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「これはね、アプフェルシュトゥルーデルというおかしだよ」
もぐもぐと口を動かしながら、レオネの言葉に耳を傾ける。甘すぎず、シナモンの香りとリンゴの香りが咀嚼するたびに香ってくるそれは、よく意味の分からない名前のようだ。あぷふぇる……まではわかったけれど、もうその先を覚える気がない。
「いまでいう、アップルパイの原型だと言われているんだ」
「アップルパイ」
最初からそう言えと軽口を叩き、もう一口口に運ぶ。うまっと言いながら足を揺らすと、レオネが穏やかに笑うのが見えた。
「美味しそうに食べるね」
「おいしいよ、こういうの、初めて食べた」
「イル・セーラはこういうおかしを作る文化がないのかい?」
「子どものころからここにいるし、覚えてないだけかも」
でも、初めて食べたと思うよと告げる。レオネはすこし神妙な顔になって、カルテになにかを書き始めた。カルテに視線を落とす。高級そうな万年筆は、インクをかすれさせることもなく綺麗な文字を紡いでいく。かなり几帳面で、字がきれいだ。すらすらと紡がれるそれを見ながら、最後の一口を頬張る。
不摂生に加えて栄養不良とはっきり書かれている。細いし、小さいのは認める。同年代のイル・セーラよりも、頭半分小さいからだ。いまのところ自分が一番年少者だし、もうひとりの同い年の子は強制労働組だ。別の地区で死んだイル・セーラの遺体を埋める穴を掘らされている。
そういう裏事情を知ったうえで、レオネはここにきているのだろうかと思う。たぶん、なにも知らない。さっきの行為くらいでうろたえるだなんて、自分が昨日ゲストになにをされたかを言ったら、卒倒するんじゃないだろうか。
「明日は、朝ごはんをきちんと食べるようにね」
言われて、ユーリはもぐもぐと口を動かして、レオネに視線をやった。はっきり言おうかどうか、考える。でも、はぐらかしたところできっとわかるし、どうせ次は来ないだろう。そう思いながら、ごくりとそれを飲み込んだ。
「明日は朝からゲストに抱かれるし、そんな暇はない」
サシャに朝ごはんを取っておいてと言ったが、大体ゲストに遊ばれたあとに食べる。プレイ時間は金額によっても違うが、大体2時間だ。冷めているだろうけれど、いまの収容所の体制になるまで、温かいものを食べられるのは冬場だけだった。それも看守の機嫌がいいときや、いい看守に当たったときだけ。今年の冬は寒かったから、凍死者もかなりいた……なんて言ったら、レオネはどんな反応をするのだろう。
純粋で、強かさのかけらもない。自分とは違う。住む世界も、なにもかも。
レオネがまたさらさらとなにかを書き加える。備考欄に、大文字で書かれたそれを見て、ユーリは首を傾げた。フォルムラ語は基本的に文字の書き始めや強調したい部分以外大文字を使わない。ということは、レオネはこれを強調したいようだ。「成長期の子どもに食事をきちんと与えないのは虐待であり、看守の職務怠慢である」
その、少し丁寧さが失われたそれからは、怒りすらうかがえる。哀れみではないその感情は、ユーリには理解ができなかった。淹れてもらった紅茶を少しずつ飲みながら、レオネの様子を見た。
職務怠慢もなにも、ずっとこうだった。みんな疑問には思っていても口に出さないし、いまの体制になってからは夏場以外は取り置きも許してくれる。前はそれすら許されなかったから、ゲストに立て続けに抱かれるときには、数日まともに食べられなかったことだってある。それを考えたら、本当にマシなほうだ。
紅茶を飲み終え、テーブルに置く。いつものように手を組んで簡易のお祈りをしたあとでレオネに視線をやる。レオネはまだ少し難しい顔をしているようだ。
「そんなに言うなら、あんたが買ってくれたらいい」
そのたびにアップルパイ持ってきてと、強かに笑う。レオネは微苦笑を漏らして、「そういう問題じゃないよ」と目を伏せた。
「ぼくは月曜と金曜のどちらか、または両方来ることになると思う。ほとんどが夜勤だから、仕事が終わった次の日の朝は、きみを買うことにする」
ユーリはきょとんとした。難しい顔をしていたのは、それを考えていたのかと思う。
「いいけど、割と高いよ」
「きみが食事を摂れないよりはいい」
「へんなの。奴隷は替えがきくってみんな言っているのに」
本当によくわからないと思いながら言った軽口だったが、レオネがまた難しい顔をしたのが分かった。看守は替えがきかないけれど、奴隷は替えがきく。死んだらよその収容所から数合わせで連れてくるだけで、簡単に人数合わせができる。嗜虐的な看守に脅されるとき、毎回そう言われていた。
ひどいときにはサシャを殺すと脅されたし、問答無用で複数人に回されることなんて、本当に日常茶飯事だ。いまもたまに、そういう奴に当たったときには警戒をするに越したことはない。新しい上司の顔色を見ているだけで、きっとそのうちにまたぼろを出すと、サシャも言っていたからだ。少しして、レオネが自分の中にあるなにかを振り払うように、ふうと長い息を吐いた。
「命の替えはきかないよ。そう言った人は、自分が殺されても文句を言わないのだろうね」
その目の鋭さに、びくりと肩が震える。穏やかさは微塵もない。怒りと、悔しさに塗り替えられている。またカルテに書き加えられる。さっきのようにすこし乱雑な大文字で、備考欄に「要是正箇所多数、問題あり」と記入される。問題あり? と、口の中で呟いて、首を傾げた。
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