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第21話 お前が好きなんだ‼

 ヴァルトが月光花を探しに行った夜。  一人きりになったサイラスは、部屋の窓から丸い月の浮かぶ夜空を見つめていた。  魔物は滅多に出ないと聞いていたけれど、護衛を雇った方が良いと、薬草問屋の店主が言っていた事を思い出したのだ。  (ヴァルトは強い。もう俺がいなくても、一人でも魔物を屠るだけの力がある)  小さな子供だったヴァルトに剣術を教えた頃を思い出し、サイラスは遠い目をした。  ヴァルトの成長は著しくて十代の半ばになった頃には、あっという間にサイラスが持て余していた重い長剣ですら軽々と扱えるようになった。  今ヴァルトが使っている長剣は、元々はサイラスが父親から貰った物だった。  オメガのサイラスの体は、どんなに努力しても長剣を軽々と扱えるような筋力はつかず、ヴァルトが長剣を使いこなす姿を見て、自分の限界を悟ったのだ。  だから父から貰った大事な長剣を、ヴァルトに譲り渡した。  サイラスは騎士を続ける為に、武器を軽いレイピアと弓に変え、精霊魔法を身につけ、薬草学も学んだ。  全ては騎士として足りない能力を補う為だったのだ。  それでも今サイラスは、力不足でこうしてヴァルトの帰りを待つ事しか出来ない。  父がなぜ「お前は騎士になれない」と言ったのか、その意味が今なら身にしみて理解できるようになってしまった。  (ヴァルトの隣に立って戦う能力は、もう俺にはないのかもしれない)  そんな寂しさを感じていた時だった。  窓の向こうにキラキラと輝く精霊魚を見つけたのだ。 (ヴァルトが帰って来たんだ)  サイラスは窓を開け精霊魚を迎え入れると、ドアの鍵を開けようとした。  だが精霊魚の動きがおかしい事に気がつく。 「サイラスの弟子は神獣と戦ってるよ」  サイラスの周囲をピチピチと飛び跳ねる精霊魚が、ヴァルトの危機を伝えてきた。 「助けてあげて、サイラス」  そう言い残して、精霊魚は姿を消した。  (ヴァルトが戦っている!) 「ヴァルト!」  サイラスはドアの鍵を開け、部屋を飛び出して行く。  宿屋を出て、馬に跨りヴァルトを探しに行こうとした時だった。  (闇雲に探しに出ても、ヴァルトはどこにいるか分からないじゃないか?)  ようやく我に返ったサイラスは、冷静に今できる最善の方法を考えようとした。  (もう一度精霊を呼び出して、ヴァルトの行方を探すか?)  だが今のサイラスには、再び精霊を召喚するだけの余力はない。  もう少し休めば魔力も回復するが、時間がかかる。  (魔石を使うか?)  だが魔石を使うのは躊躇われた。  (魔石を使えば、ヴァルトが嫌がる……)  こんな緊急事態であっても躊躇ってしまう程、サイラスにはヴァルトの気持ちは裏切れないのだ。  (あいつが悲しむ顔は見たくない)  迷っている時間はないのに。  魔石を握り締めたまま、どうする事も出来ないと思い悩んでいた時だった。 「師匠?」  不意に声をかけられて顔をあげると、夜道を馬に乗り帰って来るヴァルトの姿を見つけた。 「ヴァルト! 良かった! 無事だったんだな!」  走り寄るサイラスを見て、ヴァルトが酷く驚いた顔をしていた。  その表情にサイラスは違和感を覚えたが、ヴァルトはフッと何かを吹っ切るような笑みを浮かべた。 「部屋で待っててって言ったのに、どうして外に出たんですか?」  いつものヴァルトなら怒るはずなのに、今夜のヴァルトはへにょりと狼の耳を倒して、どこか元気がない。 「ヴァルト?」 「師匠、部屋に戻りましょう。具合が悪くなるといけないから」  ヴァルトに促されて、サイラスは部屋に戻ることにした。  部屋に戻ったサイラスは、ヴァルトから月光花を手渡された。 「ありがとう、ヴァルト。お疲れ様だったな。助かるよ」  サイラスは月光花を受け取りながら、ヴァルトに感謝を伝える。  ヴァルトはフサフサの尻尾を振り、喜んでいるように見えたが。  サイラスにはどこか空元気に思えて、仕方がなかった。 「ヴァルト……何があった?」  思い切って問いただしたサイラスに、ヴァルトは「何もありませんよ」といつも通りに笑みを浮かべようとしている。  だが子供の頃からヴァルトを見てきたサイラスは、ヴァルトは嘘をついていると見抜いてしまった。 「精霊魚がお前を助けて欲しいと俺に伝えてきた。精霊は嘘をつかない」  サイラスの言葉に、ヴァルトはあからさまに動揺する。 