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第61話
カイゼルの部屋で、彼と共に朝の支度をする。
そんなことは初めてで、ノアリスはひどく緊張していた。
そもそも彼には従者がおらず、これまでの朝の支度といえば、用意された湯と布で簡単に顔を洗い、髪も衣装も自分の手で整えてきた。
──従者という存在そのものが、彼にとっては恐怖の対象だったからだ。
けれど、ここは王の部屋。
当然ながら従者が控えており、カイゼルの身支度をテキパキと整えている。
その光景を見ているだけで、ノアリスの胸はぎゅっと縮こまった。
「ノアリス」
振り返ったカイゼルが、穏やかに声をかける。
「もし嫌でなかったら……朝の支度を、彼らに任せてみないか」
「!」
驚きで目を瞬くノアリスに、カイゼルは柔らかく微笑んだ。
「大丈夫だ。俺が傍にいる。誰にも、何もさせない。そなたに触れるのは……俺が信頼する者だけだ」
その言葉は、不思議なほど真っ直ぐ胸に届いた。
嘘などひとつもない。
揺れる心を無視して、ノアリスは小さく頷いた。
「ありがとう。怖くなったら、すぐに教えてくれ。俺の名前を呼ぶだけでいい」
「……でも、咄嗟に呼んでしまったら、どうしよう……」
「なら、別の合図を決めようか。何かいい案はあるか?」
「え、っと……」
ノアリスは少し考えて、不安げに提案した。
「お、おしまい、は?」
「『おしまい』?」
「ぁ……だめ、でしょうか」
「いや……それでいいさ。可愛らしい言葉だと思ってな」
「か……っ、そ、そうでしょうか」
「ああ。ノアリスらしい」
ふっと笑みを零した彼に、ノアリスは少し恥ずかしく思えた。
けれど合図はそれで決まり、ノアリスはふーっと気合を入れる。
「がんばります……!」
「無理はしなくていいからな」
「はい……でも、がんばります」
小さく拳を握るノアリスに、カイゼルは目を細めて微笑んだ。
その微笑みだけで、胸の奥の不安が少しずつ溶けていく気がした。
◇
カイゼルは侍従長であり、自身の身の回りの世話を任せているコンラッドを呼んだ。
彼は先王からも厚い信頼を得ていた優秀な人物である。
「彼はコンラッドだ」
「コンラッドと申します」
深く礼をする彼の前で、ノアリスは緊張から表情を固くして立っていた。
手をキュッと握り、透き通るような瞳が揺れている。
「今日は私がお支度のお手伝いをさせていただきます。少しでも嫌だと思われましたら、遠慮なく仰ってくださいね」
「ぁ……っ、は、い……。ノアリス、です。よろしくお願いします……」
ノアリスもぎこちなく礼をすると、コンラッドは眉を八の字にして微笑んだ。
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