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第59話

「ノアリス?」 「……カイゼル様は、どうして、私にこれほどまで、優しくしてくださるのですか……? 私は、何もできない、何の価値もない人間です。フェルカリアでは王子でしたが、それも名ばかりで、何の権限もございません」  それなのに、どうして。  エメラルドグリーンの瞳を見つめると、彼はその目を細め穏やかに微笑んでいた。  カイゼルはそっとノアリスの頬に触れ、ためらいなく言葉を落としていく。 「ノアリス。そなたが自分をどう思おうと……俺にとっては、大切だ」  低く柔らかな声音が、胸の奥に染みわたる。  ノアリスは瞬きを繰り返す。信じられないとでも言うように首を横に振った。 「……私が、大切……?」 「そうだ」  カイゼルと繋いだままの手が、きゅっと強く握られる。   「理由が要るのか? そなたがそこにいて、笑ったり、時に怯えたり……その全部が、俺の心を動かす。だから守りたいと思う」  あまりにまっすぐな言葉に、ノアリスの胸は痛いほど締めつけられる。  何も返せない。何もできない。  それでも──彼は確かに、望んでくれている。 「わ、私、も……」 「ノアリスも?」 「っ、私も、カイゼル様を、大切に、思っています」 「それは……嬉しいな」 「……だ、抱きしめても、よろしい、ですか……?」 「! ああ、もちろんだ」  少し緊張しながら、カイゼルに擦り寄ったノアリスは、その逞しい体に腕を回す。腕に力がこもり、ぎゅっと抱きしめると、カイゼルの胸から温かな鼓動が伝わってくる。  その音は、ひどく穏やかで、心を落ち着かせる子守歌のようだった。 「カイゼル様の……鼓動、落ち着く……」 「ああ。そなたの震えも、少しずつ治まってきたな」  囁く声に、ノアリスは小さく頷く。  背中に回された手が、優しくそこを撫でた。  まぶたが重くなっていくのを感じる。 「カイゼル様……このまま、離れたく、ありません……」 「……なら、このままでいよう。安心して眠りなさい」  髪を梳かれる。その手つきは壊れ物を扱うかのように柔らかくて、気がつけばノアリスは深い眠りに落ちていたのだった。 ◇  浅い寝息が規則正しく響き始めると、カイゼルは静かに目を伏せた。  ──まだ、囚われている。  フェルカリアでの環境から、自分に価値がないと思ってしまっている。  その言葉を聞くたびに、胸が痛むのだ。  しかし、一歩前進したのは、大切に思っているということが、伝わったこと。  そして、ノアリス自身も、同じ思いだと教えてくれたこと。  自ら腕の中に入ってきて、離れたくないと言い眠っている。  それがカイゼルにとって、どれだけ嬉しいことであるかを、ノアリスは知らない。 「……こんな感情を抱くのは、初めてだ」  かすかな声で呟く。眠る彼には届かないと分かっていながら。  それでも言葉にせずにはいられなかった。  初めて見た時から、惹かれていた。  あの時はただ興味があっただけ。しかし、この壊れそうな美しい人を、どうにか守りたいと思った。  いつか、満面の笑みを見せてほしいと。  カイゼルは横たわるノアリスの髪を指先でそっと払うと、静かに目を閉じる。  今はただ、彼を包む夜が優しいものであることを願いながら。

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