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ジンベイザメの夢⑦

 『碧音さん、急にどうしたの?』という翠からの返信にも、なんて答えたらいいかわからない。  全身から力が抜けてしまい、カタッと小さな音をたててスマホが床に落ちた。俺はそんな光景を呆然と見つめる。  スマホを片手に慌てふためく翠の顔が頭に浮かぶけれど、なんて返したらいいのかが思いつかない。 「伊織に相談してみようかな……」  そんな考えが頭を過ったけれど、俺は慌てて頭を横に振る。  伊織に相談したら「え? 碧音って翠のことが好きなの?」と変に詮索されそうだから、そんなことできるはずがない。 「どうしよう……」  その後も翠から届く心配のメールに俺は返信できずにいた。だって、「ヤキモチを妬きました」なんて言えるはずがない。俺は翠の恋人ではないのだから、翠にヤキモチを妬く資格なんて俺にはない。  ついには『ごめんね。俺、なんか碧音さんを怒らせたかな?』と翠に謝罪までさせてしまった。今の翠は、俺のことが気になって修学旅行どころではないかもしれない。  ごめん、翠……。  そんな自分が情けなくて、上手い言葉も見つからなくて……目の前が涙で滲んで、ポタリと制服にしみを作った。  その後も翠から時々送られてくるメッセージ。それに目を通すけれど、返信をすることができずにいた。  『さっきはごめんね』って送りたくて文章を打つのだけれど、送信ボタンをタップすることができない。溜息をつきながらメッセージを消す――。それをもう何度も繰り返していた。  憂鬱な気分のまま帰宅した俺は、風呂に入ってベッドに倒れ込む。寝不足の日々が続いている俺は、最近体調もあまりよくない。  こんな俺でも、沖縄に行けば気分も晴れるだろうか。  今日翠が送ってくれた沖縄の海はとても綺麗だった。こんな所が本当に日本にあるなんて想像がつかない。  翠と一緒に行けたら、きっと楽しいだろうなぁ。そんなことを考えてしまえば、胸が締め付けられるように痛んだ。  そんな中で俺が一番心を揺さぶられたのが、美ら海水族館の動画だった。ずっと写真が送られてきていたのに、それだけは動画だったのだ。  見上げる程大きな水槽の中には、美しい魚が群れを成して泳いでいる。色とりどりの魚たちは、まるで夢物語の中に出てくる生き物のようにさえ感じられた。水槽の天井からは光が差し込み、幾筋もの光の筋ができている。それはまるで光の矢のようだ。そのあまりの凄さに、俺は動画を見つめて思わず言葉を失ってしまった。  そんな水槽の中を堂々とした佇まいで泳ぐジンベイザメ。びっくりするくらい大きいのに、泳ぐ姿はゆったりとしている。その水槽の中で、一際目を引く存在だった。 「すげぇ。これがジンベイザメか」  行ってみたい。俺はそう思う。  このジンベイザメを翠と一緒に見ることができたら、どんなに感動するだろうか……。  動画を送ってくれたとき、『俺たちって本当に小さな存在ですね』というメッセージも添えられていた。  本当にその通りだね。海は広くて大きい。俺たちは学校とか家庭とか、そんな小さな水槽の中で一喜一憂しているだけなのかもしれない。  でも俺は、本当の海の広さや、本当に人を好きになるっていう現実をまだ知らない。 「ごめんね、翠」  小さな声で呟く。また涙が滲んできたから、慌ててパジャマで涙を拭ったとき、俺のスマホが着信を知らせたのだった。

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