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第20話 俺は……師匠の側にいちゃいけないのか?
夜になりヴァルトは、草原を馬に乗り駆けていた。
月明かりの下、宙を風に乗り泳ぐ魚が、ヴァルトを先導するように輝いている。
キラキラ光る水で出来た精霊の魚は、止まることなく泳ぎ続けていた。
「月光花を探しに行く」
夕方になりようやくベッドから起き出してきたサイラスが、開口一番そうヴァルトに告げた。
「何言ってるんですか!」
ヴァルトは呆れ声をあげたが、サイラスの決意は変わらないようで、出立の準備を始めた。
「駄目です。ご自分の体の状態、ちゃんと分かってますか? ようやく熱が下ったところですよね?」
「ヴァルト、止めるな。俺は行く。せっかく精霊が探し出してくれたのに、月光花は滅多に見つかるものじゃないんだ!」
「どれだけ貴重な花でも、師匠の体の方が大切です。そんなに言うなら、もう一回キスしますよ? それとも……俺とベッドに行きます? 足腰立たなくなるくらい抱き潰しますよ?」
「はっ?」
サイラスは信じられないと言いたげな顔をして、固まっている。
奥手のサイラスには、このくらい直球で言わなければ伝わらないのだと、最近ようやくヴァルトも理解したのだ。
(いつまでも子供じゃないってこと、師匠には分かってもらわないと)
一人の男としてサイラスに向き合って貰わなければ、いつまで経ってもヴァルトは可愛い弟子のままだ。
「……でも……」
やっと復活したサイラスが往生際悪く出かけようとするので、ヴァルトは渋々妥協することにした。
「師匠の気持ちは分かりました。俺が探しに行きます」
「え?」
「師匠は大人しくここで待っててください。部屋の鍵をちゃんとかけて」
「いや……でも……」
「駄目です。ほっとくとあなたは、俺に隠れて精霊魔法を使うでしょ?」
図星だったようで、サイラスは「うっ」と口ごもった。
サイラスにこれ以上魔石を使わせるわけにはいかない。
魔石の使いすぎは、体への反動が大きすぎるのだ。
いつかサイラスの命を蝕みそうな予感がして、ヴァルトは密かに恐れていた。
精霊魚は止まることなく草原を泳ぐように進み、やがてヴァルトの目の前には深い森が見えてきた。
(いかにも魔物が潜んでいそうだな)
嘆きの森程の規模ではないが、魔物が隠れるにはちょうどいい場所だ。
精霊魚は迷う事なく森の中へと入って行く。
ヴァルトは馬を降り、森の入り口で待たせる事にして、精霊魚の後を追って森の中へと入った。
月明かりが届かぬ暗い森の中、精霊魚の輝きだけが明かり代わりだ。
精霊魚の後を追うヴァルトは、大きな狼の耳をピンッと立ち上げると、周囲の音を探った。
(変だ……静かすぎる)
鬱蒼とした森の中で、聞こえてくるのはヴァルトが踏みしめる足元の音だけ。
魔物はおろか、生物の気配がないのだ。
(何かがおかしい)
そう感じるけれど、精霊魚は迷う事なく進んで行く。
(精霊は危険を察知していないのか?)
精霊魔法の使い手であるサイラスなら、何か分かるだろうが……
ヴァルトには精霊の事は分からない。
(今は精霊を信じて進むしかないか)
ヴァルトは深く考える事は止め、足を進めた。
やがて精霊魚は一箇所に留まり、クルクルと回り始める。
まるでここだと示しているように見えた。
ヴァルトは急ぎ精霊魚に追いつく。
そこは森の木々が開けた場所で、暗い夜空から月の光が差し込んでいた。
月明かりに照らされて、気がつくと辺り一面白く可憐な花が咲いている。
月光花だ。
「ありがとう。師匠も喜ぶよ」
ヴァルトは精霊魚に礼を言うと、月光花を摘み始めた。
持ち帰れるだけ月光花を袋に詰めた時だった。
精霊魚が急にヴァルトの側まで降りてきて、何かを伝えようとしているように、ピチピチと跳ねるように動く。
ヴァルトの耳に誰かが近づいてくる音が聞こえたのは、間もなくの事だった。
ヴァルトは振り返る事なく、長剣を握り締める。
何者かが間合いに入った瞬間、ヴァルトは振り向きざま剣を一閃した。
パラパラと月明かりに照らされて、銀糸のような髪がほんの数ミリだけ宙を舞った。
「いきなり斬りつけるなんて、酷いなぁ」
トンと軽やかな音を立てて、ヴァルトの剣を飛び退けた子供が笑っていた。
「お前はっ!」
ヴァルトの瞳が怒りで血のように赤く染まる。
そこにいたのは銀の髪に凍った湖面のような青い瞳をした、獣人の子供だった。
「よくも師匠を傷つけたな! お前だけは許さない!」
ギリッと憎しみを込めた目で睨みつけても、子どもは全く怯まない。
それどころか、楽しげな笑みさえ浮かべていた。
「そんなに怒らないでよ。ちょっとからかっただけじゃないか」
ケラケラと乾いた笑い声をあげて、子供は嘲る。
「クソッ!」
怒りに任せてヴァルトは長剣で斬りつけるが、剣先は空を斬るばかりで届かなかった。
「兄上はやっぱり長には向かないね。安心したよ」
ひょいひょいと軽々とヴァルトの剣を避けながら、子供は精霊魚に向けて手を翳した。
その瞬間、手の平から氷柱が飛び出して、精霊魚に向かって行った。
ヴァルトは精霊魚が串刺しにされると息を呑んだが、かろうじて氷柱を避けた精霊魚は、空高く跳ねて視界から消えてしまった。
「アハッ、逃げられちゃった」
「お前!!」
「ロキだよ。ヴァルト兄上」
ぎょっとしてヴァルトは目を見開く。
(何で俺の名前を知っている?)
