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ふたり暮らし 4
シェルはまっすぐ泳いでいく。
ふたりがいつも遊んでいるサンゴの広場も、海藻の原っぱも素通りして。
ほかの人魚たちがこない丘のはずれまでやってくると、シェルが突然ふり返った。無言でネロに抱きついてきた。
あんまり勢いがすごかったから、ネロは首にシェルをぶら下げたまま砂の上にひっくり返った。
「イテテ……」
ぶつけた背びれをさすって顔をあげたら、耳元でちいさな嗚咽がきこえた。
「シェル? どうした?」
シェルはぶんぶん首をふるだけ。
ネロに抱きついている腕はギョッとするほど冷たくて、ぶるぶる震えていた。
「ぶつけたのか? 見せてみろ!」
あわてて起き上がろうとしたら、シェルが大粒の涙をまき散らしながら首をふった。
「ぼく……悔しくてっ」
くやしい?
「けどシェル、すごかったじゃん」
「すごくないよ、ぜんぜんっ! ぼく、言いたいことっ、何も言えなかった……!」
手のひらで乱暴に涙をぬぐって、シェルが歯を食いしばった。
「言い返したかったっ、もっと……あいつらっ、ネロのこと、あんなふうにっ! なのにっ、なのにっ、頭が真っ白になって……!」
(怒ってくれたんだ。シェルは、オレのために)
胸がぽかぽかした。
大人しいシェルが。
こんなに震えてるのに。ネロ以外の前では、大好きな歌だって歌えなくなるのに。めちゃくちゃ怖かったにちがいないのに。それでもあんな大勢の人魚をまえに、勇気をふりしぼってネロをかばってくれたんだ。
胸のあったかさが身体中に満ちていって、ネロはシェルを、ぎゅっと抱きしめた。
「ありがとな、シェル」
「あいつらっ、なにも知らないんだ! ネロがっどんなにすごいか! それにネロはこんなにきれいでっ、かっこいいのにっ!」
「は、はぁ!?」
それ本気で言ってんの?
だとしたらシェルの目玉はどうかしてる。
自分の姿が浅瀬の人魚たちの目にどう映るかくらい、ネロだってわかっている。
ぬらぬらと青黒い尾びれ、谷底の闇のように暗い肌、つりあがった目は呪いのようにおぞましく赤い。鉢合わせたとたん凍りつく人魚たちの表情、追いかけてくる怯えた視線を見れば、バカでもわかる。
……フン。
(オレを正面からののしる勇気もないくせに)
こんなオレが、きれいだって?
ネロがあきれて笑い飛ばしたら、「本気だよ」とシェルがにらんだ。
涙をぬぐって、すこし赤くなった目をうっとり細めて、ネロの尾びれにそっとふれた。
「大きくて、ぼくの尾びれよりずっと強い。それにこの色。夜の海みたいな深い青。すごくきれいな色。おなじ色の、きみの髪も」
「……青なんてめずらしくねーよ」
「じゃあ、きみの色だからきれいに見えるのかも」
「ふ、ふーん?」
なにそれ。
「シェ、シェルってホント、オレのこと大好きだよな!」
照れくさくて目をそらしたら、ネロの青黒い髪をなでていたシェルが、じっと、ネロの顔をのぞきこんできた。
「でもね、ぼくが一番好きなのは、きみの瞳。真っ赤なガーネットみたい。見ていると吸いこまれそうで怖くなるのに。でも、ずっと見ていたくなる」
ほっぺたがじんわり熱くなった。
シェルのまっすぐな視線が、居心地わるかった。
「……シェルってさぁ、そーいう恥ずかしいこと平気で言うよな」
「そうかな」
首をかしげたシェルを抱えて起き上がって、ネロは照れくささを蹴散らすようにニヤリと笑った。
「なあ……アレ、やりに行こうよ」
「いまから?」
シェルがキョトンとして、考えこむように眉をよせた。
アレ、というのは最近ふたりが気に入っている遊び。
海面に浮かびあがって、通りかかる船を見つけたらシェルが歌をうたっておびき寄せる。ネロがそっと忍び寄って船をひっくり返す。海に投げ出されてジタバタもがいて慌てているニンゲンたちを、尾びれで水をかけたり船を遠くへ押しやったりして、ふたりでケラケラ笑う遊び。
「どうかな」
シェルがむずかしい顔をした。
「そろそろ警戒されてると思う。おばあさまがおっしゃっていたもの。ニンゲンを侮ってはいけない、彼らは弱いけれど、執念深くて知恵のある生き物だって」
「じゃあ、これが最後」
シェルの手を握って、ネロはじっとその目をのぞきこんだ。
なんでもよかった。
とにかく思いっきり暴れて、このぐちゃぐちゃな気持ちを吹き飛ばしたかった。
「シェルだってすげー怒ってたじゃん、畑をダメにされたって。仕返ししてやろーぜ」
シェルの白い顔が、ムッとしたように険しくなった。
ニンゲンが捨てた釣り糸がからまってめちゃくちゃになってしまった海藻のことを思い出したらしかった。なにしろあの畑はどれも、シェルが出かけるたびにポシェットにひろいあつめて大切に育てていた、めずらしいサンゴや海藻たちだった。
「……いいよ」
顔をあげて、シェルがニヤリと笑った。
(うわぁ、悪い笑い方するようになったじゃん)
オレのせいかな。
「最後なら、派手にやってやろう」
「シェルのそういうとこ、オレだーいすき」
ふたりで笑って手をつないで、明るい海面めざして泳いでいった。
シェルの予感は正しかった。
ネロが狙いをつけた大きめの漁船は波のあいだにふたりの姿を見つけたとたん、大騒ぎしてニンゲンたちが船端にあつまってきたと思ったら、ふたりめがけて鋭い銛を雨のように降らせてきた。
驚いて凍りついているシェルを、ネロは手をつかんで海中に引きずりこんだ。
追いかけるように撃ちこまれた銛の嵐をすり抜けて、避けきれない銛は尾びれで引っぱたいて打ち落としながら、シェルを引きずって海の底まで逃げ帰った。
深いサンゴの森の陰に飛びこんで、勢いあまって砂のうえに転がって。
ふたりで顔を見合わせた途端、お腹の底から笑いがこみあげてきて。
「……ふっ、ふふっ」
「あはははは!」
ふたりで抱きあって砂のうえを転げまわって、いつまでもケラケラ笑いあった。
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