「俺に隠し事か? 言えないような事なのか?」  尋問口調になってしまうのは、サイラスの不安の表れだった。  (答えてくれ、ヴァルト。お前は何と戦ったんだ?) 「……言えません」  狼の耳を力なく倒し、ヴァルトはサイラスから視線を逸らす。  その弱々しい姿に、サイラスは困惑した。 「どうしても言えない事なのか?」 「……すみません」 「ヴァルト……」  苦しげに口を開いたヴァルトの姿に、サイラスはそれ以上尋ねられなくなる。  沈黙が辺りを包み込み、どうしたらよいのかサイラスにも答えが見つからなかった時だった。 「……俺は……師匠の側にいちゃいけないのかもしれません」  ポツリと吐き出された言葉に、サイラスは心臓に楔を打ち込まれたような衝撃を受けた。 「え?…………」 「……俺は……あなたの側にいる資格はないんです。俺は……いちゃいけないんだ」 「それは……どういう意味だ?」 「ごめんなさい。師匠。あなたを守るって誓ったのに……俺は……俺には……もう……」  ヴァルトはサイラスに背を向けると、部屋から出て行こうとした。 「どこに行くんだ?」  慌ててサイラスはヴァルトの腕を掴む。  ヴァルトは何も言わずやんわりと腕を振りほどく。 ドアを開け外に出て行こうとするヴァルトの背に、サイラスは抱きついた。 「待て! ヴァルト! まさか、本気なのか?」 「……」 「ヴァルト……嘘だろ? 嘘だよな?」  何も言わないヴァルトに焦れて、サイラスは叫ぶ。  ヴァルトはゆっくりとサイラスの正面を向くと、泣き出しそうに顔を歪めた。 「ヴァルト……」  その顔を見た途端、ヴァルトの決意が伝わって来て、サイラスは呆然とする。  ヴァルトはぎゅっとサイラスを抱きしめると、名残惜しそうにサイラスから離れた。 「嫌だ……」  口から零れ落ちた言葉が、どこか遠くから聞こえる。 「嫌だ……」  再び呟いた時だった。  サイラスの胸に焼けるような痛みが走る。  突然目の前が霞んで、呼吸が荒くなり、サイラスは立っていることも出来ずに蹲った。  (何だこれ? 俺はどうしてしまったんだ?)  胸が苦しくて、過呼吸を起こしたサイラスは、意識が焼ききれそうになる。  涙が勝手に溢れてきて、喉がしゃくり上がった。 「師匠! どうしたんですか?」  ヴァルトが慌てて屈み込み、サイラスの背を必死に撫でた。 「嫌だ……行かないでくれ……」  苦しみに耐えかねて、サイラスは胸を掴む。  ボロボロと零れ落ちる涙は止まらず、感情の制御が利かない。 「ヴァルト!……嫌だ! 行かないでくれ! お前が好きなんだ!」  泣きながら追いすがるなんて、大人のすることじゃない。  まるでわがままな子供になってしまったようで、こんな自分は嫌なのに。 「好きだ……お前が好きなんだ……一人にしないで……」  ひっひっと嗚咽をこぼしながら、サイラスは泣きじゃくる。  (こんなの俺じゃない。俺は強くなくちゃいけないのに) 「ヴァルト……側にいてくれ」  ポタポタと落ちる涙が床に染みをつくる。  泣いて縋って、それでもヴァルトを手放すなんて出来なくて。  みっともないと分かっているのに、涙が止まらない。  (俺はいつからこんなにも、ヴァルトが好きだったんだろう?) 「ヴァルト、お願いだ。どこにも行かないで……俺の側にいて……」  ヴァルトにしがみつき、サイラスは啜り泣いた。  そんなサイラスを見て、ヴァルトは強く抱き締めてくる。 「俺はどこにも行きません……俺は……やっと好きって言ってくれた。こんな師匠を残して行くなんて……」  ヴァルトの腕がサイラスを閉じ込める。  もう逃さないと言いたげに。  ヴァルトの匂いに包まれたサイラスは、うっとりと酩酊したように思考が霞んでくる。 「あっ……」  自分でも信じられないくらい甘い声が漏れて、下腹部が濡れた感覚にサイラスは慄いた。  ヴァルトはサイラスの変化に驚いた顔をしている。  (おかしい……こんなの俺じゃない) 「師匠?」  ヴァルトの声に体がビクリと跳ねて、全身が総毛立つ。  声に匂いに反応して、体が急激に熱を持つ。  スリスリと甘える猫のように、ヴァルトの温もりが欲しくてたまらない。  まるでヴァルトに酔っているようだ。 「……ヴァルト」  舌足らずな子供のように甘えた声が出て、サイラスはくったりと力が抜けた。  

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