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第67話

 ノアリスの部屋の前に立ったカイゼルは、しばし拳を握り締めたまま動けずにいた。  何度も言葉を整えては、結局声に出せない。  重苦しい沈黙の中で、ただ扉を見つめて立ち尽くす。  その時だった。 「ワンっ!」  甲高い鳴き声が中から響き、すぐに扉をカリカリと引っ掻く音が続く。  思わず苦笑が漏れる。  ──ロルフに気づかれたか。  ならば、もう迷っているわけにもいかない。  カイゼルは息を吐き、ようやく拳を下ろして扉をノックした。 「は、はい……」  おそるおそる返ってきた声に、カイゼルは低く名を告げる。 「ノアリス、俺だ。カイゼルだ」 「カイゼル様……!」  安堵とも驚きともつかぬ響きが返ってきて、扉を開ける。  そこには、ソファから慌てて立ち上がり、半端な姿勢のまま固まっているノアリスの姿があった。 「か、カイゼル様……何か……?」 「ああ、少し話がある」 「お話……? ……何か、あったのですか……?」  透き通るような蒼い瞳に怯えの影が走る。  カイゼルはほんの一瞬だけ迷いを飲み込み、静かに歩みを進めた。 「聞きたくないことだと思うが……どうか聞いてほしい」 「……はい」  彼の正面に腰を下ろすと、ノアリスは膝の上に手を置いたまま、俯いて小さく震えていた。 「戦が、始まるかもしれない」 「え……」  見る間に顔色が失われる。  喉を詰まらせるように息を乱し、胸元を押さえて必死に呼吸を整えようとする。 「ノアリス!」  慌てて隣に移動し背を支え、その細い肩を包むように撫でた。 「大丈夫だ。俺はそなたに何一つ酷いことはしない。誰にもさせない。痛いことも、苦しいこともない」 「っ、ふ……」 「俺は……本当は戦場に出るつもりだった。だが……もし俺に何かがあれば、そなたがフェルカリアに連れ戻されるかもしれない。そんなことは絶対にさせない。だから出ないことに決めた。俺はここにいる。ずっと、そばにいる」  震える身体。  その奥に過去の記憶が潜んでいるのだろう。痛みに縛られたように、彼は言葉もなく息を詰めていた。 「ノアリス、俺を見ろ」 「ぁ……か、カイゼル様……っ」 「大丈夫だ。嫌がるそなたに触れようとするやつは、俺がすべて排除する。……だから、俺を信じて、ゆっくり息を吸うんだ」  コクコクと頷いたノアリスは、目を閉じてゆっくりと深呼吸を繰り返す。  そうして荒い吐息が小さくなり、怯えで曇っていた蒼い瞳が、ゆっくりと彼を映した。 「……カイゼル様」 「ああ」  その視線を正面から受け止め、カイゼルは力強く頷いた。 「たとえ戦が始まろうとも、そなたを巻き込ませはしない」 「……ほんとう、ですか」 「誓う。俺の命にかけて」  かすかな安堵がノアリスの顔に浮かんだ。  それはまだ脆く頼りないものではあるが、しかし先程よりは随分顔色もマシになった。

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