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ふたり暮らし 3
シェルはネロよりずっと小さくて、力も弱いし泳ぎも下手くそだ。
その代わり、ネロにはできないことが色々できた。
なかでも上手だったのは、歌を歌うこと。
ネロも歌は好きだ。
ネロだって、人魚なのだから。
とにかく歌が大好きで、楽しいときにはごきげんな歌を、悲しいときには胸がぎゅっとする歌を、岩のうえに腰かけて、あるいは砂に寝ころんで、暇さえあれば歌っている。人魚はそういう生き物だった。
でも、シェルの歌は特別だ。
シェルが歌うとき、ネロはそばの砂のうえに寝そべって、じっと耳を澄ませている。
「一緒に歌おうよ」
シェルは恥ずかしがってそう言うけれど、ネロは自分の歌なんかより、シェルの歌声を聞きたかった。
岩のうえにちょこんと座って、ちょっぴりほっぺたを赤くして。
シェルがちいさな唇をひらく。
銀色の海面をめざしてきらきらのぼっていく泡と一緒に、シェルの明るい、透きとおった歌声が海にやわらかく響きわたると、いつの間にか波音は消え、パチパチとこすれるカニやエビの殻音も、砂を掘りおこすエイやヒラメのはばたきも、海藻のゆらめく音さえ消え去って、海の底はひっそりと静まり返る。
すべてのものがシェルの歌声に聴き入っているみたいに。
通りかかった人魚たちまで尾びれをとめて、あっちの岩陰、こっちのサンゴのうえ、むこうの海藻の茂みで寝そべって、うっとり耳を傾ける。
(あの子はだれ?)
(夢みたいな歌声)
(こんなきれいな歌、聞いたことない)
あっちでもこっちでも驚いて、ささやきあう声がする。
そのうえ、最近のシェルは見違えるようにきれいになった。
(オレが毎日、お腹いっぱい小魚を食べさせてるおかげだな!)
パサパサして灰色だった髪はきらきら純白にきらめいて、ぼんやりくすんでいた尾びれもウロコ一枚一枚がつややかな白銀にかがやいて陽射しをまばゆくはじいている。あいかわらず小柄で華奢だけど、青白くてやせっぽっちだった頬は子どもらしくふっくらして、シェルが大きな青い目を細め、口元にえくぼを浮かべて笑うと、慣れているネロでも目が離せなくなるほど。
歌いおわったシェルが、あっちからもこっちからも降りそそぐ拍手喝采にびっくりして、真っ赤になってネロに飛びついてきた。
「ネロのいじわる! 教えてよ!」
「なんで? みんなも聞きたいんだよ。シェルの歌はすげーから」
「注目されるのって苦手なの! 知ってるでしょ!」
耳まで赤くなって恥ずかしがって、それ以上歌ってくれそうになかったから、ネロはシェルの手を引いて、そこから連れ出すことにした。
真っ赤になってうつむいて引きずられていくシェルを観客たちが残念そうに見送って。その視線がそのまま、シェルを我がもの顔でひっぱっていくネロにそそがれる。
(すげー優越感)
サイコーに気持ちいい。
けどオマエら、残念でした。
(シェルはオレに歌ってくれてたんだよ)
フフンと胸をそらし、シェルを引っぱって泳いでいたら。観客たちのざわめきに混じって、吐き捨てるような声がネロの耳にとどいた。
――バケモノのくせに。
ハッとして、ネロは尾びれをひるがえし、ふり返った。
(……バケモノ、だと?)
流氷のカタマリでぶん殴られた気がした。
頭から血の気が引いていく。
(どいつだ?)
岩陰、サンゴのうえ、海藻の茂み……ぐるっと見回してみても、たくさんの人魚たちがいて声の主ははっきりしない。
けど、そんなことはどうでもいい。
最初に石を投げたのは、たしかにソイツだ。
でも、気配でわかる。いま、この場にいる人魚たち全員が、おなじ気持ちでネロをにらんでいる。ネロに降りそそぐ、肌に突き刺さるような視線が言っている。
――――なぜオマエがここにいる。
――――穢らわしい、異形のバケモノめ。
――――浅瀬はオマエの場所じゃない。
――――みじめで陰気な谷底 に、死ぬまで引っこんでいればいいものを。
(……あーあ)
胸の底が冷たくなった。
ヒソヒソ陰口されるのには慣れている。慣れていても、腹が立つ。
(せっかくいい気分だったのにさぁ)
ちょうどいいや。
昼ごはんをたっぷり食べた後だし、軽く運動したかったんだ。
安全地帯から引きずりだして、あの弱っちい尾びれという尾びれを片っ端から噛みちぎってやったら。
(アイツら、どんな悲鳴をあげるんだろうなぁ?)
ニヤッと笑ったネロの口元に、するどい歯がギラリと光った。
でも、ネロは飛びかからなかった。
目の前にとつぜん、白い人魚があらわれたからだ。ちいさな背中にネロをかばって、まっすぐ顔をあげて。
「……だれが言ったの」
びっくりしてネロはシェルを見た。
その声が、ネロでも聞いたことがないくらい冷えきっていたから。
シェルはネロの手をにぎりしめて、人魚たちをまっすぐにらみつけている。
さっきまで、あんなに真っ赤になってオドオドしていたのに。
「だれ?」
にらみつけるシェルの目は、サメの牙より獰猛で、嵐の海みたいに暗かった。
あたりの波が凍りついたように張りつめて、ウロコがチリチリ逆立った。
(こんなに怒ったシェル、はじめて見た)
ネロをにらみつけていた無数の目が、サッとそれていった。……チッ、ダセェやつら。
目をそらして気まずそうにうつむいている人魚たちを、心底軽蔑した目でにらんで、冷ややかに鼻をならして。
「ネ、ネロのことっ、二度とそんなふうに言わないでっ。……いこう、ネロっ」
震える声でそう言って、シェルが尾びれをひるがえして泳ぎだした。
シェルに引きずられていくネロの背中を、たくさんの視線が追いかけてきた。
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