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第25話 嫌いに……なりましたか?

 走る馬が立てる蹄の音と、馬車の車輪が土をえぐるように転がって行く音が聞こえる。  狼の耳を隠していたフードを外し、ヴァルトはサイラスと共に馬を走らせていた。  向かい風が激しく黒髪を揺らす。  幸運にも逃げた獣人達は風上にいて、風下から追うヴァルトには、獣人達の立てる音や匂いを感じ取る事が可能だった。  このまま追跡していけば、追い付くチャンスがあるはず。  そう思った時だった。 『まさかこんなに簡単に子供を拐えるとは、思わなかったな』 「……今のは?」  突然鮮明に聞こえた誰かの話し声に、ヴァルトは思わず馬を止めた。 「ヴァルト。どうした?」  慌てて馬を止めたサイラスに問われて、ヴァルトは大きな耳をピクリと動かす。 「声が……聞こえたんです」 「声? 逃げた獣人達のか?」 「たぶん……そうです」  再びヴァルトが耳を澄ますと、獣人達と思われる男の声が聞こえてきた。 『この子供ら、本当に奴隷にして売り飛ばすんですか?』 『当然だろう? 俺達の子供がそうされたように。目には目をってやつだ』 『…………泣いてるの見てると、可哀想になっちゃうんですよ』 『俺達の子供らだって、泣いてるんだよ! 国が動かねぇんだ! 俺達がやるしかねぇだろ! これは人間共への復讐なんだ! そうだろう?』 『今さら怖気付くのは無しだ。もう後戻り出来ない』  (拐った子供を奴隷にするつもりなのか?)  人間の人身売買組織が、エリンドルの獣人の子供を奴隷として、ガラハッドの貴族に売りつけているのは、ヴァルトもよく知っている。  (俺だって奴隷として捕まった身だ。復讐したい気持ちは分かる。だからって……人間の子供を、師匠の甥っ子を奴隷にだなんて……)  ギリッと奥歯を噛み締め、ヴァルトは顔をしかめる。  そんなヴァルトの様子を、サイラスが不安そうな眼差しで見つめていた。 『俺達には神獣の御加護がある』 『ああ、神獣から貰った魔石。まだ残ってるよな? まさかあれ程の大爆発を起こすなんて……』 『ガラハッドの近衛騎士師団は壊滅しただろうな。ちょっとした警告のつもりだったが……国に代わって俺達が宣戦布告したようなものだ』 『そこまでするつもりはなかったんだよ。結果的にそうなっただけで』 『だから怖気付くなよ! 腹をくくれって。どうせなら魔法使い共もくたばれば良かったのにな』 『魔法省はさすがに無理だろ? 防御網が張り巡らされてる』 『全ては人間共が悪いのさ』  (神獣? 近衛騎士師団?)  聞こえてきた獣人達の会話に、ヴァルトの体は凍りつく。  (まさか……師匠のお兄さんが死んでしまったのは……) 『俺達は今となっちゃ大量殺人犯だ』 『あんなに死ぬとは思わなかったんだ』  (獣人達が殺したのか……)  ゾクリとした悪寒が、ヴァルトの背筋を走り抜ける。  心臓が早鐘を打ち、警告音となって全身を駆け抜けた。 『大丈夫だ。俺達には神獣の御加護があるんだ。罰せられはしないさ』  (神獣……神獣なんて生き物……あいつしか知らない)  嘲笑うロキの姿が脳裏に浮かんで、ヴァルトは血が滲むほど唇を噛み締めた。  鉄臭い血の臭いが鼻腔を掠める。 「ヴァルト、大丈夫か? 血が、血が出てるじゃないかっ」  心配したサイラスに触れられる前に、ヴァルトは血を拭った。 「ヴァルト……」  眉間に皺を寄せ、顔を強張らせたヴァルトは、戸惑うサイラスの顔を直視できない。  (言えない……言えるわけがない……) 「ヴァルト。口元を見せてくれ。そんなに強く噛み締めたら駄目だ」  ヴァルトの頬に労るようなサイラスの手が触れる。  