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第17話 俺を利用してください

 窓の外が薄明かりに包まれて、夜明けの一番鶏の鳴き声がする。  小鳥達の羽ばたきとさえずりが聞こえてきて、サイラスはうっすらと目を開けた。  どこか見覚えのある木目の天井が見えて、サイラスは身を起こすと、ベッドで寝ていた事に気づく。  昨日は夜食を食べに出かけて……不愉快な男に絡まれたことは覚えていた。  その後……動けなくなったサイラスはヴァルトに運ばれたのだ。  (町中をお姫様抱っこされて運ばれる、もうすぐ三十路のおっさん……キツすぎる)  羞恥心でいたたまれず、目を開けていられなくて、ヴァルトにしがみついていたのは覚えている。  宿に着いた記憶はないから、寝落ちしてしまったのだ。  (ヴァルトに申し訳ないことをした)  昨夜の恥ずかしさを思い出し、サイラスは頬を染める。  ふと足元を見ると、ベッドの端にうつ伏せの状態で眠る黒髪の狼の耳が見えた。  (ヴァルト、こんな所で寝てたのか)  思わず手を伸ばし、そっとフサフサの耳に触れる。  指が触れた途端、ピクリと狼の耳が動く。 「すまない、起こしてしまって」  ゆっくりと目を開け、身を起こしたヴァルトに、サイラスは謝罪した。  ヴァルトはサイラスの顔を見るなり、クシャリと表情を歪ませる。  泣き出しそうなその顔に驚いていると、ヴァルトはひどく真剣な目をしてサイラスに頭を下げた。 「師匠、すみません。師匠の許しも得ず、勝手なことをしました」 「え?」 「熱が上がっていたので、解熱剤を……」  ヴァルトは言いにくいのか、口ごもる。  (そういえば、体が楽になった気がする……)  熱が下がったからなのか、昨日よりも体が軽くなったようだ。 「ヴァルトが飲ませてくれたのか? ありがとう、楽になったよ」  穏やかに微笑むサイラスの姿を見たヴァルトは、苦しそうに俯いた。 「簡単に……許さないで下さい。つけあがりたくなります。俺は寝ますから、師匠ももう少し寝てて下さい」  ヴァルトは顔を背けると、自分のベッドに潜り込み、サイラスに背を向けて毛布を被ってしまった。  (もしかして、拗ねてるのか?)  普段見せた事のないヴァルトの態度に戸惑ったが、サイラスはそれ以上尋ねなかった。  昼過ぎまで宿に滞在したサイラスは、体調が安定したと判断して、一日遅れで宿場町から離れる事にした。  出立前に再び精霊魔法を使って、オメガの発情の匂いを封じようとしたのだが。  魔石を取り出したところで、ヴァルトに手首を掴まれてしまった。 「駄目です。魔石は、もう使わないで下さい」 「ヴァルト。離せ」 「駄目です。精霊魔法じゃもう、これ以上誤魔化せませんよ」  ヴァルトにはっきりと指摘されて、サイラスはグッと口ごもる。  確かに限界は感じていたのだ。 「魔石は魔力の前借りみたいなものですよね? 使うと反動で疲労感が出る。そうでしょう?」  ヴァルトの鋭い突っ込みに、サイラスは何も言い返せない。 「精霊魔法には頼らず、発情抑制剤を飲んでください。俺も飲んでますから」 「え?」  思いも寄らないヴァルトの言葉に、サイラスは驚く。  ヴァルトはサイラスが見ている目の前で、錠剤を飲んで見せた。 「アルファ用の発情抑制剤です」 「まさか……俺のせいで?」 ヴァルトは何も言わず、サイラスにオメガの発情抑制剤を手渡す。 「飲んで下さい。今すぐ。この場で」  有無を言わさぬ圧を感じて、サイラスは発情抑制剤を飲み込んだ。  解熱剤も飲もうとしたサイラスを、ヴァルトは止めた。 「師匠の熱はたぶん…………それでは下がらないと思います」 「どういう事だ? お前が飲ませてくれた解熱剤で、ちゃんと朝には熱も下がった」 「寝てるあなたに、俺がどうやって飲ませたと思いますか?」 「どうやってって……」  首を傾げるサイラスに、ヴァルトは大仰な溜息をついた。 「俺はちゃんと謝りましたよね? 謝らないといけないやり方をしました」  ポカンと固まるサイラスに、ヴァルトは頬を染めへにょりと狼の耳を倒す。 「口移しです」  (口移し?) 「まさか……」  ワナワナと震えるサイラスに、ヴァルトがあっさりと白状した。 「キスしました。1回じゃないですよ。何回も」 「‼」  想像もしなかった事態に、サイラスの全身は真っ赤に染まる。 「信じられない…………何で、そんな事」  オロオロと視線を彷徨わせたサイラスは、毛穴から一気に汗が吹き出し、下がったはずの熱が再び上がった気がした。  動揺しまくるサイラスの様子に、流石のヴァルトも申し訳なくなったのか、狼の耳をペタリと倒しながら、フサフサの尻尾もしょんぼりと垂れ下がる。 「嫌でしたか?」 「……い、嫌とか……そういうのじゃなくて……驚いてしまって……だって、もうすぐおっさんだぞ? 俺は」 「気にしてるの、そこですか?」  ヴァルトがホッとしたように微笑む。 「でもおかげで師匠の熱の原因が分かりました。師匠の熱は発情しているせいです。熱が下がったのは、俺の唾液を経口摂取したからでしょう」  またもや信じられない発言に、サイラスは啞然としたまま動けない。 「発情期が終わるまで抑制剤をきちんと飲み続けてください。鍛錬で誤魔化すのは無しです」 「……」 「発情抑制剤でも抑えられなくなったら……俺を利用してください。俺だってアルファですから」 「利用って……何言って」 「オメガの発情そのものを抑える方法くらい、師匠も知っているでしょう?」  オメガの発情を抑える方法は……アルファとの性的な接触だ。  (その為にヴァルトを利用しろと言うのか?) 「聡明な師匠なら、本当は俺の気持ち、分かっているでしょう? ただの憧れなんかじゃない、本気だって」 「そ……それは……」  (俺は…………) 「……俺は……」  (自分の気持ちがわからない)  ギュッと眉間を寄せて俯くサイラスを、ヴァルトはそっと抱き寄せる。  ポスンと素直に腕の中に収まったサイラスを見て、ヴァルトは柔らかい笑みを浮かべた。 「あなたが鈍感で良かったって思ってるんです。俺が大人になる前に、誰かに取られるんじゃないかって、ずっと心配してたから。師匠が鈍いおかげで、俺は間に合いましたから」 「鈍感って…………」  (あんまりな言い方だ…………)  でも本当の事なので、サイラスは否定できない。 「師匠は自分がオメガだから、アルファを引きつけてしまうって思ってるかもしれませんが、それは誤解ですよ。あなたはあなたのままで十分魅力的なんです。俺は師匠がオメガだから好きになったわけじゃない。あなただから好きになったんです」  サイラスは耳まで赤く染めて、ヴァルトの胸に頭を埋める。 「師匠は頭でっかちだから、考えすぎちゃいますからね。今日はこれくらいにしておきましょう」  ポンポンとヴァルトの手がサイラスの頭を撫でる。  (こんなのまるで…………子供みたいだ)  でも、その手の温もりの心地良さに、サイラスはじっと身を寄せていた。  

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