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第31話 伝書鳩

 セオドアを連れて王都へ向けて出立した日。  サイラスはオーレリアの町で伝書鳩を購入した。 「師匠の家にもいる鳩ですね」  ヴァルトとセオドアが興味深そうに、鳥籠の中の鳩を眺めている。 「家に戻る余裕はないから」  魔石によって身体を強化された伝書鳩は、どこにいても飼い主の元へ戻って来る。  サイラスは王都の両親に宛てて、手紙を書いた。  トリスタンの忘れ形見である、セオドアを連れて行くと。  手紙を伝書鳩の足に括り付け、サイラスは両親の元へと飛ばした。  もし返事が帰って来なかったら、あるいは両親がセオドアを拒絶したら、サイラスはセオドアを引き取り、自分で育てる覚悟を決めていた。  ヴァルトには伝えていないが、サイラスの気持ちを理解してくれると感じていた。  セオドアの境遇に幼い頃の自分を思い出すのか、ヴァルトはセオドアの面倒を積極的に見てくれている。  セオドアもヴァルトにとても懐いていた。    しばらくして、もう間もなく王都にたどり着くという頃。  サイラスの元に伝書鳩が戻って来た。  足には手紙が括り付けてあって、サイラスは緊張しながら中身を確認する。 「どうでしたか?」  セオドアに隠れてこっそりと手紙を読んでいるサイラスに、ヴァルトが小声で尋ねてきた。 「連れて来て欲しいそうだ」  ほっと安堵したサイラスを見て、ヴァルトは微笑む。 「良かったですね」  祖父母に受け入れて貰えなかったら、両親を亡くしたばかりの幼いセオドアを、深く傷つける事になる。  ヴァルトは、そんな心配をしていたサイラスの不安を察してくれていたのだ。  (ずっと年下だと思っていたのに……)  ヴァルトに甘えるには年上の矜持があって、サイラスは素直になれなかったけれど。 「うん……ありがとう、ヴァルト」  これからはもう少し甘えても良いのかもしれない。  パタパタと揺れるヴァルトの尻尾を見つめながら、サイラスも微笑んだ。  久しぶりに見る王都の城砦は、相変わらず来る者を拒むような威圧感があった。  巨大な石造りのアーチの下で、今日も鉄格子で出来た厳つい門扉が上下に動いている。  門を潜って王都の中へ入るには、検問所を通過しなければならず、先日しつこく問答させられた事を思い出したサイラスは、眉間に皺を寄せた。 「ヴァルト、フードコートを深く被って。絶対に耳と尻尾は隠せ。念のために目眩ましの魔法をかけるから」  サイラスは精霊魔法を使って、ヴァルトの狼の耳と尾を隠そうとした。  だがヴァルトは頷かなかった。 「このフードコートだけで大丈夫です。師匠はまだ魔力が安定していないんだから、無理しないでください」 「ヴァルト……」  番になってヴァルトから魔力を譲渡されたせいか、ヴァルトにはサイラスの魔力の状態が分かるらしい。  (魔力の一部は、ヴァルトと今も共有してるのかもしれない)  これがフェンリルの番になるという事なのか。 「分かった」  サイラスは素直に引き下がる。 「僕、精霊魔法見たかった」  セオドアは残念そうにしていたけれど、ヴァルトに「また今度にしよう」と宥められ、頷いていた。  城門の前に並び、検問所の門兵が来るのを、サイラスはヴァルトとセオドアを連れてじっと待っていた。 「次、名前と要件を言え!」  厳つい甲冑を着込んだ門兵が二人、相変わらず威圧的な物言いで尋ねてくる。 「私はサイラス・ファラモンド。ガーディアンウォール辺境伯領の騎士だ。実家の両親に用があって戻って来た。この男は私の番のヴァルト、この子は甥のセオドアだ」  淀みなく答えて、門兵達を見据える。 「身分を証明する物が必要か?」  サイラスが家紋の入った指輪を取り出す前に、門兵達が言う。 「いや、あんたか。必要ない」 「通って良いぞ」  やけにあっさり検問所を通されて、サイラスは拍子抜けした。 「いったい……何なんだ?」  