サイラスは慣れた手つきで携帯していた清潔な布と傷薬を取り出すと、そっとヴァルトの口元を拭った。 「苦いけど、我慢しろよ」 「師匠……」  (こんな優しい人のお兄さんを……殺したのは……俺と同じ獣人なのか……) 「何をそんなに思い詰めてるんだ? 何が聞こえたんだ?」 「……奴らは……拐った子供達を、奴隷にするつもりだと言っていました……早く助けないと……」  (理屈では分かっている。今すぐ子供達を救出しないと……でも……)  救出に行った先で、獣人達が全てをサイラスに話してしまったら?  (俺の事も……師匠は憎むかもしれない……)  普段は決して涙を見せようとしない気丈なサイラスが、ヴァルトの前で初めて涙を見せたのは、トリスタンの墓前だった。  あの日雨に濡れながら、悲しみの涙を流したサイラスの顔を、ヴァルトは忘れられなかった。  最愛の兄を殺した獣人への憎しみで、サイラスは怒りの矛先を同じ獣人のヴァルトへ向けるかもしれない。  そんな恐怖を感じて、ヴァルトは動けなかった。  (俺はどれだけ罵られても構わない。でも……師匠の側から離れたくない)  獣人への憎しみで、サイラスに拒絶されてしまったら?  (拒絶されたら……俺は……)  視線をそらしたまま黙り込んでいたヴァルトを見て、サイラスの綺麗な翡翠色の瞳が陰りをおびた。 「俺に言えない事もあるのか?」  ビクリとしてヴァルトの耳がピンと立ち上がる。 「お前は嘘が下手だからな……ヴァルト、全部話してくれ」 「……言えません。言いたくないんです」 「指輪を渡すくらい好きだと言っておきながら、お前は俺に隠し事するのか? これ以上隠し事はしないでくれ」  じっとサイラスに目を見つめられ、ヴァルトは呻く。  (罵られても、嫌われても、俺は結局……師匠には敵わないんだ)  サイラスに望まれれば、ヴァルトには拒む事はできない。  それくらい心酔していた。 「……獣人達は……近衛騎士師団を……壊滅させたと」 「近衛騎士師団? まさか……」  サイラスの顔色が見る間に青ざめていく。  トリスタンの死を招いた元凶が、セオドアを連れ去った獣人達だと理解したからだ。  サイラスはふるふると体を小刻みに震わせながら、怒りと憎しみを堪えている。  (師匠は……獣人を許さないだろうな……きっと俺の事も) 「嫌いに……なりましたか? 俺も……奴らと同じ獣人です。憎まれても当然です」  言葉に出すだけで泣きたくなってくる。  サイラスに拒絶される恐怖で、ヴァルトの声は震えた。 「……俺を見くびらないでくれ」  ポツリと呟かれた言葉に、ヴァルトは目を見開く。  サイラスは深く深呼吸すると、息を整えている。 「師匠?」 「お前を嫌いになるわけがないだろう?」  身の内で渦巻く感情の波をようやく収めたのか、サイラスの震えが止まっていた。 「俺だって兄上を死に追いやった連中は憎い。セオドアまで連れ去るなんて、許せるわけがない。でも……お前は関係ないだろう? 獣人だからというだけで、全ての獣人を憎んだりしない」 「師匠……」 「罪を犯した者は、捕縛し罪を償わせる。今は拐われた子供達を救う事だけ考えろ。判断を誤るな」  まるで自分自身に言い聞かせるように、サイラスは口にした。  (一番辛いのは師匠なのに……俺を責めはしないんだな……) 「はい」 「行くぞ、ヴァルト」  毅然として前を見据えるサイラスは、誰よりも美しい。  そんなサイラスの側にいることを許されたのだ。  (今は師匠のために、全力を尽くそう)  ヴァルトはサイラスと共に、再び馬を走らせた。  

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