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第29話

 ノアリスは自身でも少し驚いていた。  カイゼルに触れることを許したのは自分だが、しかし、あたたかいと感じるとは思っていなかったのだ。  卵を産まされてから、心を象っていた縁が崩れてしまった音が聞こえた気がした。  もう疲れて、話すことも、何かを感じることも億劫で。  出産でボロボロになった体は回復しきっておらず、その中でルイゼン国に受け渡される。  国を出られることは、あの塔から離れられることには有り難さを感じるが、如何せん身体中が軋んでいるような感覚で。 「飲み物も、果物も用意させよう。だが、無理に食べなくていい。……少しでも、食べてくれるのなら、俺は嬉しいが」 「……カイゼル、陛下」 「カイゼルでいい。それから──あそこにいるのは、俺の側近のイリエントだ。俺が居ない時に何かがあれば、あいつに言ってくれ」 「……」  チラリ、カイゼルが指さした方を見る。  するとそこには、物腰柔らかそうな人がいて、にこやかに微笑みヒラヒラと手を振っていた。  ノアリスはカイゼルに顔を向け、小さく頷く。 「かい、カイゼル、様」  名前を呼ぶことの緊張で、喉が震える。 「ああ、なんだ」  しかし、彼は太陽のように明るく微笑んで返事をしてくれた。  その優しさが、ノアリスには不思議だった。 「……国王様に、私のようなものが、このように扱っていただいて、いいのでしょうか」  こちらを気遣うような言葉に、傷つけまいとそっと触れてくれる手。  無機質なそれとは、全く違う。 「私は、ただの、道具です。卵を産むための……道具。それなのに、こんなにも、良くしていただいて──」 「馬鹿なことを言うな。俺はそなたを、一度たりとも道具だと思ったことは無い」  わずかに、カイゼルの手が震えている。  それに気がついたノアリスは、その声にも怒りが含まれていることに気がついた。 「ノアリス。俺はそなたの心が少しでも癒えて、体が回復し、いつかは──笑顔を見せてくれたのなら、それでいいんだ」 「……っ」 「今は、何も感じられないかもしれない。体も心も、疲れ切って、朝に目を覚ますことも嫌になる日々かもしれない」 「は……」 「だが、俺は太陽の下を歩くぞ。いつか、笑顔のそなたと」  目元が、濡れていた。  その実感は無かったのだが、カイゼルの指先が伸びてきて、優しく拭われる。  彼の言葉に、月に一度だけでも外で感じられたあたたかさを思い出す。  鳥のさえずりも、頬を掠める風も。 「か、いぜる、様」 「歩けるようになるまで、俺が支えよう」 「……ふ、」 「泣き方も下手くそだな」  苦笑するカイゼル。  ノアリスは涙の止め方も分からず、しかし声を押し殺すように泣いて、柔く手を握り返した。

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