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水族館デート③
「あの、翠。お弁当一緒に食べよう」
声のする方を見ると、お弁当箱を二つ抱えた千颯が階段の下に立っている。茶色の髪がフワフワと風に揺れ、幼い面立ちがとても可愛らしい。
俺と翠が大騒ぎしていたのを、不思議そうな顔をしながら見つめていた。
「あ、千颯。今行く! じゃあまたね、碧音さん」
「うん。またね」
翠は俺に手を振りながら、千颯の元へ駆け寄っていく。その嬉しそうな姿は、まるで飼い主を見つけた大型犬のようだ。
「あ、あの、碧音さん。これ、伊織先輩に渡してもらえませんか?」
「え? これを伊織に?」
突然千颯に声をかけられた俺は、思わず目を見開く。大人しい千颯から話しかけられることなんて、今までなかったから。
「この前体調不良で学校を休んだとき、心配して電話をもらったんです。そのお礼を準備したんですけど、渡す勇気がなくてこうやってずっと持ち歩いているんです」
「へぇ、伊織が千颯に電話したんだ……」
「はい。申し訳ないんですが碧音先輩から伊織先輩に渡しておいてもらえませんか? 僕、どうしても恥ずかしくて……」
耳まで真っ赤にさせながら必死に言葉を紡ぐ千颯は、やっぱり可愛らしい。そんな千颯を、見ていると危機感を覚えてしまう。
でも千颯の思いを無碍にすることもできなくて、俺は気乗りしないまま小さな紙袋を千颯から受け取った。
「わかった。伊織に渡しておくね」
「はい。ありがとうございます」
千颯は俺に向って礼儀正しく頭を下げてから、翠と一緒に教室へと向かって行く。そんな光景はとても微笑ましかった。
「翠、うまくいくといいね」
そんな二人に向かい、そっと俺は呟いた。
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