……受け入れるんだろう?
「ん? どうしたの?アル?」
ベッドに横たわり、じっと顔を見つめたまま動かない俺に、ロアはその可愛らしい顔を傾げた。
「いや、何も? なぁ、ロア……もし俺が、本当は悪魔なんだ、なんて言ったら……どうする?」
「えっ……」
途端に、ロアのその大きな瞳は零れ落ちそうになる。
少しの間目を伏せた後……その目元を赤く染め、ベッドの中に収めていた俺の右手を両手で掴む。
「悪魔なアルを想像したら……こうなった」
押し当てられた彼の左胸から、ドクドクと大きく早い鼓動が伝わってくる。
「……俺も大概だが……ロアも本当に俺の事が好き過ぎて、狂ってるよな」
「……言うなよ、ばか」
そう言ってフカフカの毛布に潜り込む彼を、俺はそれごと強く抱き締めた。
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