城門をくぐり抜け、思わず悪態をつくと、ヴァルトがすかさず答えた。 「師匠の顔、覚えてたからですよ。師匠みたいな美人さんは、目立ちますからね」 「お前な……そう言うことは、もうすぐ三十路のおっさんに言うセリフじゃないぞ?」 「そんな師匠に番って紹介して貰えて、俺は幸せです」  風が吹いているわけでもないのに、パサパサとヴァルトのフードコートが音を立てているのは、フサフサの尻尾が激しく揺れてるせいだ。 「本当の事なんだから、当然だろ」  サイラスは頬を赤く染めると、そっぽを向いた。  馬を引き、平民達の賑やかな商店街を抜けて、サイラス達は華やかな邸宅が並ぶ、貴族街へと足を踏み入れる。  美しい庭園に花々の香りが漂う邸宅が並ぶ通りを歩きながら、サイラスは獣人奴隷を見た時の事を思い出した。  あの時のヴァルトの気持ちを思うと、辛く悲しい気持ちになる。  幸いな事に通りには獣人奴隷をつれた貴族の姿はなく、それだけが救いだった。  間もなくして重々しい空気が漂うサイラスの実家、ファラモンド伯爵邸が見えて来た。  相変わらず甲冑を身に着けた重装備の騎士達が門番をしていたが、他にもう一人初老の男が待っていた。 「お待ちしておりました。サイラス様」  サイラスに恭しく頭を下げたのは、使用人として長くファラモンド家に仕えている家令だった。  家令はサイラスを見つめると、目尻に涙を浮かべている。 「長い間、顔を見せることもせず、すまなかった」  サイラスも若い頃の家令が、遊び相手になってくれた姿を思い出し、涙ぐむ。 「いえ、私の事を覚えていてくださっただけで…………充分です」  家令に案内されて重厚な門を潜り、大きな庭園に足を踏み入れる。  やがて現れた古風で立派な屋敷を前に、サイラスは足を止めた。 「サイラス様?」  サイラスがヴァルトとセオドアを連れて、屋敷の中に入ると思っていた家令は、訝しげな声をあげる。 「お屋敷の中へご案内します」 「申し訳ないが……父上と母上を呼んで来てくれないか?」 「……中には入られないのですか?」  家令に問われ、サイラスは頷く。 「……私はファラモンド家を出た身だから。戻るつもりもない家に……入れない」  サイラスの覚悟を感じ取ったのだろう。  家令は屋敷の中へと一人で入っていく。  やがて再び家令は現れると、屋敷の主であるサイラスの父ラグナと、オメガの母マイロを連れて来た。 「父上……母上……」  二人の姿を見た途端、サイラスの胸は張り裂けそうになった。  かつてガラハッド王国の近衛騎士団長を務めていた父は、精彩をなくしていた。  サイラスにとって大きく強い存在だった父が、老いとトリスタンを亡くした悲しみで、とても小さく感じられる。  サイラスにオメガとして生き抜く為の知恵を授けたマイロも、憔悴しやつれていた。  若い頃のマイロは、今のサイラスに良く似ていて、とても美しい人だったのに。  やせ細り、輝きをなくした姿は、見ているのが辛くなる程だった。 「…………サイラス!」  顔を歪ませ涙を浮かべ、サイラスの名を呼びながら、マイロは走り寄りサイラスを抱きしめてきた。 「サイラス……私のサイラス……」 「母上……」  サイラスもマイロを抱きしめる。 「長い間……不義理をして……申し訳ありませんでした」  声を震わせながら、やっとの思いで告げたサイラスを、マイロは必死に抱きしめていた。  もう離さないと言いたげに。  涙を流し続けるマイロの背をなだめるように撫でながら、サイラスは十七年ぶりに母の温もりを感じていた。  ようやくマイロが落ち着くと、サイラスはヴァルトと共に後ろに控えていたセオドアの名を呼んだ。 「母上。この子がセオドアです。トリスタン兄上の子です」  そっとセオドアの背を押して、マイロの元へ行くように促した。  セオドアは戸惑いながらも、マイロに挨拶をする。 「こんにちは、セオドアです」  マイロはセオドアの姿を見た途端、再び涙を零した。 「トリスタンの子供の頃に、とても似ている。