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第74話
思わず口元をほころばせたカイゼルは、真っ赤に染まった可愛らしいその顔に目を奪われていた。
こんなにも、愛らしい存在があるのか。
ちらりと向けられた視線。目が合った途端、ノアリスは慌てて逸らす。
「……可愛い」
「っ……お、おやめください……」
「好きだ」
「……もう、恥ずかしいです……」
段々と小さくなっていく声。
その手をそっと取って、指先を撫でる。愛しい人を前に、ただ夢中でいられるひとときだった。
――はずなのに。
不意に扉を叩く音が響き、空気が破られる。
「ノアリス様、失礼します」
イリエントの落ち着いた声が差し込んだ。
直後、短い舌打ちが響き、ノアリスはびくりと肩を揺らす。
目の前の彼は明らかに不機嫌そうに顔をしかめ、渋々といった様子で「……入れ」と吐き捨てた。
重々しく扉が開かれる。
イリエントが姿を見せた。
「――ああ陛下、やはりここに居ましたね。ブラッドリーが帰還しましたよ」
「知っている」
カイゼルが短く答えると、彼は少し眉を上げた。
「あら、ご存じでしたか。……それは失礼」
軽く肩をすくめたかと思うと、彼はちらりとノアリスに視線を移す。
「ところで――ノアリス様。お顔がずいぶん真っ赤ですが……医者を呼びましょうか?」
からかいを含んだ声音に、ノアリスは「っ……!」と慌てて両手で顔を隠そうとする。
しかしその前に、カイゼルが腕を伸ばし、自分の肩へと彼の頭をぐいと押し付けた。
「必要ない。出ていけ」
「はいはい」
イリエントは呆れたようにため息を洩らす。
「少し休憩されたら、ちゃんと政務に戻ってきてくださいよ」
半ば皮肉めいた声音を残して、彼は扉を閉めた。
部屋には再び静寂が落ちる。
カイゼルはノアリスの髪に指を滑らせながら、意地の悪い笑みを浮かべた。
「……もう誰も見ていない」
「っ、お、お忙しいのでしょう……? そろそろ、お戻りに……。ここまで、運んでくださって、ありがとうございます」
「いいんだ。俺がこうしたかった」
チュッと額に唇が触れる。
ノアリスの胸の中にあたたかいものがポポポッと芽生えたのだった。
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