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第15話 トラウマ
翌朝、早朝からオーレリアに向けて出立する予定だったのだが、サイラスの熱が下がらず、もう一日この町に滞在する事になった。
ヴァルトは朝食と昼食用に「師匠が食べられそうな物、買ってきます」と言い残して出かけていて、サイラスは一人ベッドの上で休んでいた。
「またあいつが来るんじゃないかと、俺は心配なんです! 絶対にこの部屋のドア開けないでください!」
「分かってる。大丈夫だよ」
「師匠の大丈夫は大丈夫じゃないんですよ!」
ヴァルトに指摘されて、サイラスは「ウッ」と口ごもる。
(確かに、それは否定できない)
「分かった。じゃあ、これでどうだ?」
サイラスは指先に魔法陣を浮かべると、精霊魔法を詠唱する。
「光の精霊よ、煌めく光の粒子で包み、視界を歪め我が身の認識を阻害せよ」
キラキラと輝く光がサイラスを包み込み、その姿を隠蔽する。
視界から消えたサイラスを見て、ヴァルトはようやく安心して買い出しに出かけて行ったのだ。
これが今朝の出来事だ。
ヴァルトには言わなかったが、サイラスはこの程度の精霊魔法では、あっさり見破られるだろうと思っていた。
(あの子供は、おそらく相当魔力が高い。それこそ魔法省の魔術師並みだ)
近衛騎士の駐屯所が跡形もなく消えた場所に、無傷で残っていた魔法省の建物を思い出す。
(無詠唱魔法をあの年で使いこなすなんて……)
サイラスの動きをあっさり封じ込めたのも、霧のように消えてしまったのも、無詠唱魔法を使ったとしか思えなかった。
サイラスに気づく隙も与えず、呼吸するように魔法を放ったのだ。
(俺だって精霊魔法の使い手だ。決して魔力は低くない)
魔力の動きで無詠唱魔法が発動する瞬間くらいは、サイラスでも察知できるのだ。
それさえも分からなかった。
(あの子供は危険だ……でも……本気じゃなかった)
サイラスを本気で殺すつもりだったなら、簡単に殺せただろう。
それなのにそうしなかったのは、何故なのか?
(威嚇か、警告か……俺を生かしているのは、何か理由があるのかもしれない)
サイラスは大きく息をつくと、目を閉じた。
これ以上考えても、答えは出せなかった。
夕方になり熱がだいぶ下がったサイラスは、ヴァルトと一緒に夜食を食べに町へ出ることにした。
宿場町ということもあり、雑多な商店街は暗くなっても店を開けている。宿を抜け出した旅人達で賑わう町の中心街は、昼間の賑やかさとはまた違った騒がしさがあった。
サイラスはヴァルトと一緒に一軒の飲食店に入った。
そこはオープンテラス席のある店で、夜になっても温暖な今の季節、外気が心地よい。
店内は酒も出るせいか、非常に混み合っていて、サイラスは比較的空いているオープンテラス席に座る事にした。
「店の中、見てきますね」
ヴァルトはサイラスを席に残し、店内へと入って行く。
その後ろ姿を見送り、町の通りを眺めていると、近づいてくる人影があった。
「よう、兄ちゃん。一人か?」
突然声をかけられて、サイラスは振り向く。
見知らぬ男は旅装束で、たまたまこの店に入った旅行者のようだ。
男はサイラスの顔を見ると、驚いたのか目を大きく見開いた。
「あんた、ずいぶん綺麗な顔してるな。一人にしておくには、もったいない。一緒に飲まないか?」
(酔っ払いか)
男の目の色が変わり、舌なめずりしながら、値踏みしているような気持ち悪さを感じる。
「悪いが連れがいるんだ」
サイラスは軽くあしらうと、顔を背けた。
「まあ、そうつれないこと言うなよ」
男はしつこく絡んでくると、サイラスの肩に腕を回してくる。
「離せ!」
拒むサイラスに顔を近づけてきた男は、スンと鼻をひくつかせた。
「……この匂い……まさか、オメガか?」
ぎょっとしてサイラスは思わず男の顔を見る。
男はニンマリと笑うと、獲物を見つけた獣のように目を細めた。
「発情期のオメガが一人でいるなんて、ずいぶん無防備な兄ちゃんだ」
(まさか……精霊魔法の効果が切れてる?)
