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ふたり暮らし 2

 シェルは海を泳ぎまわって、色んなものを拾い集めている。  そのひとつが、古い貝殻。 「ネロー」  下のほうの砂を掘りかえしていたシェルが、ネロを見上げて叫んだ。 「どうー? 見つかったー?」 「んー」  砂をどかして、掘りだした大きな岩をネロは尾びれで蹴っ飛ばした。  ごつごつした岩肌を、シェルとは反対方向へ大岩がゴロゴロ転がり落ちていく。  ネロがじいちゃんと棲んでいた谷底より、ここの渓谷はずっと浅い。そばを大きな海流がながれていて、色んなものが吹き溜まる。  巨大な流木、ちぎれて飛ばされてきた大量の海藻、ニンゲンが捨てた漁網、沈没船のくだけた甲板……  シェルによれば、こういう場所にはが埋まっているらしい。  突然引っぺがされた大岩の跡からワラワラ逃げだすカニやらエビやらを払いのけ、ネロはさらに砂を掘った。手のひらに当たった硬いナニカを、思いっきり引っこぬく。  白っぽい、巻貝の殻。  ネロの小指くらいの大きさ。 「あったー、すげーちっちぇー」 「見せて」  すっ飛んできたシェルに手渡すと、シェルは巻貝をぐるぐるひっくり返してながめまわし、入り口に水を吹きかけた。  ネロの耳もとに貝殻を押しつけて、自分もネロの頭にぶつかるくらい頭を近づけてきて、ふたりで耳を澄ませる。  ゴウゴウ……  流れていく、波の音。  カサカサ……  岩肌をあるくカニの足音。  聞き慣れた音にまじって、不思議な音が、かすかに聞こえる。  高くなって、低くなって、また高くなる。 (なんかの、歌?)  ちいさな歌声。  子どもが歌ってるみたいな明るい声。  潮風がどうとか、足がどうとか、そんなことを歌っている。 「なんだ、これ?」  人魚のくせに。  ずいぶんニンゲンくさい歌。 「知らない? 古い物語だよ」  歌に耳をかたむけて、シェルがうっとり笑った。  ネロを見あげる青い目がきらきらしている。  オレを見てるはずなのに。オレじゃない、どっかずっと遠い場所を見てるみたい。 (なんだろ、この感じ)  お腹の底がモヤッとする。 「この人魚はね、ニンゲンになったんだ」 「ニンゲンにィ?」 「尾びれのかわりに、足を手に入れたの。それがこの人魚の願いだったんだ」  ネロは「げぇっ」と舌をだした。  物好きなヤツ!  せっかく尾びれがあるのに、ヘンテコな二本足を欲しがるなんて。 「できんの、そんなこと?」 「薬を飲んだんだよ」 「くすり?」 「賢者の調合薬。海の最果(さいは)ての、だれも知らない洞窟にすんでるんだ」 「ホントかぁ?」 「どうだろう」  シェルが首をかしげた。    「物語だからね」 「なんだ、ウソか」     やっぱりね。 「そんなヘンタイ、いるわけねーもん」    わざわざニンゲンになりたい人魚なんて。  シェルがくすくす笑って、顔をはなした。くっついていたほっぺたを冷たい波がくすぐって、ちょっぴり残念な気持ちになる。  巻貝の歌は、さっきからずっと同じ場所をぐるぐるまわっている。  つぎの歌詞をすっぽり忘れてしまったみたいに。 「ウソとも言い切れないって、ぼくは思ってるよ」  シェルによれば、貝殻の歌は記憶らしい。  この海の記憶。 「海で起こったことを人魚が歌う。歌は波にとけて、海のあちこちに染みこんでいく。ゆっくり、ゆっくり。だからね、たくさんの人魚が何度も歌った歌ほど、長く強く残るんだ」 「なんで貝殻?」 「砂はちいさすぎるし、岩は歌がうまくないでしょ。貝殻ってね、大切なものを保管するのにぴったりなんだよ。とくに、大きな巻貝は」 「ちっちぇーのは?」 「ちょっぴりなら」  ふーん。  だからオレの見つけた巻貝は、同じ部分しか歌わねーのか。  よくわかんねーけど。 「これは有名な歌なんだよ。昔からたくさんの人魚が歌ってきた」  シェルがじっと、巻貝を見つめた。  