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第五話 夏休みの宿題①

   瞬く間に時は流れて、期末試験のシーズンを迎えた。「テストなんてどうでもいいでしょう?」と駄々を捏ねる翠を何とか宥めて勉強をさせる。 「翠、夏休みに再試験を受けるのも、補修に来るのも嫌でしょ?」 「嫌だけど、テスト勉強も嫌です」 「子どもじゃないんだから、我儘言わないの!」  俺はまるで母親のように、口を酸っぱくして「勉強をしなさい」と言い続けたのだった。  渋々テスト勉強をした翠は、ギリギリではあったものの、再試験を受けることなくテストをクリアできたようだ。俺はそれに胸を撫で下ろす。  それにしても返却されたテスト用紙を見ると、五十五点や六十二点、四十三点なんて科目もある。うちの学校は四十点以下が赤点で、赤点を取った生徒はせっかくの夏休みだというのに、補習に通わなくてはならない。夏休み中に試合を控えている翠は、きっと補習なんて受けている時間はないはずだ。 「危なかった、ギリギリだ……」  俺は大きく息を吐く。俺はこんなにも焦っていたのに、当の翠は通常運転だ。テスト前の部活動休止の時期になっても全く勉強なんて始める気配がなかった。  業を煮やした俺は、毎日「勉強している?」と放課後、確認のメールを送ったのだった。だって、試合前に部長がいないバスケ部なんて、洒落にならないではないか? それなのに翠は全く焦った様子などなかった。 「ねぇ、翠。いつもどうやってテスト勉強してたの?」 「んー? また勉強の話ですか?」 「だって、期末試験本当にギリギリだったじゃん?」 「ギリギリだって、赤点を取らなければいいでしょう?」 「そりゃあそうだけど……」  俺の隣を歩く翠が、飄々と答える。翠には試験に対する危機感などはないように感じられた。俺はそんな翠を見て大きな溜息を吐く。 「今までは千颯がいたから……」 「ん?」  ボソッと翠が呟いた言葉が聞き取れなくて、俺は翠を見上げた。見上げた先の翠は、気まずそうに頭を掻き毟っている。 「今までは千颯がいたから、なんとかなってました。あいつは頭がいいから、勉強も教えてくれたし。テスト期間中は、よく一緒に勉強してました」 「そっか……」 「こんなんじゃ駄目ですよね? これからは自分でどうにかしないとなのに」  そう笑う翠はとても寂しそうに見える。きっとテスト期間中、翠は寂しい思いをしていたのかもしれない。それに気付いてあげることができなかった自分が、情けなくなった。 「俺がもっとちゃんと見てあげればよかったね」 「は? 碧音さんは何も悪くないでしょう? 俺が自分で勉強しなかったのがいけないんだから」 「でもさ……」  翠はいつも俺のことを気遣って親切にしてくれているのに、俺は翠のことを何も考えてやれなかった。そんな事実が悔しい。 「よし、これからは俺が受験勉強の合間に、翠の勉強を見てあげる!」 「え? 碧音さんが?」 「うん。俺は伊織や千颯みたいに頭はよくないけど、二年生の勉強なら教えてあげられると思う! だから、俺に任せて! 多分大丈夫だと思うんだ。多分ね……」 「あははは! 碧音さん、自信なさそう!」  最後のほうは小声になってしまった俺を見て、翠が声を出して笑っている。  それを見た俺はホッと胸を撫で下ろす。よかった、翠が笑ってる……。俺は、翠の悲しむ顔を見たくなんてなかったから。それに、翠が笑っていると嬉しくなってしまうのだ。 「じゃあ、これからはよろしくね、先輩」 「先輩?」 「そう、碧音先輩」 「やめてよ、翠に先輩なんて呼ばれると恥ずかしくなっちゃう」  突然先輩と呼ばれた俺の顔は、見る見るうちに赤くなっていく。そんな俺を見た翠が、また腹を抱えて笑い出した。  少しずつ俺たちの傷が癒えて、こんな風に穏やかな時間がずっと過ごせるようになるといいなって思う。  

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