一度かければしばらく持続するはずの魔法が、こんなに早く切れたのは初めてで、サイラスは愕然とした。
サイラスの動揺が伝わったのか、男は強引にサイラスの腕を掴んだ。
振りほどこうと抵抗したけれど、なぜか腕に力が入らない。
「発情期はアルファの匂いに抵抗出来ないよな。相手が欲しくて一人でいたんだろ? 俺が抱いてやるよ」
下卑た目で笑う男に、サイラスは悪寒が走った。
(気持ち悪い)
『そこの騎士の兄ちゃん、綺麗な顔してるなぁ。あんただったら、王族にでも売れそうだ』
咄嗟に蘇ったのは、人身売買組織の男がかつてサイラスに言った言葉だった。
心臓の鼓動が警告音のように全身で鳴り響く。
「行こうぜ」
腕を無理やり引っ張られて、サイラスは椅子から転げ落ちそうになる。
「離せ!」
どうして男の腕が振りほどけないのか?
何故、力が入らないのか?
抵抗しようともがくが、力が抜けた体ではどうすることも出来ない。
普段のサイラスなら、こんな男に後れを取ることはないのに。
こんなことは初めてで、サイラスは混乱した。
その時だった。
「やめろ! 師匠に触るな!」
鋭く一喝して、男の腕をひねり上げたのは、ヴァルトだった。
サイラスと男が揉めているのに気づき、戻ってきてくれたのだ。
「ヴァルト……」
サイラスはホッとしてその場に崩れ落ちる。
咄嗟に支えてくれたヴァルトに、サイラスは思わずしがみついた。
ガクガクと体が小刻みに震えて、サイラスは立っていることもおぼつかない。
「すみません。俺が目を離してしまったから」
唇が青ざめ、過呼吸を起こしそうなサイラスの背を、ヴァルトがあやすように撫でる。
その様子を見て、男が舌打ちした。
「チッ。相手がいたのかよっ」
男は悔しそうに顔をゆがめると、やけくそになってヴァルトを突き飛ばそうとした。
だがヴァルトは軽々と男の攻撃を受け流す。
しかし動いた拍子に、頭を覆っていたフードが脱げてしまった。
ヴァルトの黒髪の間から覗く大きな狼の耳に、男があからさまに嫌悪感を示す。
「獣人風情が、人間様に楯突くなんて身の程知らずが!」
ヴァルトを侮蔑する男は、唾を飛ばしながら喚き散らす。
「畜生の分際で、人間のオメガに手を出すとは! 躾がなってないな!」
ヴァルトは赤い目をギラつかせているが、怒りをじっと耐えている。
ここで揉め事が大きくなれば、自分だけではなく、サイラスの身も危険にさらすと悟っているのだ。
(ヴァルトを侮辱するな!)
過去のトラウマに囚われて、臆病風に吹かれては、大事な人を守れない。
騎士ならば、歯を食いしばり血反吐を吐いてでも、立ち上がれ!
(動け!)
サイラスは震える手でポケットの中から魔石を取り出す。
それに気づいたヴァルトが咎めるような眼差しを浮かべたが、サイラスは魔石を砕いた。
一時的に増えた魔力が体を満たしていく。
「風の乙女よ……」
震えるサイラスの指先に、小さな魔法陣が浮かび上がる。
「声路を塞げ。冬の精霊よ。音根を縛れ。喉を凍てさせ沈黙を強いよ!」
詠唱とともに魔法陣から小さな突風が吹き出し、男の口に吸い込まれる。
「なっ! 何を……?」
男は激しく咳き込むと、パクパクと口を動かした。
だがあんなにも喚き散らしていた暴言は、どんなに口を動かしても声にならないのだ。
一時的に声帯の機能を奪われて、男は目を白黒させる。
急に恐ろしくなったのか、男は真っ青になると逃げ出した。
「店を出ましょう。歩けそうですか?」
ヴァルトに尋ねられ、サイラスは頭を振る。
「力が……入らない」
やっとの思いでサイラスは口を開いた。
「わかりました」
サイラスは驚く間もなく、ヴァルトに抱き上げられる。
「……なっ! お……降ろせ!」
「大人しく掴まっててください」
有無を言わさず抱えられて、サイラスは羞恥のあまり顔を赤く染める。
周囲の視線を感じて、いたたまれず目をギュッと閉じた。
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