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第6話 お兄ちゃんは……助けてくれるの?
馬を走らせて数時間、西の空が赤く染まり、間もなく日没を迎えようとしていた。
「日が暮れる前に、町に着いて良かった」
サイラスは馬から降りると、手綱を引いて歩いて行く。
その後ろを追うように、ヴァルトも続く。
この田舎町はガーディアンウォール辺境伯の城下町に一番近い町で、ここを出ると次の領へと変わる。
そこそこ賑わっている中心街を移動しながら、サイラスは今夜の宿を探した。
数軒の宿屋を巡り、ようやく空いている宿に一部屋取った。
部屋に入るなりサイラスは急にめまいを感じて、ベッドに横になる。
「悪い。ヴァルト、先に休ませてくれ」
「師匠、大丈夫ですか? 夕飯はどうしますか?」
「夕飯はいらない。食欲がないんだ。兄の事があって、昨夜は殆ど眠れなかったから」
長兄トリスタンの訃報でショックのあまり、眠れなかったのは本当だ。だがもう一つの理由は、サイラスは口にしなかった。
(オメガの発情抑制剤を作っていたからなんて言ったら、ヴァルトはまた不機嫌になるから)
サイラスが身を削ることをヴァルトは何よりも嫌がるのだ。
(心配してくれるのは、嬉しいけど)
ヴァルトはサイラスに対して、過保護すぎるのではないかと思っているのだ。
(七歳も年下に心配されるなんて、不甲斐なさすぎだろ)
「それじゃ俺は夕飯を食べに町を散策してきます。帰りに何か師匠の食べられそうな物、買ってきますね」
ヴァルトはそう言い残して部屋を出て行く。
その後ろ姿を見つめながら、急な眠気を感じてサイラスはそっと目を閉じた。
その日はガーディアンウォール辺境伯領が、猛吹雪に見舞われた日だった。
まだ十七歳の見習い騎士だったサイラスは、ベテラン揃いの先輩騎士達に従って、密入国を果たしたならず者の一団を捕縛する任務に就いていた。
ならず者たちは人身売買組織の一員で、奴隷として遠い獣人の国エリンドルやガラハッド王国の農村地帯から、幼い獣人の子供や十代前半のオメガの少年少女たちを拉致してきていた。
「ひでぇ事をするもんだな。こんな子供にまで」
先輩騎士の誰かが呟く声が聞こえる。
ならず者たちが乗って来た幌付きの大型の馬車の中には、拉致されて来た子供たちが、積み荷として乗せられていた。
馬車を覗き込んだサイラスの目には、理不尽な暴力を受け、ボロボロになった被害者たちの姿が映る。
人間よりも遥かに身体能力が高い獣人の子供たちは、徹底的に体を痛めつけられ、抵抗できないように奴隷の証である隷従の首輪が着けられていた。
人間のオメガの少年少女たちは、麻薬を投与されて虚ろな目をしている。
彼らは商品として売られるためだけに、マインドコントロールを受け、自我を封じられていた。
「そこの騎士の兄ちゃん、綺麗な顔してるなぁ。あんただったら、王族にでも売れそうだ」
突然下卑た声で話しかけられて、サイラスはゾクリと肌が粟立つ。
縄で捕縛されたならず者の一人が、サイラスを舐めるように見つめ、口元を歪ませていた。
(母上もこんな輩に捕まったのか!)
身も心もボロボロにされた被害者たちの姿に、サイラスは母であるマイロの顔が浮かんだ。
麻薬を投与され、呆けたように涎を垂れ流すオメガたちの姿に、サイラスは吐き気がこみ上げてきて青ざめる。
(俺も捕まったら、こうなるのか)
「おい、サイラス。大丈夫か? 酷い顔してるぞ。お前は少し休んでろ」
先輩騎士に言われて、サイラスは慌ててその場を離れる。
雪に覆われ白く染まった木の根元まで来ると、我慢できずに嘔吐してしまった。
腹の中にたまっていた物を吐き出すだけでは済まず、胃液まで吐き出して、サイラスはガックリとその場に蹲る。
母の言っていた、悪いアルファに捕まったオメガの末路を見せつけられて、急に怖くなったのだ。
彼らの姿は、明日の自分の姿かもしれない。
背筋に悪寒が走って、サイラスは身を縮めた
「そこの騎士の兄ちゃん、綺麗な顔してるなぁ。あんただったら、王族にでも売れそうだ」
性欲に塗れた目で、下卑た顔をしていたならず者の言葉が脳裏に響いて、忘れられない。
(怖い。俺もあんな目で見られているのか)
ガクガクと膝が震えて、すぐには立ち上がれそうもなかった。
どれくらい蹲っていたのだろう。
ようやく吐き気も治まり、体の震えも止まった時だった。
吹き付ける猛吹雪の中に、黒い人影が倒れている姿を見つけたのだ。
「子供?」
サイラスは雪をかき分けるようにして、人影に近づいた。
そこに倒れていたのは、やせ細った獣人の子供だった。
黒い髪に大きな立ち耳、狼の獣人の子だ。
顔には殴られた跡があり、首には奴隷の証である隷従の首輪が嵌められている。
よほど抵抗したのか、馬車の中で見た獣人の子供たちよりも、激しい暴力を振るわれたようだった。
(可哀想に⋯⋯)
この子供は自力で逃げ出したのだろう。
ボロボロになっても自我を失わず、最後まで諦めない。そんな強さを感じて、サイラスは胸が締め付けられた。
倒れている子供をそっと抱き上げた時だった。
意識を失っていた子供が、うっすらと目を開いたのだ。
澄んだルビーのような赤い瞳に見つめられて、サイラスはたまらず子供をぎゅっと抱きしめた。
「もう大丈夫だ」
そう囁くように告げる。
「お兄ちゃんは⋯⋯助けてくれるの?」
たどたどしい口調で問われて、サイラスは頷く。
「うん。助けてやる。俺が守るから、心配しないで良いよ」
サイラスの腕の中で獣人の子は、安心したのか柔らかい笑みを浮かべた。
(この子の名前は? 俺はこの子の名前を知っている。この子の名は⋯⋯)
「師匠! 大丈夫ですか?」
突然耳元で聞こえた声に、サイラスは目を覚ました。
「酷くうなされていました。熱が上がってるんじゃないですか?」
ひんやりとした手が額に触れる感覚に、サイラスはようやく目の前にいるヴァルトの姿に気づいた。
「ヴァルトか?」
いつの間に戻って来ていたのか、夕飯を終えたヴァルトが心配そうにサイラスの顔を覗き込んでいた。
「これ飲んでください。発情抑制剤と、念の為解熱剤も」
コップに汲んだ水と、薬を手渡される。
サイラスは震える手で受け取り、なんとか薬を嚥下した。
「もう少し休んでください。薬が効いてくれば、楽になりますから」
ヴァルトの優しい手で髪を撫でられ、サイラスはうっとりと目を閉じる。
(あんなに小さかったヴァルトの手が、いつの間にこんなに大きくなっていたんだろう?)
そんな思いに駆られながら。
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