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失恋と惹かれる心⑥
それから俺と翠は、お互いの心の隙間を埋めるように時間を共有するようになった。休み時間に送られてくる「授業つまんなーい」という駄々っ子のようなメールも、屋上に続く階段で相変わらず寝ている姿も、俺の心の尖った部分を丸くしてくれるような気がした。
伊織が抜けた俺の心の隙間を、翠が埋めてくれている。それは傷を舐めあっているだけなのかもしれないけれど、それでもいいって思える自分がいた。
そんなある日、昇降口で千颯の姿を見つけた。少し髪が伸びた千颯は相変わらず女の子みたいで可愛らしい。雨が降っているせいか、普段フワッとしている癖毛が、今日はクルクルと緩いウェーブを描いている。
「久しぶりだね」なんて声をかける心の余裕がない俺は、遠くから千颯を見つめていた。
きっと伊織と一緒に帰るために待ち合わせをしているのだろう。少しだけそわそわした様子を見せる千颯を見ると、心の中がモヤモヤとしてくる。幸せそうな千颯は、俺が欲しかったものをあっさりと手に入れてしまった。それがすごく羨ましい。悔しいくらい、羨ましい。
「俺、まだ全然失恋から立ち直れてないんだな」
それを思い知らされて泣きたくなってしまう。翠と一緒にいると安心するけれど、俺はまだ伊織のことが……。胸が張り裂けそうに痛む。
俺は千颯に気付かれないように、そっと翠のいる体育館に向かおうとした。そのとき突然千颯が振り返る。それからニコッと微笑みながら俺に向かい頭を下げた。
本当に礼儀正しくて、いい子だな……と感じる。
「碧音さん、こんにちは。もしかして、これから翠を迎えに行くんですか?」
「あ、うん。そうだよ」
その可愛らしい千颯の笑顔を直視することができなくて、俺は思わず視線を逸らした。「千颯は、伊織と待ち合わせしてるの?」……そう聞いてみたかったけれど、怖くて言葉にすることができなかった。
「翠、元気にしてますか? 最近ちゃんと話をする時間もないんですけど」
千颯は心配したような顔をしながら、雨が降り続く空を見上げた。
「ああ見えて翠、風邪をひきやすいんです。特にこういう季節の移り変わりの時期は、いつも風邪をひくんです。だから心配で……。喉を痛がるときには、いつもマスクをあげてたんですけど。翠、大丈夫かなぁ」
「へぇ、そうなんだ。翠はいつも元気だから、そんなこと知らなかったよ」
「ふふっ。そうですよね。翠はいつも元気ですもんね。でも、案外風邪をひいたりお腹を壊したり……本当に子供みたいで、手がかかるんです」
「そっか……」
千颯の言葉に俺の胸がまた痛む。でも先程までの痛みとは、少しだけ違う気がした。
千颯は、俺の知らない翠を知っている。そんな現実を突き付けられた気がして、寂しさを感じてしまったのだった。
「碧音さんも風邪をひかないように気を付けてください。朝晩の寒暖差が激しいですし。これよかったら舐めてください。すっごく美味しい飴なんです」
「あ、ありがとう」
「いえいえ。僕と翠も、この飴が大好きなんですよ」
千颯は優しく微笑みながら、小さなのど飴をくれた。優しい千颯は、俺のことまで気遣ってくれる。本当に優しくて可愛い子だな……って思う。
それと同時に、そんな千颯を見ていると自分がひどく醜い存在に感じられてしまった。
「じゃあ、千颯、俺行くね」
「はい。お忙しいところ、呼び止めてしまってすみませんでした」
最後まで優しい千颯から逃げるように、俺は体育館へと向かったのだった。
体育館につくと、そこには一生懸命部活をしている翠がいる。すっかり部長らしくなって、大所帯のバスケ部をしっかりまとめ上げていた。
そんな翠を見てホッと胸を撫で下ろす。きっとあのまま千颯を見ていたら、俺は嫉妬の渦に呑み込まれてしまっていたかもしれない。
考えなくてもいいことを考えて、苦しくなって……。今の俺は翠がいるからこうやって立っていることができるんだ。
「あ、碧音さん。もう少しで終わるから待っててください」
笑いながら俺に手を振る翠の笑顔に、目頭が熱くなる。少し気を抜くだけで、涙が溢れてきてしまいそうだ。
「早く部活終わらないかな……」
俺はそう思いながら、翠を遠くから見つめた。
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