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第30話
ノアリスが泣き止んだ頃、いつの間にかイリエントが指示を出していたらしく、飲み物と果物が運ばれてきた。
目の前に並ぶ新鮮で美味しそうな果物を、ノアリスは少し興味深そうに見つめている。
「苺が気になるか?」
「いちご……昔、食べました。あまくて、美味しかったような、気がします」
「ああ。一つ取ってやろうな」
起き上がるのが億劫で寝転んだままの体勢を、カイゼルは叱らない。
口元に運ばれてきた真っ赤なそれに、そっと口付けた。
ジュワッと口の中で広がる果汁。
おそらく、甘いのだろう。
しかし、ノアリスは何も感じなかった。
昔食べた物とは、全く別物のようで、果汁はただの水みたい。
「美味いか?」
「……はい」
ノアリスは嘘をついた。
美味しいと言わなければ、申し訳ないと思ったのだ。
「──無理をしなくていい」
「っ、」
「極度のストレス状態になると、味を感じられなくなる場合がある」
「……」
「もしかすると、そうじゃないか?」
ノアリスはカイゼルの問いに躊躇いながらも、静かに頷いた。
失望させたくないと思ったのだが、嘘を重ねて怒られるのも怖い。
しかし、食べなくては。きっとこれまで過ごした塔の時と同じで、粗末にするなと叱責される。
「そうか……」
「った、食べます……」
「? 食べたいのなら、食べればいい。しかし、無理はしなくていい。ゆっくりで構わないから、無理せずに、回復していこう」
「ぁ……」
「水分だけはとってくれると嬉しい」
カイゼルの声は、いつだって穏やかだった。
怒鳴られるのではないかという恐怖に身を固くしたノアリスは、次の言葉を聞いて、ふと肩の力が抜けるのを感じた。
「無理しなくていい」という言葉が、こんなにも救いになるとは。
「……ありがとう、ございます」
掠れる声は、か細く、頼りない。
しかし、ノアリスは確かに感謝をしていた。
イリエントがそっと白いカップを差し出す。
受けとったカイゼルは、それが薄く色づいた果実水だとわかると、そっとノアリスの口元に持っていく。
「一気に飲まなくてもいい。少しずつで構わない。飲めるか?」
ノアリスはイリエントに支えられながら、そっと体を起こした。
小さく震える両手でカップを持ち、口をつける。
味は……やはり、ほとんどしない。
それでも、喉を潤す感覚は確かにそこにあって、ほんの少しだけ体が軽くなったような気がした。
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