7 / 34

第7話 たった一つの光

 熱が上がり汗ばんだサイラスの髪を優しく撫でながら、ヴァルトは幼い頃を思い出していた。  (師匠はいつだって俺を守ってくれた)  奴隷として売られるために、エリンドルの孤児院から仲間達と拉致され、人間の王国ガラハッドに連れて来られた日。  人身売買組織の商人達の暴力に耐えかね、ヴァルトは一人荷馬車から逃げ出したのだ。  外は雪が吹き荒ぶ嵐で、真っ白に染まり、右も左も、上も下も分からない。  平衡感覚を失って、ヴァルトはいくらも進まぬうちに、身動きが取れなくなった。  冷たい雪の中に倒れ込み、寒さに凍え、このままでは死んでしまうと恐ろしかったけれど……  ヴァルトは自分が死んだ所で、誰も悲しむ人はいないと思い出した。  母と二人故郷を追われ、獣人の国エリンドルに逃げ込んで、ひっそりと身を潜めた日々。  いつしか疲弊した母に、ヴァルトは結局捨てられてしまったのだ。  独りぼっちのヴァルトがどこで死んでも、誰も気に掛けはしない。  だからこのまま行き倒れて、それで楽になるなら……  そう思った時、温かい腕に抱き上げられたのだ。 「もう大丈夫だ」  うっすらと霞む視界の先に見えたのは、まるで陽の光のように輝く金の髪と、優しい翡翠色の瞳だった。 「お兄ちゃんは⋯⋯助けてくれるの?」  縋るように問いかけると、綺麗な少年は迷う事なく頷いたのだ。 「うん。助けてやる。俺が守るから、心配しないで良いよ」  そんな言葉をかけてくれたのは、サイラスが初めてだった。  サイラスは言葉を違える事なく、ヴァルトを守ってくれた。  辺境警備隊が保護した獣人の子供達と、オメガの少年少女達が故郷へと戻される事になった日。  ヴァルトは一人この地に残る事を決めた。 「俺はお兄ちゃんの側が良い!」  泣きながらサイラスに抱きつき、どうしてもエリンドルへは帰らないと駄々をこねるヴァルトを見て、サイラスは「分かったよ」と微笑んでくれたのだ。 「お前がちゃんと面倒を見てやるなら、許可してやる」  サイラスは上司に掛け合い、許可を得て、正式にヴァルトの保護者になってくれたのだ。  ヴァルトは騎士として認められるまで、サイラスと寝食を共に暮らした。  ヴァルトに剣技を教えてくれたのも、サイラスだった。  身を守る術も知らないヴァルトに、一から武器の扱い方を教え、この人間の国で生きていく為に必要な物を、全て与えてくれた。  ヴァルトが今こうして生きていられるのも、サイラスのおかげなのだ。  師匠であり、たった一人の守護者だったサイラスは、ヴァルトにとって唯一無二の愛する人で、誰にも渡せない希望の光。  (師匠を守るためだったら、俺は……)    ヴァルトが物心つくよりも遥かに昔の話。  人間の王が治めるガラハッド王国から遠い北方に、獣人の住む森林の国エリンドルがあった。  エリンドルには多種多様な獣人の一族が住んでいた。  そのエリンドルのさらに北には、氷河に覆われたツンドラ地帯がある。  寒さが厳しく、侵入する者を拒むような自然環境の中、ひっそりと暮らす狼の獣人の一族がいた。  その一族は皆美しく輝く銀の髪をしていて、静かな湖畔を思わせる深い青い目を持っていた。白く透き通るような肌に、彫刻のように整った容姿の一族は、普通の獣人とは違う神々しさがあった。  そんな一族の長の元に、黒い髪に赤いを目した子供が産まれた。  雪と氷に閉ざされたこの白い世界で、黒い髪は明らかに異質だった。 「この赤子は悪魔の子に違いない」 「神聖なる長の子であってはならぬ」 「この先、我らに不幸をもたらす前に、今この場で息の根を止めるべきではないか?」 「神に牙を剥き、大いなる罪過を犯す前に」 「赤子を殺せ」  一族を率いる長の重鎮たちは、皆口々に赤子を殺せと口にした。  だがそんな者たちに、赤子の母は追い縋った。 「お願いです! それだけは! それだけはお許し下さい!」  産後の体に鞭を打ちながら、泣きながら赤子の命乞いをする。  そんな妻の姿を憐れんだ一族の長は、重鎮たちを説き伏せ、赤子の命だけは取らぬと決めたのだ。  だが異質な黒髪の赤子は、一族に迎え入れられる事はなかった。  迫害を恐れた赤子の母は、一族から離れて赤子と共に獣人の国エリンドルへと逃げ延びたが、黒髪の忌み子を抱えて逃亡する生活は困窮を極めた。  数年が過ぎた頃、追い詰められ精神を病んだ忌み子の母は、我が子を道連れに命を絶とうとした。  しかし死にきれず、生き残ってしまった母はある決断をする。  我が子の力を封じ、エリンドルの地に捨てる事にしたのだ。  自らの手で子供の命を奪う前に。 『いつかあなたが自分の力で自分の命を守れるようになったら。その時が来れば、封印は解けます』  そう幼子に言い残し、母は消えた。  取り残された子供は孤児院に引き取られ、ずっと母が迎えに来るのを待っていた。  何年も何年も待ち続けたが、母は迎えに来てはくれなかった。  自分は母に捨てられたのだと、ようやく黒髪の子供が受け入れた時には、十歳になっていた。  それは絶望の淵にいたヴァルトが、たった一つの光を見つけるまでの、遠い昔の話だった。  

ともだちにシェアしよう!