私に顔を良く見せて」  素直にマイロの側に近付いたセオドアを、マイロはギュッと抱き寄せた。 「私があなたのお祖母様ですよ。これからは……ずっと側にいるからね」 「お祖母様? 僕と一緒にいてくれるの?」 「もちろんですよ」  (母上は……セオドアを受け入れてくれた。きっともう大丈夫だ)  トリスタンを失った悲しみも、セオドアが癒してくれるだろう。  そう確信したサイラスは、ずっと黙って見守っていた父のラグナと向かい合う。 「父上……長きに渡り顔を見せる事もせず……申し訳ありませんでした」  父に向かってサイラスは深々と頭を下げた。  ラグナは言葉が出ないのか、ただ皺の寄った目元に涙を浮かべている。 「セオドアを、トリスタン兄上の子を……よろしくお願いいたします。どうか兄上の願いを……ファラモンド伯爵位を、セオドアに継がせてください」  ずっと黙っていたラグナが、ようやく口を開く。 「サイラス……お前は……どうするつもりだ?」 「私は辺境に戻ります。辺境でヴァルトと……私の番と暮らしていくつもりです」 「番……お前に……番が……」  オメガ性を拒み続けていたサイラスに、番がいる。  父のラグナは想像もしていなかったのだろう。  涙の膜が張った目を大きく見開く。  その時だった。  ずっとサイラスの後ろに控えていたヴァルトは、一歩前へ進み出ると、被っていたフードを脱いだ。  現れた黒髪の間からピンと立ち上がった狼の耳を見て、ラグナが息を飲む。 「ヴァルト!」  まさかヴァルトがフードを外すとは思っていなかったサイラスは、焦った。 「……獣人……」  ヴァルトの姿を見た途端、ラグナが呆然と呟く。  (まずい。このままでは、私兵を呼ばれてしまう!)  武装したファラモンド家の騎士は、手練れ揃いだ。生半可な覚悟では、太刀打ち出来ない。  どうすればヴァルトを守れるかと焦るサイラスの側で、ヴァルトはラグナに向かって恭しく頭を下げた。 「番として……生涯をかけて師匠を愛し、守り抜くと誓います」 「ヴァルト……」  真剣な眼差しで、ラグナに訴えるヴァルトがそこに居た。  ラグナはフッと何かを吹っ切ったように、表情を和らげた。 「私は長い間……自分の考えを曲げる事が出来ずに……サイラス、お前にもトリスタンにも、苦労を強いてしまった……もっと早く認めてやれば……お前達を……手元から失う事はなかった……」 「父上……」 「……お前の好きなようにしなさい」  ラグナはそっと手を伸ばしてきた。  サイラスがその手を掴むと、ラグナはサイラスを抱き寄せた。 「すまなかった……サイラス」 「……父上」  ラグナはサイラスを解放すると、ヴァルトと向き合う。 「息子を頼みます。どうか、大事に……大切にしてやってください」 「はい。必ず大切にすると誓います」  ラグナに向かってはっきりと宣言したヴァルトを見て、急にサイラスはこそばゆい気持ちになる。 「サイラス。いつでも帰って来なさい。ここはお前の家なのだから」 「サイラス! また帰っておいで。お父様も私も……待ってるから」  マイロに再び抱きしめられ、サイラスは母の温もりを忘れないように深く心に刻み込む。 「サイラス叔父さん、ヴァルトお兄ちゃん。……辺境に行っちゃうの?」  ラグナとマイロに手を繋がれたセオドアが、寂しそうに尋ねてきた。  サイラスはふと思いつくと、馬に括り付けていた鳥籠を、セオドアに手渡した。  鳥籠の中には、オーレリアで購入した伝書鳩が入っていた。 「セオドアにこの子をあげるよ」 「伝書鳩? くれるの?」 「うん。落ち着いたら、手紙をいっぱい書いて欲しい。俺も必ず返事を書くから」 「分かった。僕、いっぱいお手紙書くね」  名残り惜しそうに見つめる両親とセオドアに見送られて、サイラスはヴァルトを連れてファラモンド家を後にする。 「戻ろうか、俺達の辺境に」 「はい」

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