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第5話 師匠は俺のものだから
翌日、辺境警備隊の詰め所に出勤したサイラスは、上司に兄の訃報を伝え、実家に戻るため数ヶ月程の休暇を申請した。
「サイラス、お前の実家は王都だったな。ここからだと馬を走らせて片道二週間くらいか。しばらく帰っていないんだろう? ゆっくりしてくればいい」
「ありがとうございます」
詰め所を後にしたサイラスは自宅に戻り、急いで出立の準備を整える。
昨夜オメガの発情抑制剤を作れるだけ作ったけれど、予定していた数の半分も作れなかった。
「すみません、大家さん。急に実家に戻ることになってしまって、しばらく留守をします。お願いされた数は用意できなかったのですが、残りは戻ってきたら作りますので」
そう言ってサイラスは大家の女性店主に、発情抑制剤の入った袋を手渡した。
「ありがとう。気にしないで行っといで」
おおらかで気前のいい女性店主は兎の獣人で、オメガに対する理解もあり、サイラスの留守中でも安心して任せていける。
サイラスは店主に別れを告げると、荷物を抱えて馬に乗った。
雑多な街並みを通り抜けると、サイラスは城下町の外へと馬を走らせる。
だがいくらも進まぬうちに、後を追ってくる蹄の音に気づいて、馬を止めた。
「師匠!」
振り返った先にいたのは、サイラス同様馬を走らせるヴァルトの姿だった。
「ヴァルト⁉ なんでお前が?」
「王都に行くため長期休暇を取ったと、団長より説明を受けました」
「そうか、だったらあとは頼む。しばらく俺抜きになるけれど、ヴァルトがいるなら警備体制も問題ない」
「俺も休暇を貰いましたので、師匠に同行します」
しれっと答えたヴァルトに、一瞬サイラスはポカンと間の抜けた顔を浮かべた。
「はっ? 同行? ついてくる気か?」
「はい」
「何言ってるんだ! 駄目だ! 今すぐ帰れ!」
サイラスはヴァルトを無視して、馬を走らせようとした。
だがヴァルトの一言が、サイラスを凍りつかせる。
「師匠は今、発情期なんでしょう? 一人で王都になんか行かせられませんよ」
ギョッとしてサイラスはヴァルトを見据える。
「あなたを一人にするなんてできません。…………危険すぎる」
ボソリと呟かれた言葉に、サイラスは動揺する。
「な…………なに言ってるのか、意味の分からないことを言うな…………大人をからかうんじゃない!」
サイラスは吐き捨てたが、ヴァルトは真剣な面持ちのまま、じっとサイラスを見つめていた。
まるで射殺すような赤い眼差しは、静かな怒りを帯びていた。
「俺は知ってましたよ。師匠がオメガだって」
ヴァルトの言葉に、サイラスは「ヒュッ」と息を呑む。
まるで鋭利な刃物で、胸を一突きにされたような衝撃を感じて、サイラスの首筋に冷たい汗が流れていく。
全身が震えて過呼吸を起こし、傾いた体が落馬しそうになったところを、慌てたヴァルトに支えられる。
「すみません。驚かせてしまって。馬から降りて、少し休みましょう」
ヴァルトに促され、サイラスは素直に従った。
街道を逸れた場所にあった大きな木の根元に馬を繋ぎ、その木陰にサイラスはヴァルトと一緒に座り込んだ。
呼吸が落ち着き、全身の震えが止まるまで、どれくらい時間が経ったのだろうか。
ようやく落ち着いたところで、サイラスはおもむろに口を開いた。
「…………いつから気づいてた? 俺が…………オメガだって」
「最初からです」
「最初から?」
サイラスの問いにヴァルトは頷く。
「師匠に初めて会った時にはもう、分かっていました」
サイラスがヴァルトと出会ったのは、今から十年も前だ。
「そんなに前から…………知ってたのか…………」
愕然として言葉を失ったサイラスに、ヴァルトは必死に訴えた。
「俺は狼の獣人だからっ。鼻が良いんです。人間には分からないような微かな匂いも、俺には分かる」
サイラスの血の気の引いた青い顔を見て、動揺したヴァルトは狼の耳を後ろにペタリと倒した。
「師匠がオメガであることを、知られたくないって思っているのは、とても良く分かってました。だから気づかないふりをしてきたんです。でも、あなたは…………ほっとくと危なっかしいし」
「はっ? どういう意味だよ?」
ムカッとして言い返したサイラスを見て、ヴァルトがほっと息をついた。
「やっといつもの師匠に戻ってくれた」
ふふっと穏やかな笑みを向けられて、サイラスはぷいっと顔を背ける。
「マーキングしてるんですよ。俺の匂いを付けているんです、師匠に。師匠に近づく奴への威嚇にもなるし、あなたがどこに居ようと、俺にはお見通しなんです」
「マーキング? マーキングって、縄張りに付けるあれか? なんでそんなもの俺に?」
「縄張りだけじゃありませんよ。マーキングは所有の証でもあるんです」
「所有の証?」
意味が分からず首を傾げたサイラスに、ヴァルトはとんでもないことを告げた。
「師匠は俺のものだからです。俺は初めて会った時から、あなたを番にするって決めてましたから」
ブンブンと揺れる狼の尻尾が、まるで褒めて欲しいと訴えているようだ。純粋な好意を向けられて、サイラスは困惑した。
「あのな…………初めて会った時って…………お前まだ十歳のガキンチョだっただろうが」
はぁーっと大きなため息をつくと、サイラスは頭を抱えた。
「俺を番にしたいなんて…………それは勘違いってやつだ。ヴァルト、お前はまだ若い。身近にいたオメガが俺しかいなかったから、そう思い込んでいるだけだ。もうすぐ三十路のおっさんじゃなくて、お前だったらもっと、若くて器量の良い人が見つかるはずだ」
「俺は、師匠が良いんです!! あなたじゃなきゃ嫌だ!!」
クワッと噛みつきそうな勢いでヴァルトが叫ぶ。
サイラスは再び大きなため息をついた。
(まるで子供のわがままだ。でも…………可愛いんだよな、弟みたいで)
「仕方がない」
「もしかして、番になってくれるんですか?」
目を輝かせたヴァルトに、サイラスは速攻で否定した。
「そっちじゃない。一緒に王都に行くんだろう? 同行は許してやる。ただし…………」
サイラスはヴァルトの大きな狼の耳を指差す。
「耳と尾は隠せ。フードとコートは絶対に脱ぐなよ。王都は辺境とは違うんだ。獣人への差別が酷い」
「分かりました」
ヴァルトは口を引き締めながら頷いた。
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