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第10話 お前の奴隷か?

 ヴァルトの体温に包まれて、サイラスの体がじんわりと温まってきた時だった。  ヴァルトの大きな狼の耳が突然何かを聞きつけて、ピクリと反応する。 「ヴァルト?」 「何か近づいてきます」  間もなく止まらない雨の音に混じって、微かに馬の蹄の音が聞こえてきた。 「騎乗する者が二人と⋯⋯馬車が来ます。ずいぶん移動速度が早い」  こんな雨の中、わざわざ墓参りに来る者がいるとは。  馬車で来るくらいだ。高位貴族かもしれない。  (あまり鉢合わせたくないな⋯⋯ヴァルトもいることだし) 「雨が止むまでここにいたかったが。そろそろ移動しよう」  サイラスは身じろぐと、そうヴァルトに声をかける。 「分かりました」  ヴァルトは名残惜しそうにサイラスを腕から解放する。  へにょりと倒された耳が、とても残念そうに見えた。  サイラスが待たせていた馬の手綱を握った時だった。  足元の泥を跳ね上げながら、騎乗した騎士が二人と豪華な馬車が、サイラスとヴァルトの前に姿を現した。 「獣人?」  ヴァルトに気づいた騎士の一人が、呟く。  馬を降りた二人の騎士は、険しい表情を浮かべ、いきなり剣を抜いた。  その瞬間、ヴァルトは飛び出すと、サイラスを後ろに庇う。 「ヴァルト! 駄目だ!」  長剣を抜こうとしたヴァルトを、サイラスは制した。 「いきなり剣を抜くなんて、穏やかじゃないな」  サイラスはヴァルトの前に回ると、じっと相手を見据える。 「俺たちに何のようだ?」  冷静に問うサイラスに、騎士たちは剣を納めた。  その時馬車のドアを開けて、一人の紳士が降りてきた。  身なりの良い、見るからに高位貴族の男だ。  サイラスに似た金髪の男は、ハッとして大きく目を見開く。 「サイラスか?」  小走りに近寄って来た男は、サイラスを前にして足を止めた。 「私が分かるか? アリステアだ」 「アリステア…………兄上?」  記憶の中にある子供だった次兄の姿とは違う、立派な大人の男がそこにいた。 「お前が屋敷を訪ねてきたと聞いて、もしやここにいるのではと思ったのだ。行き違いにならなくて良かった」  安堵したのか、アリステアは微笑む。  だがヴァルトの姿を見つけると、ギョッと目を見開いた。 「獣人⋯⋯お前の奴隷か?」  アリステアの目は、まるで汚らわしいものを見たように、険しく眇められる。 「違う! ヴァルトは、私の弟子です!」 「弟子? 獣人がか?」 「彼は私と同じ辺境伯領の騎士です。従者として、同行して貰っているのです。決して奴隷などではない」  はっきりと言い切ったサイラスを見て、アリステアは哀れむような表情を浮かべた。 「サイラス⋯⋯お前はトリスタン兄上の事故を知らぬから、獣人を庇い立てするのだ」 「どういう意味ですか?」 「トリスタン兄上の事故は、獣人の国エリンドルが関与しているという噂がある」 「エリンドルが?」  エリンドルはガラハッド王国から遠い国だが、両国はガラハッド王国の獣人への扱いに対して、諍いと憎しみによる敵対関係にあった。 「トリスタン兄上の事故は、第一師団の兵舎に保管されていた魔石の暴発という事になっているが⋯⋯第一師団の兵舎を含む周辺の建物が木っ端微塵に吹き飛ばされて、数十名の騎士が巻き添えになって死亡したんだ。第一師団で生き残ったのは、わずか数名と聞いている。トリスタン兄上も巻き込まれ⋯⋯命を落とした」  サイラスは何も言えず口をつぐむ。 「エリンドルの関与が疑われているのだ。獣人は信用ならない。サイラス、その男を付き従えるなら、隷従の首輪を付けろ。危険だ」 「言ったはずです。ヴァルトは奴隷ではない。隷従の首輪など⋯⋯私の従者を侮辱するのはやめてください! アリステア兄上であっても、その発言は許せません」  ギリッと睨むサイラスに気圧されて、アリステアは青白い顔を眇めた。 「分かった。その男の事は、お前の好きにするが良い」  顔を歪め、アリステアは大仰な溜息をつく。  納得はしていないが、時間の無駄だと思ったのだろう。  アリステアはおもむろに口を開いた。 「サイラス、単刀直入に言う。トリスタン兄上に代わり、ファラモンド伯爵位を継げ」  驚くサイラスに、アリステアの話は続く。 「イーデリック侯爵である私には、ファラモンド伯爵家は継げない。トリスタン兄上の事故で、父上も母上も気落ちして伏せっているのだ。お前が戻って来れば、お二人共きっと元気を取り戻してくれるはず。サイラス、お前しかいないんだ。どうか戻って来て欲しい」  真剣な眼差しで懇願されて、サイラスは困惑して顔をそらした。 「父上と母上が⋯⋯伏せっているなんて⋯⋯でも、私は⋯⋯ファラモンド家を出た身です。今更戻るなんて⋯⋯できません」 「サイラス、お前がオメガ性を気にしているのは分かっている。番さえ得てしまえば、身の危険を感じる事もないだろう? アルファの高位貴族をお前の番に迎えれば良いだけだ。ファラモンド家の者として、子を残せ。お前なら、番にしたいと思うアルファは幾らでもいる」 「御冗談を? 私にオメガとして生きろと? 子作りの道具になどされたくない!」  湧き上がる怒りで拳を震わせるサイラスを庇うように、ヴァルトの目が剣呑な色を浮かべる。  サイラスの背後に控えるヴァルトの手は、長剣に添えられ、いつでも剣を抜けるのだと身構えていた。 「サイラス⋯⋯分かってくれ。私はトリスタン兄上のように、お前に何もしてやれなかったが⋯⋯今ならお前の力になれる。悪いことは言わない。ファラモンド家に戻って欲しい。伯爵位を継いでくれ」  悲痛な顔を浮かべるアリステアを前に、サイラスは苦しげに呻く。 「私には無理です。ですが⋯⋯ファラモンド家を継げる者はいます」 「何だと?」  訝しげな声をあげたアリステアに、サイラスは告げた。 「トリスタン兄上は、私にしか教えませんでしたが⋯⋯子供がいるんです」 「トリスタン兄上に子供? 本当なのか?」  アリステアは驚愕する。信じられないとその表情は語っていた。 「本当です。トリスタン兄上の手紙に、そう書いてありました。愛する人とは身分違いの為に、結婚できないのだと。ファラモンド伯爵領にあるオーレリアの町でその人は男子を産み、育てているはずだと。イゾルテという名のその人は、セオドアという子と暮らしていると。オーレリアに行くことがあったら、トリスタン兄上の代わりに二人を訪ねて欲しいと私は以前から頼まれていました。トリスタン兄上は、父上を必ず説得し、二人を手元に呼び寄せたいと思っていたのです」 「そんな事が⋯⋯」  呆然とするアリステアに、サイラスは宣言した。 「トリスタン兄上の子を、必ず私が探して連れて来ます。その子にファラモンド家を継がせてください」  

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