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第49話

 体を包む体温があたたかい。  ノアリスはぼんやりと宙を見ながら、体に回る腕を掴み、このままでいて欲しいと暗に伝えていた。    突然襲った恐怖に頭が混乱してしまった。  ここがどこかも、彼が誰かもわからなくなって、きっと情けなくて愚かな姿を見せてしまった。  それに……吐瀉物で汚れた姿だって。 「……カイゼル様」 「ああ。どうした」  名前を呼べば、必ず返事をしてくれる。  ノアリスはゆっくりと顔を上げて、彼を見つめた。 「情けない姿を、お見せして、申し訳ございません……」 「情けない? 全くもって、そんなことは無い。何も気にしなくていい。……むしろ、俺の方こそ、そなたの異変に気づけなかった。すまない」 「そんな……」  ノアリスは驚いて目を見張る。  そんなふうに、全てを受け止めてくれる人がいるのだとは、知らなかった。 「俺には想像できないほどの苦痛なのだろう。だから、全てをわかってやれないのが、申し訳ない」 「……か、カイゼル様がそのように思う必要は無いのです……!」 「いいや、しかし、俺がそなたを守ると決めたのに」 「っ!」  カイゼルの言葉にノアリスはつい俯いた。  これまで、信じていなかった訳では無い。  しかし、やはり、彼の本心を知っている訳では無いので、信頼することはできなかった。  それが、彼は、他国の形だけの王子である自分を、守ると言ってくれたのだ。  そして、今も、呆れることなく傍にいてくれる。 「カイゼル様、あの──」 「──失礼します」  ノアリスが続けて言葉を紡ぐより先に、イリエントが扉を開け、部屋に入ってきた。 「お二方とも、少しよろしいですか」 「ダメだ。今、ノアリスが話そうとしていた。邪魔するな」 「ええ、そうですか。ですが、外で心配そうに主を待っている健気なロルフはどうするおつもりで?」 「あ──、ロルフ」  名前を呼ぶ。  すると開かれた扉からトボトボと部屋に入ってきたロルフ。  どうやら、かなり不安な思いをさせてしまったらしい。 「ごめんね」  そう言って手を振れば、ロルフは控えめに尻尾を揺らし、傍に寄ってきて、そっと差し出した手をぺろり舐められる。 「──さて、少し落ち着いたのなら……、二人ともお着替えを。汚れてしまっているので、湯浴みを済ませてもらう方がよろしいかもしれませんね」  イリエントの言葉が少し厳しい気がする。  ノアリスは首を竦め、カイゼルの腕に少しだけ顔を隠した。 「それから──ノアリス王子」 「っ、は、はい……」 「医者を呼んでいます。診察を受けてください」 「っ!」  医者という言葉に嫌な思い出しかないノアリスは、また鼓動が速くなりだすのがわかった。   「……おい。ノアリスが落ち着いてからでいいだろう。そう急かすな」 「しかし、医者はもう扉の前に控えております。陛下がお呼びになったのでしょう。しっかりと診てもらわなくては、王子の体に何かがあってからでは遅い」  イリエントはそう言うが、しかし、怖いものは怖い。 「……ぁ、い、医者、は……」 「……。診察は、内容をすべて説明させてから行います。そして、おかしなことはしないよう、陛下も私も、傍を離れません」  顔を上げる。  カイゼルと目が合うと、彼は「無理はしなくていい」と頭を撫でてくれる。 「ノアリス王子。よくお考え下さい。もしも、貴方様が何かしらの菌を持っていたとしましょう」 「おい!」 「……早く診てもらっていれば、何にもならなかったのに、それが陛下に伝染れば、どうします?」 「!」  思わず目を見張った。  そんなこと、あってはならない。  『もしも』の話だとしても、イリエントのそれは十分な効果を発揮し、ノアリスはゆっくりと頷いた。 「……診て、もらいます」 「よかったです。では、入ってもらいますから、それが終わり次第先程伝えたとおり、湯浴みか、お着替えを」  ノアリスはぎゅっとカイゼルの腕を掴み、部屋に入ってきた医者を不安な目で見つめた。

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