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第9話

◇  ノアリスは小さく体をふるわせていた。  なぜか。目の前に兄──皇太子がいるからだ。  彼はどこか仄暗い瞳でノアリスを見下ろしている。  ノアリスは誰よりも兄を恐れていた。  四年前──ノアリスがこの塔に囚われることになったのは、彼が理由であるからだ。  いつからかわからない。  しかし、ある時から兄の自分を見る目が歪んでいることに気がついた。  そしてそれが確信に変わったのは、ある夜のこと。  城の私室でそろそろ眠ろうと支度をしていた時、兄が現れてお茶に誘われた。  それは特別珍しいことでも無かったので、何を疑うことも無くお茶を飲んだのだが、少しして体に力が入らなくなった。  何かが、おかしい。  そう思った時にはもう既に遅く、ノアリスはベッドに運ばれ、抵抗することも出来ず、兄によって無理矢理犯された。  兄に薬を盛られ、抵抗できぬまま身体を奪われた夜。  ノアリスの記憶は今でも、そこで止まっている。  それは大きな事件となった。  兄は父である国王に酷く叱責され、反省する態度を見せていたが、それが本当かはわからない。  ノアリスは体調を崩し、数日間は部屋から出ることもままならなかった。  母である王妃は、兄が弟を犯すなどという奇行を行ったことで狂ってしまい、事件の数日後には命を絶ってしまわれた。  そんな、絶望に絶望を重ねるような数日間を過ごしていた時、ノアリスは腹が張るような痛みを感じた。  それは段々と酷くなっていき、我慢できずに泣き叫ぶほど、痛みに暴れる。  腹の中に大きな何かが詰まっているようだった。  それを出そうと厠に行くが、なかなか出てこない。  医師が慌ただしく手を動かし、ノアリスの身体を──奥の奥まで──確かめたその時、ぽつりと呟いた。「……これは、卵だ」と。  そこからは早かった。  その卵を何とか産み落としたのだが。  それを見て感激したのは、兄、ただ一人。 「……これは、すごいな」  彼は薄く笑って、殻ごと口に運んだ。  ノアリスは震えた。吐き気が込み上げた。  そして翌日、兄は王に叱責された際に頬を殴られ、怪我をしていたのだが、その青い痣が、跡形もなく消えていた。  あれから四年──  ノアリスはこの塔に囚われたまま、生きることを命じられた。  あの夜の記憶は、脳裏に焼き付いたまま消えない。  兄の歪んだ愛情、身体を蝕む痛み、そして腹の中に生まれた“異物”。  卵という、呪いのようなその存在が、自分の身体に巣食っている。  ……どうして自分だけが、こうして。  ノアリスは、もう涙も流せなかった。

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