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残り物の僕たちは⑤
「はぁはぁ……」
息が苦しいけれど、俺は走り続ける。翠が追いかけてきたら……と思った俺は、できるだけ翠が近寄らなそうな場所を選んで走り続ける。それでも気が付いたときには、社会科準備室まで走ってきていた。
「あ、ここは……」
社会科準備室は文化祭の日に、伊織と千颯が抱き合う光景を目撃して動けなくなっていた俺を、翠が連れてきてくれた場所だ。
辺りはあの日のように静まり返っている。狭い教室に差し込む弱い夕日も、もうすぐ沈んでしまいそうだ。
俺は薄暗くなった教室に入り、床に座り込む。もう動けない……。疲れ切った俺の体は悲鳴を上げていた。
「ここに誰もいなくてよかった」
俺は涙を拭ってから、呼吸を整える。
今、昇降口に向ったら、もしかしたら翠が俺のことを待ち構えているかもしれない。そう思うと怖くなってきてしまい、もう少しここにいようと膝を抱えて蹲った。
逆に待っていてくれなかったとしても、きっと俺はショックを受けてしまうだろう。そう思うと、自分の勝手さに嫌気がさしてしまった。
こんな優柔不断な俺だから、翠に愛想をつかされてしまったのかもしれない。
「疲れたなぁ」
俺は床に座り込んだまま、ボンヤリと教室の黒板のことを思い出す。黒板には大きな文字で「卒業まであと14日!!」と書かれていた。
「ようやく翠に会えると思ったのに……」
頭を抱えて蹲っていると、全身が凍り付いたように寒くなってくる。俺は思わずブルブルッと身震いをした。
寒いのは体だけではなくて、心もだ。心が凍えてしまいそうに冷たい。俺は自分の体を抱き締めて、そっと目を閉じる。たくさん動いたせいか、なんだか眠くなってきてしまった。
文化祭の日、落ち込む俺を翠がここに連れてきてくれた。俺は翠の姿を見た瞬間、ひどく安堵したことを覚えている。
『可愛い迷い猫、見つけた』
あの時翠が言っていた。翠は残り物の俺のことを、いつも可愛いって言ってくれたんだ。可愛い……と幸せそうに笑う翠の顔が思い起こされて、俺の心は締め付けられる。
「猫の耳と尻尾がないから、もう可愛くないのかな……」
自分の頭に触れてみても、文化祭の日に頭に乗せられていた猫の耳はもうない。尻尾だって、なくなってしまった。だから、俺はもう可愛くないのかもしれない。
『可愛い』
翠の笑顔と声が、少しずつ遠退いていくような気がした。
残り物は俺一人だけ。ただそれだけのことだったのに、どうして今まで気が付かなかったのだろうか。
全部忘れよう。俺は夢を見ていただけなんだ。
そう自分に言い聞かせる。それでも心はズキズキと痛み続けた。
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