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第27話 命がけの足止め

 ヴァルトの馬を探し出したサイラスは、馬を連れてヴァルトの元へと戻った。  ヴァルトは地面に腰を下ろしたまま、じっとサイラスを待っていたようだ。 「待たせたな」  サイラスが声をかけると、ヴァルトはぎこちない笑みを浮かべ立ち上がった。  (ヴァルト?)  ほんの一瞬、何故かヴァルトの表情に違和感を抱いたが、サイラスは怪我のせいだと思い直す。  (まだ痛みが残っているのかもしれない)  本当はヴァルトをゆっくり休ませてやりたかったが、セオドア達拐われた子供の事を思うと、猶予はない。  (奴隷として子供達を売り物にするつもりなら、今すぐ危害を加えられる可能性は低いだろうけれど……)  ヴァルトと初めて出会った時の様子が脳裏に浮かんで、サイラスの翡翠色の瞳が陰りを帯びる。  (抵抗すれば暴力を振るわれるかもしれない)  ボロボロになり雪の中で倒れていたヴァルトの姿を思うと……  (出来るだけ早く救わなければ……) 「師匠、俺は大丈夫ですから。行きましょう」  馬に乗ったヴァルトに促されて、サイラスは先に進む事にした。  異変を感じたのは間もなくの事だった。  ヴァルトの狼の耳が何かを聞き取ったのか、ピクピクと揺れる。 「……叫び声が聞こえます。獣人の男達の声……子供の悲鳴? 何かあったようです!」 「急ごう!」  馬を走らせるスピードを上げて、サイラスはヴァルトと共に獣人達を追いかける。  向かい風が髪を揺らし、頬を掠めて行った。 「血の臭いがする……」  ふいにヴァルトのつぶやきが聞こえ、嫌な予感にサイラスの背筋が凍り付く。  はるか前方に横倒しになった何かが見え、サイラスは予感が的中してしまったと悟った。 「馬車がっ! 馬車が倒れてます!」  ヴァルトが驚きのあまり声をあげた。  ひしゃげた躯体と、転がった車輪。  牽引していた馬は血を流して倒れている。  ただの事故とは思えない異様な光景に、思わずサイラスは馬を止めた。 「……子供が泣いている」  微かに聞こえるすすり泣きに、サイラスは馬車に近寄ろうとしたが、ヴァルトが止めた。 「駄目です! 師匠!」 思わず振り返ったサイラスは、突然上空から吹き下ろして来た風圧を感じて目をつぶる。  再び目を開いた時、日差しを遮る大きな影を見つけて、体が強張った。 「……飛竜。どうしてっ」  まるで馬車を狙っているように、上空を三匹の飛竜が旋回している。 「一匹じゃなかったのか……」  魔法陣から召喚された飛竜は一匹だけだと思っていたサイラスは、予期せぬ事態に凍りつく。 「無理です……三匹なんて……」  絶望的な状況に、ヴァルトも呆然と呟いた。  飛竜を呼び出したものの、コントロール出来ずに攻撃されたのだろう。  子供達を拐った獣人の姿はなく、破壊された馬車ごと子供達を捨てて逃げたようだった。 「このままじゃ子供達がっ!」  馬を降り焦って走り出そうとするサイラスを、同じく馬から降りたヴァルトが押し止めた。 「駄目です! 近寄っちゃいけない! 師匠まで巻き込まれる!」 「見殺しにしろと言うのか! セオドア達を!」 「俺はっ! 師匠の方が大事です!」 「ヴァルト!」 「……諦めて下さい」  悲痛な顔で訴えるヴァルトからサイラスは顔を背けると、覚悟を決めた。 「……俺が足止めする」 「え?……何を言って……」 「精霊魔法で飛竜の動きを止める。時間を稼ぐから、ヴァルト。お前が子供達を助けて欲しい」 「師匠、精霊魔法はもうっ。無理です! これ以上使うなんて!」 「頼む、助けてくれ。お前しか頼れないんだ。お願いだから、助けて欲しい」  サイラスの必死な懇願に、ヴァルトはクシャリと泣き出しそうに顔を歪めた。 「……わかりました」  苦痛に呻くように、ヴァルトは了承した。 