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下心 2

(やめてよ)  頭が真っ白で、顔が熱くて、にじんだ涙で視界がゆれた。  ネロは残酷だ。  僕がこんなに必死に、君への気持ちを押さえつけているのに。  下心だなんて言い出して、こんなふうに抱きしめて。   (ネロは僕のこと、きょうだいとしか思ってないはずでしょ)  なのに、どうして、こんなこと。 「思ってねえよ」  抱きしめられたまま、ふれあった胸にネロの声が響いた。苛立った、ぶっきらぼうな声だった。 「きょうだい? そんなこと、俺は思ってねえ」 「え……」  鼻の奥がツンとして、視界がゆれた。  それなら。   (僕たちは、一体なに?)  きょうだいですらないのなら。  子どもの頃のしあわせな日々は、ぜんぶ、僕の勘違いだったってこと?  なら、どうして。  僕を抱きしめるネロの腕は、こんなにやさしいの?    なめらかな青灰色の肌から、強くネロの匂いがする。  懐かしい匂い。  この匂いが好きだった。  ふたりで寄りそって眠っていた頃は、どんなに恐ろしい悪夢にうなされても、こっそりネロの背中にしがみついて、この匂いに包まれているだけで、安心してまた眠りにつけた。  いまは心臓が痛いくらい鳴っている。  懐かしい匂いの奥から、気づかないフリなんてできないくらい、オスのにおいが沁みだしてくる。胸がざわざわして、頭がぼうっとして、身体が不安で硬くなる。なのに尾びれの奥底から、知らない感情がこみあげてくる。   (……興奮、してるんだ)    僕、ネロのにおいに。  この身体のせいだ。  ダリオにかけられた忌まわしい呪いの。  熱をおびた疼きが、じわじわ、全身にひろがっていこうとする。   (怖い)  このまま呪いに身をゆだねたら、きっと僕は……  あわててネロの胸に顔をうずめた途端、なめらかな肌からますます強くネロのにおいを感じて、くらくらした。  鼓動がうるさい。  自分のものなのか、押しつけられたネロの胸から伝わってくる鼓動なのか、わからない。  おそるおそる顔をあげたら、熱っぽくゆれる紅い目が、じっと自分をのぞきこんでいた。  ネロの手が、シェルのあごを掴んで上をむかせた。  熱をおびた目でシェルを見つめて、ネロがゆっくり顔を近づけてくる。  青い、つややかな、ネロの唇。  ネロが目を閉じるのにつられて、シェルもぎゅっと目をとじて。  その唇に、唇がふれる直前。シェルは無理やり顔をそむけた。   (ダメだ)    だって、これは甘ったるい呪いのせい。ネロの本心じゃない。本気にするなよ、僕。  ネロがちいさく泡を吐いた。  泡と一緒にこぼれた呟きは、かすれていた。傷ついているみたいに。   「嫌か?」 「え?」 「俺とは、キスも嫌? アイツには抱かれる気だったのに? なら、どうして俺についてきたんだよ?」 「ネロ?」  なぜネロが怒っているのか、わからない。  困惑したまま見つめていたら、ハハッとネロが笑った。自嘲気味の、冷たい笑いだった。 「ああ、そうだったな。シェルは俺と、するためについてきたんだった。けど、あいにく俺は、シェルとそんなことがしたいんじゃねえ」  ネロがシェルの耳に噛みついた。歯は立てず、唇でやさしく甘噛みして、はなれていく。  耳が熱くなった。  どうすればいいかわからなくて、ぎゅっと目をつぶって、ネロの胸にしがみついた。  ネロの大きな手がシェルの背中をすべりおりてくる。  無意識に後ろへ逃げようとしていたシェルの腰をつかまえて抱きよせて、そのまま自分の尾びれをぴったり押しつけてくる。  ネロのしなやかな下腹部は、一カ所だけがゆるく膨らんでいて、それがどういう意味なのか、ネロがなにをするつもりなのか、知らないフリをして見逃してもらえるほど、シェルはもう、子どもじゃない。   「んっ」  小さく声をあげて銀色の尾びれをくねらせたとたん、逃げようともがくシェルの身体から、甘い匂いが強く香った。  自分でもはっきり感じた。  恥ずかしくて、ネロを突き飛ばして逃げてしまいたかった。  自分を見つめるネロの目が匂いに酔ったように細くなって。強くきらめく紅色が、ますます濃くなっていく。   (ネロもなんだ)    泣きたくなった。  ネロも、あのオスたちとおなじ。  信じていたのに。  この甘ったるい匂いがどんなに強くても、ネロだけは、惑わされたりしないって。 「ネロっ、待って……」 「わかった? 俺が本気だって」 「わ、わかった!」  「どうだかな」 「わかった、からっ!」  わからない。  わからないよ、ネロ。  耳元でネロが熱っぽくささやくたび、腹の奥がゾクゾクする。   「なぁ、もう限界って俺が言ったら、どうする?」 「やっ、ネロだめっ……」    恐ろしかった。  ネロが、好きだ。  親友では足りなくて、兄弟ではさみしすぎて、もっと特別な、ネロにとって、たったひとりの存在になりたいと、ずっと願っていた。  この焦燥を恋と呼ぶことくらい、シェルだって知っている。  でも、ちがう。  こんなのは、ちがう。  だって、こんなの。   (ネロじゃない、ぜんぜん別の人魚みたいだ)    真っ赤になって、ネロの胸にしがみついた。 「ここじゃイヤだ」と、必死に首をふった。  ぎゅっと抱きしめられて、自分でもくらくらするくらい甘い匂いを波にはなって。シェルの髪に顔をうずめたネロが、匂いをたしかめるように深く水を吸いこんで、またシェルの耳を甘く噛んだ。するどい歯で傷つけないよう、そっと。  ますます真っ赤になってネロの腕のなかでもがいたら、薄く笑って、もう一度、シェルを抱きしめて。 「行こう、シェル」    ネロが低くささやいて、シェルの手を掴んで泳ぎだした。      

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