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第六話 ファーストキス①
長いようで短かった夏休みが終わりを迎え、今日から新学期だ。
「よし、二学期も頑張るぞ!」なんてやる気も出ず、渋々制服に袖を通す。高校生活最後の夏休みは、特にこれといったイベントもなく過ぎていった。
きっと伊織と千颯は楽しい夏休みを過ごしたことだろう。もしかしたら、この夏休み中に二人の仲が深まって、体の関係をもったかも……。
「駄目だ、駄目。考えるな!」
俺は首を振って雑念を頭の中から追い出す。
こんなことばかり考えていたら、心が圧し潰されてしまう。そんなことはわかりきっているのに、俺の脳は好き勝手に色々なことを考え出してしまい……その結果、心がボロボロになっていくのだ。
これでは、夏休み前から全然進歩していない。
「もうこんなことは終わりにしないと」
そうポツリと呟いても、頭は再び被害妄想に苛まれていく。
そんな時、ふと翠の顔が思い浮かぶ。向日葵みたいに明るい翠の笑顔。
翠とは自分から距離を置こうと決めたくせに、その決心は簡単に揺らいでしまう。
お互いが寂しいからといって、自分の隙間を埋めてもらおうだなんて関係は御免だけれど、正直翠のいない生活はとても寂しかった。
翠の夏休みの課題をなんとか終わらせたその日以来、翠から何度か「遊ぼう」「たまには碧音さんの顔が見たい」と連絡がきた。でも俺は「夏期講習が忙しいからまた今度ね」と受験生らしい言い訳をつけては、翠から逃げ回っていた。
夏期講習なんて、本当は五日間だけで終わってしまうものなのに。翠に嘘をつくという現実が、俺を更に憂鬱にしていった。
結局、俺はどうすれば満足するんだ? そう何度も自分に問いかけた。
伊織への想いにけじめをつけて翠と仲良くすることができれば、きっとまた違う未来が自分を待っていることだろう。それができないならば、伊織が千颯と別れるまでじっと耐えていればいい。
千颯と別れて傷ついている伊織を慰めてやれば、もしかしたら俺の大切さに気付いてくれるかもしれない。そんな淡い期待も抱いてしまう。
でも今の俺は、先に進むことも、その場に留まることさえできないでいる。とんでもない臆病者なんだ。
「嫌だな、新学期」
俺は大きく溜息を吐く。伊織に千颯、翠と会うことがとても怖く感じられた。
恐る恐る登校すると、舎内はいつにも増して賑やかだった。皆、久しぶりに会う仲間と話が弾んでいるようだ。あちらこちらから、恋人と出掛けたといった自慢話や、バイトに明け暮れていたという自虐ネタが聞こえてくる。俺はそんな話に耳を塞いで、伊織の教室の前を足早に通り過ぎた。
でも自分でもわかっている。俺が今一番会いたくないのは翠だ。あの真っ直ぐな瞳で見つめられると、何も言えなくなってしまう。
その場を取り繕う言い訳も、嘘も……全部が翠に見透かされてしまう気がするのだ。
寂しいとか、苦しいとか。本当は誰かと一緒にいたい、とか……。俺は、翠に弱い人間だなんて思われたくない。そんな風に素直になれない自分が、翠を拒んでしまうのだ。
もし学校で翠に会ってしまったらどうしよう。色々シミュレーションをしてみるんだけど、なかなかいいアイディアは思いつかない。
俺は意味もなくビクビクしながら、教室に向かったのだった。
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