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失恋と惹かれる心②

 伊織と千颯の交際の知らせを聞いてから、俺の心はずっと憂鬱だった。ご飯だって美味しくないし、夜も眠れない。  二人は今頃一緒にいるのかな……。そんなことを考えて、更に気持ちは落ちていく。  別れてしまえばいい。そう心の底で願っていることに気付いた俺は、首を振ってその雑念を振り払う。そんなことを考えてしまう自分は最低だ。どんどん卑屈になってしまうことが、俺は悲しかった。  そんな俺の心の支えになってくれたのが翠だった。  伊織が率いるバスケ部は全国大会には及ばず、三年生はそのまま引退となる。そして新しい部長に選ばれたのは翠だった。 「翠、バスケ部をよろしくな」 「はい」  伊織に肩を叩かれる翠は、いつもより逞しく見えた。  失恋を引き摺ってどんどん腐っていく俺と、未来へと歩き出している翠。この差は何だろうか……。俺は、翠が眩しく感じられた。  そんな翠とは約束通り、毎日一緒に帰るようになった。いつも俺は、体育館の入り口で伊織のことを見つめていた。でも俺は、今同じ場所で翠を見ている。そして、俺の傍にいつもいた千颯はいない。  こんな環境の変化をなかなか受け入れられることができない。俺一人だけが取り残されてしまったような気分だ。 「体育館に伊織がいない」  ポツリと呟いたところで、時間は戻ってくれるはずなどない。俺は、伊織のいない体育館で途方に暮れてしまっていた。 「碧音さん、お待たせ。帰りましょう」 「うん。翠、お疲れ様」 「疲れました。部長って思っていた以上に大変なんですね」  こうやって卑屈になった俺を現実へと連れ戻してくれるのが翠だった。翠の明るい笑顔に、俺はもう何度も救われている。 「翠、部長になったお祝いに、駅前のたこ焼き奢ってあげるよ」 「本当ですか? 嬉しいなぁ。俺、明太子マヨが好きです」 「いいね! 美味しそうだ」  嬉しそうに顔を綻ばせる翠と一緒に歩き出す。それでも、なんやかんや言って少しずつ慣れてきたこの違和感。俺の隣を歩いているのは伊織ではなくて、翠だ。  翠は伊織よりも背が高いから、伊織と話す時よりも少しだけ目線を高くしなければならない。そんな些細な変化も受け入れられつつある。  そして俺が全く予想していなかったことは、翠が毎日駅まで送ってくれるということだった。いつも俺たちは校門で別れていたのに、翠は駅まで毎日ついてきてくれる。そこで俺たちは別れた。  「女の子じゃないんだから、わざわざ送ってもらわなくても大丈夫だよ」と言うと、「俺が好きでやってることだから気にしないでください」と逆に怒られてしまった。そう言われてしまえば、それ以上は何も言い返せずに、翠に毎日駅まで送ってもらっている。  翠がいつも使っているバス停は駅とは正反対だ。何だか申し訳ないような、気恥ずかしいような思いを感じずにはいられない。  翠に大切にされているように感じられて、心がくすぐったくなってしまった。 「いただきまぁす!」  翠が部長になったお祝いにとたこ焼きを奢ってあげれば、大きな口で美味しそうに頬張っている。そんな姿はとても可愛らしい。  あんなにたくさんいる部員の中から部長に選ばれることは、とても凄いことだ。それはいつも近くで伊織を見ていたから知っている。  何事にも一生懸命取り組む翠。いつしか翠は、俺の心のよりどころになってしまっていた。 「翠、たこ焼き美味しい?」 「超美味いです。碧音さんも一つどうぞ?」 「え? だ、大丈夫だよ! 翠のお祝いなんだから翠が食べてよ」 「でも、一つだけどうぞ」  翠がたこ焼きを一つ串に刺し、俺の目の前に差し出す。それを見て俺は戸惑ってしまった。もしかして、これを「あーん」と口を開けて食べろというのだろうか? しかも、こんな人が大勢いる駅の構内で? 俺の顔は一瞬で真っ赤になってしまった。 「大丈夫だから翠が食べて」 「え? 本当にいいんですか?」 「いいのいいの! 俺、お腹減ってないから」 「じゃあ、お言葉に甘えて」  翠が再び大きな口を開けてたこ焼きを頬張る。それから「美味い」と幸せそうに笑った。  俺の心臓は未だにドキドキと鼓動を打ち続けている。翠のような陽キャには、こんなスキンシップは日常茶飯事なのだろうか……。俺は乱れた呼吸を整えるために、翠に気付かれないよう、そっと深呼吸を繰り返したのだった。

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