59 / 91
第59話
「ノアリス?」
「……カイゼル様は、どうして、私にこれほどまで、優しくしてくださるのですか……? 私は、何もできない、何の価値もない人間です。フェルカリアでは王子でしたが、それも名ばかりで、何の権限もございません」
それなのに、どうして。
エメラルドグリーンの瞳を見つめると、彼はその目を細め穏やかに微笑んでいた。
カイゼルはそっとノアリスの頬に触れ、ためらいなく言葉を落としていく。
「ノアリス。そなたが自分をどう思おうと……俺にとっては、大切だ」
低く柔らかな声音が、胸の奥に染みわたる。
ノアリスは瞬きを繰り返す。信じられないとでも言うように首を横に振った。
「……私が、大切……?」
「そうだ」
カイゼルと繋いだままの手が、きゅっと強く握られる。
「理由が要るのか? そなたがそこにいて、笑ったり、時に怯えたり……その全部が、俺の心を動かす。だから守りたいと思う」
あまりにまっすぐな言葉に、ノアリスの胸は痛いほど締めつけられる。
何も返せない。何もできない。
それでも──彼は確かに、望んでくれている。
「わ、私、も……」
「ノアリスも?」
「っ、私も、カイゼル様を、大切に、思っています」
「それは……嬉しいな」
「……だ、抱きしめても、よろしい、ですか……?」
「! ああ、もちろんだ」
少し緊張しながら、カイゼルに擦り寄ったノアリスは、その逞しい体に腕を回す。腕に力がこもり、ぎゅっと抱きしめると、カイゼルの胸から温かな鼓動が伝わってくる。
その音は、ひどく穏やかで、心を落ち着かせる子守歌のようだった。
「カイゼル様の……鼓動、落ち着く……」
「ああ。そなたの震えも、少しずつ治まってきたな」
囁く声に、ノアリスは小さく頷く。
背中に回された手が、優しくそこを撫でた。
まぶたが重くなっていくのを感じる。
「カイゼル様……このまま、離れたく、ありません……」
「……なら、このままでいよう。安心して眠りなさい」
髪を梳かれる。その手つきは壊れ物を扱うかのように柔らかくて、気がつけばノアリスは深い眠りに落ちていたのだった。
◇
浅い寝息が規則正しく響き始めると、カイゼルは静かに目を伏せた。
──まだ、囚われている。
フェルカリアでの環境から、自分に価値がないと思ってしまっている。
その言葉を聞くたびに、胸が痛むのだ。
しかし、一歩前進したのは、大切に思っているということが、伝わったこと。
そして、ノアリス自身も、同じ思いだと教えてくれたこと。
自ら腕の中に入ってきて、離れたくないと言い眠っている。
それがカイゼルにとって、どれだけ嬉しいことであるかを、ノアリスは知らない。
「……こんな感情を抱くのは、初めてだ」
かすかな声で呟く。眠る彼には届かないと分かっていながら。
それでも言葉にせずにはいられなかった。
初めて見た時から、惹かれていた。
あの時はただ興味があっただけ。しかし、この壊れそうな美しい人を、どうにか守りたいと思った。
いつか、満面の笑みを見せてほしいと。
カイゼルは横たわるノアリスの髪を指先でそっと払うと、静かに目を閉じる。
今はただ、彼を包む夜が優しいものであることを願いながら。
ともだちにシェアしよう!