「ありがとう、ヴァルト」  サイラスは穏やかな笑みを浮かべると、前を向いた。  ぽうっと、両手の掌に魔法陣が二つ浮かび上がる。 「大地の精霊よ、その脈動を止めん。氷の精霊よ、その静寂を我に与えん。凍てつく世界の果てより、極寒の嵐よ来たれ。猛き者達を、今等しく氷の中に閉じ込めよ。翼は空を忘れ、爪は大地を掴むこと叶わず。我が凍土にひれ伏せ」  輝き出した魔法陣は一つに重なり、弾ける。  氷の結晶が大気中に広がり、キラキラと陽光を反射して輝く。  急激に下がり始めた温度が、空気を白く染めていく。  広がり始めた冷気は、周囲を包み込み、竜の舞う上空目掛けて駆け上って行く。  三匹の飛竜を捕らえた冷気は、翼を瞬く間に凍らせ、揚力を失った飛竜達は地上に落下した。  飛竜の倒れた地面は氷の柱を隆起させ、凍土が飛竜達の体を包み込む。  身動きの取れなくなった飛竜は、氷像のように固まってしまった。 「ヴァルト! 行け!」  サイラスの掛け声と共にヴァルトは、二頭の馬の手綱を引き走り出す。  (俺の精霊魔法は、持って五分から十分。ヴァルト達を逃がすまで、維持しなければっ)  サイラスは手持ちの魔石を全て取り出すと、一気に砕いた。  横倒しになった馬車にたどり着いたヴァルトは、馬車の扉を開け、中から子供達を一人、また一人と助け出す。  五人いた全ての子供を救い出すと、ヴァルトは年長の子供を二人サイラスの馬に乗せた。 「手綱を握って、絶対に離さないで。お馬さんに捕まってて」  トリスタンの面影を感じさせる子供に、ヴァルトは言い聞かせている。  (きっとあの子がセオドアだ)  声を掛ける事も叶わないサイラスは、じっと見つめる事しか出来なかった。  ヴァルトは残りの幼い子供を三人抱えると、サイラスを振り返る。 『必ず助けに戻ります』  言葉にしなくても、ヴァルトの眼差しはそう告げていた。  サイラスは頷く。  それを合図にヴァルトは馬を走らせた。その後を付いてセオドアを乗せたサイラスの馬が走り出す。  (持ってあと数分)  サイラスの額に冷たい汗が流れる。  (ヴァルト、逃げ切ってくれ!)  急激に減っていく魔力に、サイラスはめまいを感じて倒れそうになる。  だがここで倒れるわけにはいかない!  凍った大地を踏みしめ、サイラスは限界まで踏ん張った。  その間にも飛竜達を包み込む氷は、徐々に溶け出していく。  (もう少し! もう少しだけ持ってくれ!)  ギリギリまで精霊魔法を維持し続けたサイラスだが、魔力が尽きたのは突然の事だった。  フッと体の力が抜けた途端、ピキピキという音を立てて、飛竜を閉じ込めていた氷はひび割れた。  まるでガラスが砕け散るように、氷は弾け飛ぶ。  動き始めた飛竜を目前に眺めながら、サイラスの体は地に崩れ落ちた。  自由を取り戻した飛竜達は、怒りのあまり暴走し始める。  大きな翼が風を打ち付け、地面を抉り吹き飛ばして行く。  しなる巨体は鞭のように周囲を巻き込み、尾がブンッと宙を切り裂いた。  衝撃波が大気を駆け抜け、倒れるサイラスを巻き込んだ。  弾き飛ばされたサイラスは、激しく地面に叩きつけられる。  全身の骨が砕け散ったような痛みに、呻いた。  ゲホゲホと咳き込んだ拍子に、コポリとサイラスは口から血を吐き出した。  呼吸をする度にヒューヒューと空気が漏れる音がして、折れた骨が肺に突き刺さったのだと分かった。  流れ出した血は、左手に嵌められた金の指輪を赤く染めていく。  (貰ったばかりの指輪なのに……大事に出来なくて……ごめん)  かすみ始めた視界に、周囲の景色が見えなくなって行く。  脳裏に浮かぶのは、泣き出しそうな顔をしたヴァルトの姿だった。  (そんな顔させたくなかったのにな……)  それを最後にサイラスの意識はプツリと消えてしまった。  

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