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ファーストキス⑧
顔を真っ青にしながら学校に駆け付けた両親に付き添われ、病院を受診した俺は、検査の結果、特に異常もなく帰宅したのだった。
それでも顔は腫れているし、鏡を覗き込めば右目の周りにパンダのような痣もある。こんな顔では、当分学校に行けるはずもない。
大体、翠にこんな不細工な姿を見せることが嫌だった。
「数日間学校を休ませます」
そう担任の教師と電話で話す母親を呆然と眺める。きっとあの後、俺の不祥事でクラス中大騒ぎだったはずだ。そう考えると、穴があったら入りたい、という衝動に駆られる。
「もうずっと学校なんて行きたくない」
俺は頭を抱えて、その場に蹲ったのだった。
◇◆◇◆
球技大会の翌日、翠からメールが届く。『碧音さんにお見舞いの焼きそばパンを持ってきました。ドアノブにかけておきますから、後で回収してくださいね』……そんな短い文章に、俺の心は飛び跳ねてしまう。
わざわざお見舞いにきてくれるなんて……。きっと伊織あたりから俺の自宅の場所を聞いたのだろうけど、翠の自宅は恐らく反対方向だ。そのいつもと変わらない優しさに、胸が熱くなった。
メールを貰った直後、俺は自室の窓から顔を出す。もしかしたら、まだ翠が近くにいるかもしれないという、淡い期待を抱きながら。
「あ、翠だ……」
想像通り、翠はまだ自宅のすぐ傍にいた。
「翠、待って! 話があるんだ!」
「あ、碧音さん!」
窓から体を乗り出して大声で叫ぶ俺に、翠がびっくりしたように目を見開く。それからいつものように、ニッコリと微笑んだ。
「ちょっと待ってて。今行くから!」
「はい。待ってますから、ゆっくりで大丈夫です」
俺は慌てて翠の元へと向かう。顔が腫れているとか、パンダみたいな痣があるとか……そんなことは頭からすっぽりと抜け落ちてしまっていた。
ただ、翠に謝りたい。その一心だった。
息を切らして翠の元に辿り着いた俺は、何度か深呼吸を繰り返して弾んだ息を整える。それから勇気を振り絞って翠を見上げた。そんな俺の勢いに翠が驚いたような顔をした後、フワリと笑った。
「翠、ごめん。俺、翠の言う通り、翠のことを避けてた! 本当にごめん!」
「やっぱり、俺のこと避けてたんですね」
「うん、避けてた。本当にごめんね」
俺が翠の様子を窺うように顔を上げると、翠が大きく息を吐いた。
「なんだ、すごい剣幕で飛んできたから、もっと重要な話があるのかと思いました。昨日ボールに当たった衝撃で、後遺症が残ったとか……。でもよかった、元気そうで……」
翠がホッとしたように胸を撫で下ろしている。そんな優しさが痛いくらいだ。
「で、碧音さん。なんで俺のことを避けてたのか、理由は教えてもらえるんですか?」
「え?」
「俺を避けてた理由を教えてもらわなきゃ、納得できるはずがないでしょう?」
「あ、そうだよね……」
眉間に皺を寄せながら俺の顔を覗き込んでくる翠。恥ずかしくて、少しずつ顔が熱くなっていった。
それにもしかしたら、昨日俺は翠とキスをしたかもしれない。翠の形のいい唇を見ると鼓動が高鳴っていった。
どうしよう、恥ずかしくて本当のことが言えない。俺はまた何も言えずに俯いてしまう。結局俺は、弱虫だ。
そんな俺を見た翠が、ふっと笑った。
「俺、碧音さんに避けられて本当に寂しかったです。だから、こうやって追いかけてきてくれて、謝ってくれただけで十分なんです。理由が知りたいなんて、欲張ってしまってごめんなさい」
深々と頭を下げる翠を見ていると、俺は本当のことを伝えなくちゃいけないんだと思う。
こんな風に真正面からぶつかってきてくれる翠に、俺も向き合いたい。勇気を出して、翠にぶつかってみたい。そう思える自分がいた。
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