26 / 68
失恋と惹かれる心⑦
その日の帰りも、翠は俺を駅まで送ってくれた。今日は朝から雨が降っていたから、俺は傘を持っていた。二人で傘をさすと自然と距離ができてしまい、俺はそれを寂しく感じる。「また傘を忘れちゃったから、翠の傘にいれてくれないかな?」なんていう嘘は、きっと通用しないだろう。
俺は、人肌が恋しかった。翠に触れたくて、触れてほしくて……これじゃあ、まるで発情期を迎えた猫みたいだと、自分のことが嫌になってしまう。
でも、翠の話し声も、少しだけ感じることのできる温もりも、今の俺には心地がいい。今の俺は、翠だけが頼れる存在に思えた。
年下なのに、しっかり者の翠。時々見せる子どものような仕草も可愛らしく思える。
「碧音さん、駅に着いたよ」
「うん」
これで翠とはお別れだ。今日は金曜日だから、少しの間だけ翠に会うことができなくなってしまう。それが寂しかったし、不安でもあった。
もっと翠と一緒にいたい。そう感じた俺は、翠の手を無意識に掴んでしまった。「ずっと一緒にいて」と素直になれない俺は、そんなことを言えるはずなんてない。かと言って、子どもみたいな我儘を言って翠を困らせたくなんてなかった。
でも、俺、翠と離れたくない。
「どうしたの?」
そんな俺の顔を笑いながら翠が覗き込んでくる。俺は翠の手を掴む指に力を込めた。翠の手は雨のせいか冷たい。自分の手で冷え切った手を温めてやりたかった。
「……なんか、離れがたいですよね?」
「え?」
「俺、碧音さんと離れたくないです。もっと一緒にいたい」
「翠……」
翠の言葉に俺はハッと顔を上げる。視線の先には優しく微笑む翠がいた。優しくて頼りがいのある翠。きっと翠と別れた瞬間、俺は不安に打ちのめされてしまう。それがすごく怖かった。
「そんな不安そうな顔をする碧音さんを、一人で帰したくない。伊織さんの代わりでもいいから、一緒にいてあげたいです」
「俺も……一人になりたくない……」
ポツリと呟いてから唇を噛む。いつから俺は、こんなにも臆病者になってしまったのだろうか。
「うん。本当は俺だって一人になるのが怖いです」
「翠も怖いの?」
「すごく怖いです」
そう笑う翠の笑顔が今にも泣き出しそうに見える。涼しげな瞳にうっすらと涙が滲んでいた。
「馬鹿だね、俺たち。また来週会えるのに」
「本当ですよね」
まるで、これが今生の別れのように感じてしまった俺たちは、なんだか可笑しくなってしまい顔を見合わせて吹き出してしまう。冷静に考えてみれば、メールだってできるし、電話だってできる。
いつだって、会うこともできるんだ。でもなんでだろう。今は離れたくない。
「次の駅まで一緒に歩きましょうか?」
「え? でも、そんなことしたら翠の帰りがどんどん遅くなっちゃうよ?」
「別に構わないですよ。もうすぐ試合だから、筋トレのために歩きます」
そう言いながら歩き出す翠の後を追いかける。なんだかドキドキしてきてしまった。
「雨が降ってなければ、もっと翠の傍にいけるのに……」
早く雨が止めばいいな。それか今度からは折り畳み傘を使って、都合が悪いときはリュックサックにしまっておけばいい。そうしたら、いつでも「傘を忘れちゃって」って言い訳ができるから……。
だって俺は、やっぱり翠から離れたくない。
これが失恋の寂しさから一人になりたくないだけなのか、純粋に翠と一緒にいたいのか。どちらなのかなんて、今の俺にはわからない。ただ、翠の存在に救われていることは事実だ。
「あと一駅先に行きましょうか?」
「え? もう一駅? 翠、大丈夫?」
「全然大丈夫です!」
そんなことを言っているうちに、いつの間にか自宅の近くにある公園まで辿り着いてしまったから、「あり得ないでしょ⁉」と二人で腹を抱えて笑ってしまった。
「今度は、俺が翠を送ってこうか?」
「そしたらキリがないでしょ?」
「そうだね、ずっと家に辿り着かない」
そんな会話で、俺たちはもう一度顔を見合わせて笑う。
いつの間にか雨は上がって、空にはたくさんの星が瞬いていた。
ともだちにシェアしよう!

