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第26話 無邪気な悪意
逃げた獣人の後を追って馬を走らせていたヴァルトは、突如として空を切るように風の流れが変わったのに気付いた。
同じく異変を感じとったサイラスが空を見上げる。
遠く空の彼方から勢いよく滑空してきたのは、巨大な飛竜だった。
風圧で付近の砂が舞い上がり、視界が霞む。
「何で飛竜がっ」
緊張感で強張ったサイラスが、綺麗な翡翠色の瞳を大きく見開いていた。
「飛竜なんてっ。人里に現れるような魔物じゃないですよ!」
思わずギョッとして、ヴァルトも馬を止めて見入ってしまう。
上空を旋回して飛ぶ巨大な影は、まるで何かを探しているようだった。
再び地上目指して滑空してきた飛竜は、長く大きな尾をサイラス目掛けて鞭のように撓らせる。
直撃したらひとたまりもない!
ヴァルトは咄嗟にサイラスの前方に回り込む。
「ヴァルト!」
ブンッと振り下ろされた尾は、ヴァルトに当たることはなかったが、風圧で馬がバランスを崩し、ヴァルトは落馬してしまった。
馬は驚いて走り去り、打ちどころが悪かったヴァルトは、吹き飛ばされてきた鋭利な石が左足に突き刺さった。
落馬の衝撃による打撲と、切り裂かれ血が滲む足の痛みで、ヴァルトはうめき声を上げる。
「大丈夫かっ」
蒼白な顔で馬から降りたサイラスが、慌ててヴァルトの側に膝まづいた。
あふれる鮮血を見て、サイラスが痛ましそうに顔を歪める。
「我慢できるか?」
「はい…………」
痛みに呻きながら答えたヴァルトを見て、サイラスが視線で飛竜の動きを追うと、何か探すように周囲を見渡した。
「こんな場所に現れるはずのない魔物だ。きっと誰かが呼び出したんだ。召喚に使った魔法陣さえ見つかれば、送り返せる」
「まさかっ。師匠! 精霊魔法を使うつもりですか?」
(これ以上精霊魔法を使っちゃ駄目だ!)
サイラスの魔力はヴァルトが側にいる限り、減る一方なのだ。
『人間はさ、魔力が切れると簡単に死んじゃうから』
嘲笑うロキの言葉がヴァルトの脳裏を掠めていく。
「止めて下さい! 精霊魔法はもうっ」
「お前が動けない以上、やるしかない」
サイラスは毅然として前を向くと、地面に刻まれた魔法陣を探し出した。
真剣な眼差しで魔法陣を見つめるサイラスの横顔を、身動きが取れないヴァルトはただ眺めている事しか出来ない。
「大地に刻まれし、帰還の門よ。空に刻まれし、旅立ちの標よ。天を舞う竜よ。汝の魂に刻まれし古き記憶を呼び覚ませ。我が名は、汝を束縛する者にあらず、ただ、理を正す者なり」
サイラスの詠唱によって魔法陣が光輝く。
光の柱となって、空を舞う飛竜をのみ込んだ光は、雷鳴のような轟音を上げた。
まばゆい光に目を開けている事が出来ずに、ヴァルトはギュッと目蓋を閉じる。
再び目を開いた時、収束する光と共に魔方陣に吸い込まれて行く飛竜の姿が見えた。
「やった……成功した……」
魔力を消費したサイラスが、ペタリと地面に座り込む。
荒い息を吐いていたサイラスだが、息が落ち着くとヴァルトの側に走り寄った。
「今治してやるからな」
「師匠、これ以上精霊魔法はっ」
「大丈夫だ。痛みを和らげる位なら大した事じゃない」
サイラスは携帯していた水で、ヴァルトの引き裂かれた傷口を洗った。
ヴァルトは痛みに顔を顰める。
その隙にサイラスは、指先に小さな魔法陣を二つ浮かび上がらせた。
光輝く魔方陣に向けて、サイラスの詠唱が続く。
「水の精霊よ。光の精霊よ。清廉なる水の恩恵、今ここに満ちよ。この血肉に宿りし傷を、生まれ出ずる光とともに癒す。新たな命の輝きを、この身に満たせ」
二つの魔法陣は一つに重なると、温かな光があふれ出した。
光はヴァルトの全身を包み込む。
輝く光が消えた時、ヴァルトの全身を覆っていた痛みが、波のように引いていた。
切り裂かれた傷口は塞がり、傷跡だけが残っている。
「傷口は塞いだが、完全に治ったわけじゃない。無理はするなよ。傷口が開いたら、また痛みだすから」
ほっと安堵した様子をしながら、サイラスは疲れ切ったように肩で息をした。
「師匠……」
(俺が不甲斐ないから、師匠に無理をさせてしまった……)
シュンと項垂れペタリと倒されたヴァルトの狼の耳を見て、サイラスがふふっと笑みを浮かべた。
「馬を探して来るから、お前はここで休んでてくれ」
よっこらしょと、おっさんくさいつぶやきを漏らしながら、サイラスは立ち上がる。
歩き出したサイラスの後ろ姿を、ヴァルトはただ見送る事しか出来なかった。
地面に座り込み、サイラスの姿が見えなくなるまで見つめていたヴァルトは、ふいに現れた何者かの気配に、背後を振り向いた。
すぐ側に銀色の髪に、凍える湖畔の目をした子供の姿を見つけて、ヴァルトはピンと大きな耳を逆立てる。
眉間に皺を寄せ、警戒心を剥き出しにしているヴァルトの姿を見て、子供は嘲るように笑った。
「そんな嫌そうな顔しないでよ。せっかく会いに来てあげたのに」
クククッと年に似合わない笑い声をあげて、ロキは悠々と佇んでいた。
「あ〜あ、飛竜如きにやられちゃって。可哀想な兄上」
「お前が呼び出したのか⁉」
「違うよ~、僕じゃない。獣人達じゃないの?」
ケタケタとロキは屈託ない顔で笑う。
「お前……お前だろう! 獣人達に手を貸したのは!」
「さあ、どうだろう? 困ってる人がいたから、助けてあげただけだよ」
「お前……」
ヴァルトは奥歯をギリギリと噛み締める。
「なんて……なんて事をしてくれたんだ……」
苦痛に顔を歪めるヴァルトを見て、ロキは可愛らしくペロッと舌を出して戯けている。
「って言うかさ~、兄上が聞きたい事って、こんな事じゃないよね?」
無邪気に小首を傾げて見せるロキに、ヴァルトは心底嫌悪感を抱いた。
(こいつは本当に……人の命をなんだと思ってるんだ!)
ヴァルトのギュッと握りしめた拳は、真っ白になるほど力んでいて、小刻みに震える。
(こんな……こんな奴の為に……師匠のお兄さんは死んでしまったなんて……)
ヴァルトの赤いルビーの瞳が、地獄の業火のようにギラついた光を帯びる。
そんな姿さえ面白いのか、ロキはクククッと含み笑いをした。
「……お前の望み通り、犬になってやる。師匠の犬になる方法を教えろ!」
「アハッ、それ本気?」
「俺は本気だ。師匠を救えるなら、なんだって出来る!」
はっきりと言い切ったヴァルトを見て、ロキはニンマリと笑った。
「そうこなくっちゃ。犬になる方法はね……」
耳もとで囁かれた言葉に、ヴァルトは大きく目を見開いた。
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