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第79話

 ──しかし、カイゼルは夕食の席にも現れることがなかった。  ノアリスは一人で食事を取ったあと、ロルフと共に部屋に戻ろうとし、廊下を通った久しぶりのイリエントの姿に「ぁ、」と小さく声を出した。  それに気がついたイリエントが足を止めて、ノアリスを見る。  あとから聞いた話だが、この時イリエントは、まるで迷子の子供と犬を見つけたような気持ちだったという。 「ノアリス様」 「ぁ……イリエント……あの……お元気、ですか」 「ええ、とても元気ですよ。お心遣いありがとうございます。ノアリス様は……少し、お顔のお色がよろしくないように見えますが……」  その言葉に、ノアリスは堪えきれずにくしゃりと表情を歪めた。  ようやく声を掛けてくれる人がいた。  優しい声が耳に届いただけで、胸の奥に溜まっていた寂しさが一気に溢れそうになる。 「……カイゼル様が、忙しいみたいで……」 「ええ。軍議が続いておられるようです」 「そう、ですか……」  ノアリスの視線がゆるやかに床へと落ちた。  ロルフがその足もとに鼻先を寄せて鳴く。  イリエントはそっとその頭を撫で、静かに言った。 「心配ですね。……でも、あの方はきっと、ノアリス様に心配をかけたくないのですよ」 「……そうですよね」 「ですが……そろそろ、休んでいただかないと……」 「?」 「いいえ。こちらの話です」  ニコッと微笑んだイリエントは、ノアリスに「お部屋までお送りします」と言って、一緒に廊下を歩く。 「イリエントも、お忙しいのでしょう……?」 「陛下よりはマシですよ」 「食事はとれていますか……?」 「ええ。……ありがとうございます、ノアリス様」 「えっ、な、何がでしょうか……」 「貴方様のお優しさに、我々は助かっているのです」  穏やかに返された言葉に、ノアリスは目を見張った。  何も出来ない、何もしていない自分に、そんなことを言ってもらえるだなんて思っていなかったから。 「ノアリス様……どうか、そのままでいてくださいね」 「……?」 「陛下も、きっとその優しさに救われていますから」  イリエントの笑みはいつもより少しだけ寂しげで、その意味をノアリスはまだ知らなかった。  廊下の先、窓の外には月が昇り始めている。  白い光が床を淡く照らし、二人の影を長く伸ばしていた。  部屋の前で軽く頭を下げたイリエントが「おやすみなさいませ」と告げる。  ノアリスは「おやすみなさい」と返事をし、ロルフと一緒に扉の向こうに戻った。  暫く部屋でゆっくりとすごした後、寝支度を整え、ベッドに上がればロルフが足もとで丸くなる。  静かな夜。  けれど、なぜだか胸の奥がざわついて、眠りに落ちることができなかった。

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