青い目にきらきら光を宿して。  灰色のやわらかい髪が波にそよぎ、白いほっぺたがほんのり赤くなっている。  胸がざわついた。  夢中になっているとき、シェルはこういう顔をする。  本を読んでいるとき、めずらしい海藻を見つけたとき、考えごとをしているとき。  尾びれの先まで自分の世界にどっぷりつかって、他のなにも見えなくなる。   (オレなんて、ここにいねーみたいに)  そういうシェルはまぶしくて、大人びていて、知らない人魚みたいで。ほんのちょっぴり…… (なんだろ、この気持ち) 「歌になるには、きっかけがあったはずなんだ。大昔、たくさんの人魚たちが心をゆさぶられた何かが。ぼくはそう思ってる。伝承ってそういうものだ。つまり、この歌が残ってるってことは」 「シェル」 「この海にはかつて、いや、もしかしたら今もこの海のどこかに――」 「なあ! シェルってば!」  ネロが腕を引っぱったら、シェルがハッとして、頭のなかの遠い海から帰ってきた。  目の前のネロを見て、目を丸くしている。  コイツ。   (また、オレがいること忘れてたな)    ムッとしてにらんだら、シェルはほっぺたを赤くして、気まずそうに笑った。 「……シェルはさ、ニンゲンになりてーの?」 「え?」  シェルが目をぱちくりする。 「ぼく? どうして?」 「ケンジャに会いてーんだろ? そのナントカ薬をつくらせるんだ」  その薬でニンゲンになって、陸の世界へいっちゃうんだ。  オレをおいて。   (オレを、ひとりぼっちにして) 「ちがうよ!」  シェルが噴きだして、クスクス笑った。 「たしかに、興味はあるけど」 「やっぱり!」 「でも、いかないよ。ぼく、いまは海が好きだよ。毎日がすごく楽しいんだ」  シェルがネロの手をにぎった。  ネロを見つめて目をほそめて、ふんわり笑った。   「ネロがいるからだよ」 「ほんと?」 「うん。ネロがそばにいてくれるから、ぼく、色んなことができるようになった。ずっとやりたかったこと。この渓谷にくるのも、ぼくひとりじゃ無理だった」  シェルがちょっと目をふせて、唇をかんだ。  たぶん「おばあさま」を思い出してるんだ。  胸がチクッと痛んだ。  くわしく話してくれないけれど、シェルのおばあさまは、とんでもなくおっかない人魚だったらしい。ネロのじいちゃんとは大違い。  シェルはまだ、おばあさまの言葉に縛りつけられている。 (……ムカつくなぁ)  泡になったあとも、シェルにとり憑いてるなんて。 「シェル、オレも」  ネロもギュッと、シェルの手をにぎりかえした。 「シェルがいて、毎日すっげー楽しい! オレが連れてってやるよ。シェルのこと、どこでも」 「ほんと?」  シェルが目をきらきらさせた。 「シェルが行きてぇなら、海の果てだって! とちゅうで泳ぎ疲れたら、オレの背中にのせてやる!」 「じゃあ、いつか最果ての海を探しにいこう。もしかしたら本当に海の賢者が……」 「それはダメ」 「ニンゲンにはならないってば。単純に学術的興味だよ」 「ガクジュツテキぃ~?」 「彼の洞窟の本棚には、きっと、古今東西のあらゆる本が収集されてるんだ!」  シェルが目をほそめて、空想の本棚をうっとり見あげる。  なるほどね?  うーん。  まあ、そういうことなら? 「考えとく」  ぶっきらぼうに答えたネロに、シェルがまたくすくす笑って、白い尾びれをゆらゆら揺らして。  大きな青い目で、じっとネロを見つめた。 「ありがとう、ネロ。ぼく、ネロと会えてよかった」 「……うん」  照れくさくて、ネロは目をそらした。  耳が熱いのをごまかしたくて、尾びれの先で、シェルの尾びれに軽くふれた。  シェルもくすぐったそうに笑って、やわらかい尾びれの先で、ネロの尾びれをなでてくれた。

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