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最終話 残り物の僕たちは①
俺は真っ白な紙を前に溜息を吐く。もう何日も前に担任の先生から配られたはずなのに、俺はこの紙に何も記入することができずにいた。
「碧音、何やってんの?」
「あぁこれ? 進路希望を書く用紙だよ」
「進路希望?」
「うん。俺は一応進学希望だから、第三希望まで学校名を書かなきゃなんだけど。どの学校に行ったらいいかなんてわからなくて……」
「へぇ……」
「そもそも、本当にその職業に就きたいのかもさえはっきりしなくて」
先程から俺の隣で昼寝をしていた翠が目を覚まし、手元を覗き込んでくる。
それは暖かな日差しが差し込む放課後の出来事。図書室で進路調査の用紙を目の前に悪戦苦闘していると、翠が図書室にやって来た。どうやら今日は部活が休みらしい。
文化祭が終わったこの時期、三年生は一気に受験モードに突入した。
「碧音は、将来なりたいものとかあるの?」
「一応あるけど……漠然としてて現実味がないんだ」
「そっか。碧音、もうすぐ卒業しちゃうんだね」
「うん。そうだね」
俺が卒業することを寂しいと思ってくれているのだろうか? 翠は唇を尖らせて寂しそうな顔をした。
そんな顔をされると、翠を残して卒業することに後ろ髪を引かれてしまう。でも俺たちは同級生ではないから、ずっと一緒にいることはできない。俺は翠より先に卒業していかなければならないのだから。
どうすることもできない年の差が、寂しく感じられた。
「碧音がこの学校からいなくなっちゃうなんて想像がつかない。碧音はずっと俺の傍にいるものだと思ってたし。だから寂しいなぁ」
「そうだね。俺も寂しい」
「本当に?」
「うん。翠と同級生に生まれてきたかったって、最近思うよ」
「碧音……」
翠が目を潤ませながら俺を見つめた。そんな寂しそうな顔をする翠に手を伸ばして、そっと髪を撫でてやる。クスンと鼻を鳴らす翠が可愛かった。
「ねぇ、碧音!」
「え? 急になに?」
翠の頭を撫でてやっていた手を、突然両手で掴まれる。その予想外の行動に俺は思わず目を見開いた。びっくりし過ぎて、呼吸が止まってしまう。
「碧音。進路が決まってないなら、第一希望は俺のお嫁さんでいいじゃん?」
「お、お嫁さん……?」
「そう、お嫁さん。ねぇ、碧音。この意味わかるでしょ?」
「…………」
「俺、碧音より年下だけど、碧音を守れるような男になるから。だから、俺のお嫁さんになって? ずっと俺の傍にいてよ」
俺の手を握る翠の両手に、更に力が籠められた。
翠の真っ直ぐな瞳に、俺は言葉を失ってしまう。何も言い返せずに黙ったまま翠を見つめた。
翠も真っ赤な顔をしながらも、俺から視線を逸らすことはない。俺たちは無言で見つめあった。
誰もいない図書室は静まり返っていて、二人の心音が聞こえてきそうだ。
遠くから楽しそうにはしゃぐ女子生徒の声が聞こえてきて、遥か遠くで下校時間を知らせるチャイムが鳴っている。
「俺のお嫁さんになって……。絶対に幸せにするから」
今にも泣きそうな翠が俯く。長いまつ毛が影を作り、とても綺麗だ。俺はそんなことをぼんやりと思った。
でも俺は、恥ずかしくて何も言えなくなってしまう。
翠の言いたいことが手に取るようにわかるのに、意気地なしの俺は、その一歩を踏み出すことができない。
――俺も、翠のお嫁さんになりたい。翠とずっと一緒にいたいから。
でもその一言が言えずに、俺は唇を噛み締める。
弱虫な俺は、翠の気持ちに気付かないふりをした。本当は叫びたいくらい嬉しかったのに、俺は恥ずかしくて素直になることができない。
心臓がドキドキと高鳴って、うるさかった。
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