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迷い猫の文化祭⑤

「とりあえずここに避難しよう」 「うん」  翠に連れて来られたのは社会科準備室。社会科準備室と言っても、今は使われていない六畳くらいの小さな部屋に段ボールが山積みにされているだけの空き教室だ。そこには、地球儀やら大きな地図やらが、埃をかぶったまま置かれていた。  社会科準備室の中は埃臭かったけれど、近くに人の気配は感じられない。俺は全身の力が抜けてしまい、壁にもたれかかった。  翠が一つしかない教室の入り口を閉めると、薄暗い部屋が更に暗く感じられる。居心地の悪さを感じた俺は、無意識に身震いをした。 「ったく。碧音さんはあんなところで何してたの?」 「何って……」 「伊織さんと千颯がイチャイチャしているところを真っ青な顔で見てて……。あんた、覗きの趣味でもあるの?」 「そ、そんな趣味ないよ! そんな言い方しなくったっていいだろう?」  あまりにも失礼な翠の言葉に、俺はついムキになって言い返してしまう。だって、あまりにも酷すぎるではないか。俺はこんなにも傷ついているのに……。  再び俺の目頭が熱くなった。 「じゃあ、すぐにあの場から離れろよ。傷つくのは碧音さんなんだぜ? 俺があのとき昼寝に来てなかったら、あんた、続けて何を見せられてたか……。本当に勘弁してよ」 「あ……」  その言葉を聞いた俺は思わず息を呑む。翠は俺のことを心配して、こんなに怒っているんだ。頬を紅潮させ俺を睨む翠を見て、俺はハッと我に返った。  こんなに怒っている翠を見たことがない。俺の為にこんなにも真剣に怒ってくれているんだ――。そう思うと、胸が熱くなった。 「翠、俺怖かった。あの場から逃げたいのに、体が動いてくれなくて……怖かった、怖かったよぉ……」 「よしよし、怖かったね」  翠が俺の頭を優しく撫でてくれる。その筋張った大きな手が心地よくて、自然と涙が溢れ出した。 「別に泣いてもいいよ。碧音さんが泣くなら、俺も一緒に泣くから」 「ふふっ。なんだよ、それ」  俺の頬を伝う涙を、翠がシャツで拭ってくれる。二人で顔を見合わせて「プッ!」と吹き出した。  よかった、翠が来てくれて……。途端に体の力が抜けてしまい、俺は教室の壁に寄りかかったまま床に座り込む。耳を澄ませると、遠くから楽しそうな笑い声が聞こえてきた。 「あとさ……」 「ん?」  翠の照れくさそうな声に俺は顔を上げる。視線の先には、顔を真っ赤にした翠が目の前に座り込んでいた。そんな翠を見た俺まで恥ずかしくなってしまい、意味もわからずもう一度俯いた。 「碧音さん、なんで猫の耳と尻尾をつけてるの?」 「え? 耳? 尻尾?」  その言葉に俺はハッとする。今まで耳と尻尾をつけたまま校舎の中をウロウロしていたことに、今更ながら気が付いた。そう言えば、やけに色んな人の視線を感じた気がする  穴があったら入りたい……。顔から火が出そうになって、慌てて両手で火照る頬を抑えた。 「ねぇ、なんで?」  翠が悪戯っぽい顔をしながら顔を覗き込んでくるから、思わずギュッと目を瞑った。俺の頭についている猫の耳を、フニフニと優しく触っている。 「この耳、柔らかくて気持ちいいね」  きょ、距離が近い……。翠の吐息が頬にかかって、俺は緊張のあまり倒れそうになってしまった。 「ぶ、文化祭の出し物で、俺のクラスはパン屋さんをやってるんだ」 「パン屋さん?」 「そう。子猫のパン屋さん」 「へぇ。何それ?」 「いや、だから、あの……子猫がコネコネってパンを捏ねるんだ。昔、教育番組でそんな歌があっただろう?」 「知らない。でも……」  翠が意味深に微笑んでから、俺の頬にそっと触れる気配がした。恐る恐る目を開けると、優しい笑みを浮かべた翠と視線が絡み合う。  突然のイケメンのドアップに、俺の貧弱な心臓が止まりそうになってしまった。

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