「何でって顔してる。だって僕は兄上の弟だよ。弟で従兄弟なんだ。僕のお母様は、兄上のお母様の妹だから」
「……俺には弟なんていない。お前なんか知らない。殺されたくなければ、今すぐ消えろ!!」
再び長剣を振り上げ切り裂こうとしたヴァルトを、ロキはケタケタと笑う。
「今の兄上は、僕には勝てないよ?」
「クソッ!」
何度長剣を振り回しても、まるで霞を切るようにロキには届かない。
「そんなに怒ってたら、大事なオメガを守れないよ?」
ギリッと奥歯を食いしめ、動きを止めたヴァルトを見て、ロキは満足そうに笑みを浮かべた。
「やっと落ち着いたみたいだね」
「……お前の目的は何だ? 一族からの差し金か? 俺を殺しに来たなら、さっさと殺せ。師匠には手を出すな!」
ヴァルトは射殺すような目でロキを睨みつける。
「気が早いなぁ~。ちゃんと最後まで僕の話を聞いてよ」
やれやれとロキは呆れ声をあげた。
「封印さえ解かなければ、兄上のこと、一族の皆に内緒にしておいてあげる」
(封印⁉)
ロキの言葉に、ヴァルトは狼の耳をピンッと逆立てる。
「兄上には封印を解かれると困るんだ。僕が長になれなくなっちゃう。だからね、頑張って封印を維持してよ?」
可愛らしく媚びるように、ロキはペロッと舌を出す。
「俺は……封印なんて解く気はない」
「うん。良い子」
チッとヴァルトは舌打ちする。
十二、三歳の子供に馬鹿にされてるかと思うと、ヴァルトは怒りで歯ぎしりした。
「兄上の封印はもうボロボロだからね、頑張って維持してね。ああ、そうか。兄上は魔力も封印されてるんだね。それであのオメガの魔力で維持してるんだ」
「魔力?」
ヴァルトには魔法は使えない。だから自分の魔力なんて、考えた事もなかった。
「あれ? 魔力を利用するつもりで、あの精霊使いのオメガを選んだんじゃないの? もしかして無意識? そうか〜気がついてないんだ。良かったね、兄上」
「良かったって? 何がだ?」
(意味不明な事ばかり言いやがって!)
ヴァルトから湧き上がる怒りで、握り締める長剣がカタカタと音を立てる。
「人間はさ、魔力が切れると簡単に死んじゃうから。あのオメガが大事なら、魔力を吸うのも程々にした方が良いよ。吸い尽くしちゃうと死んじゃうから」
「死んじゃうって……?」
オウム返しに問うヴァルトに、ロキはニンマリと笑う。
「アハッ、本当に分かってないんだ。兄上が吸ってるんだよ。オメガの魔力。あのオメガ、魔力切れで魔石依存症だよね? 誰のせいだと思ってたの? 兄上のせいだよ? だ〜か〜ら〜、死なせないようにしなきゃね」
ケタケタ笑うロキの声が、どこか遠くで聞こえる。
(俺のせいで……師匠が魔力切れを起こしてた? まさか……)
蒼白な顔になったヴァルトを見て、ロキは楽しげな声をあげた。
「やっぱり、身に覚えがあるんだね。真っ青な顔してる。そっか、兄上は本当にあのオメガが好きなのか。興味深いな〜。本気で人間を好きになるなんてさ~」
「……うるさい」
「面白いなぁ~、兄上は。うん、もういっその事、隷従しちゃいなよ。犬みたいにさ〜家畜になって。あのオメガの下僕になれば良いよ。そうすれば魔力切れ防げるよ。たぶんね?」
「うるさいって言ってるんだ‼」
ヴァルトの怒鳴り声に、ロキはアハハと声を上げて笑う。
「頑張ってね、兄上」
その声を最後にロキは一瞬にして姿を消した。
一人残されたヴァルトは、ガックリとその場に膝をつく。
「俺が……師匠の魔力を吸ってた? そんなの嘘だ……」
(あんな子供の言う事、信じられるか‼)
でも心当たりがあり過ぎて、ヴァルトは握り締めた手を地面に叩きつける。
サイラスはヴァルトが側にいる時に限って、魔力切れを起こしていなかったか?
魔力切れを起こす度に魔石を砕いて、その反動で倒れそうになっていた。
(何度師匠の体を支えた? あれは全て俺のせいだったって事か?)
『人間はさ、魔力が切れると簡単に死んじゃうから。あのオメガが大事なら、魔力を吸うのも程々にした方が良いよ。吸い尽くしちゃうと死んじゃうから』
「俺のせいで師匠が死んじゃう? そんなはずない……そんなはず……」
(本当にそう言い切れるのか?)
警鐘のように響く言葉が、ヴァルトを恐怖のどん底に突き落とす。
ヴァルトにとって大切な光が、生きる縁が、永遠に失われるかもしれない。
そんな予感に、背筋が凍りつく。
(師匠がいない世界なんて、何の意味もない‼)
「死なせたくない……絶対に死なせたくないんだ‼」
(嘘だと言って欲しい。俺の存在が、師匠を苦しめているなんて‼)
ヴァルトは地に突っ伏すと、嗚咽をあげた。
「守るって言ったんだ‼ 俺は‼」
握り締めた拳で、ヴァルトは何度も地面を叩きつける。
「俺は……師匠の側にいちゃいけないのか?」
ポツリと吐き出した言葉だけが、夜風に乗って消えた。
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