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第81話
目の下に濃いクマがある。
顔色が少し青白い。
ノアリスは眠るカイゼルにそっと手を伸ばし、その頬に触れた。
イリエントは静かに席を外し、二人だけの空間になる。
「カイゼル様……」
声が震えてしまう。
こんなにも自分以外のことで不安に心を揺さぶられるのは初めてだ。
優しく頬を撫で、そのまま自分よりも大きな手に触れる。
ふんわりと握った手。親指で手の甲を撫でた。
「ん……」
「!」
小さな吐息と共にカイゼルの目が開かれる。
エメラルドグリーンの瞳が、ゆっくりと動いて、ふと目が合った。
「カイゼル様」
「ノアリス……。久しい気が、するな」
「っ、お加減は、いかがですか……? 倒れられたと聞きました」
「ああ、そうか……。それなら、大事ない。いつもの事だ」
「いつものだなんて……、そんなの、いけません……」
思わず口をついて出た声に、ノアリスははっとして唇を噛んだ。
けれどカイゼルは、目を細めて穏やかに微笑んでいる。
「いけないか。……はは、そう言われるのは本当に久しぶりだな」
「……すみません。差し出がましく……」
「いいや、構わない。むしろ温かい気持ちになる」
繋いでいた手をキュッと握られ、ドキっと胸を高鳴らせる。
「昨日はすまなかった」
「え……?」
「食事をしようと約束していたのに」
「ぁ、い、いいえ。そんな……私のことは、お気になさらず。ですが……今日からは、しっかりとお食事をなさってください……」
ふいに強い力で腕を引かれた。
あっ、と思うよりも先にカイゼルの胸に被さるように倒れたノアリスは、突然近くなった距離に顔を赤くする。
「ああ。食事はする」
「は、はい……あ、の……この、体勢、は」
「……落ち着く」
目を閉じて深く呼吸をするカイゼルに、ノアリスはどうすればいいのかわからず困惑したまま、しかしそっとカイゼルの胸に耳を当てて、その鼓動を聞いた。
「ノアリス」
「っ! は、い」
「今日から、共に眠ってはくれないか」
「えっ……? で、ですが……わたし……」
驚きで言葉が途切れる。
カイゼルは目を閉じたまま、微笑を浮かべた。
「傍にいてほしい。そなたの声を聞いていると、不思議とよく眠れる気がする」
「……そんな、こと……」
「あるんだ。そなたの声も、温もりも、どれも穏やかで……戦のことも、忘れられる」
その言葉に、ノアリスの胸がじんわりと熱くなる。
トクトクと聞こえる命の音が心地良い。
「カイゼル様は……」
「うん?」
「……カイゼル様は、いつも戦っていらっしゃいます」
「そうか?」
「はい。それなのに私は……ただ、一人、何も無い日常を過ごしていることが、不安で……申し訳なくも、思うのです」
その心地良さが、ノアリスを饒舌にさせていく。
「だからこそ、戦っていらっしゃる貴方様に、求めていただけるのなら……、私はずっと、貴方様の傍に居ます」
静かに顔を上げて、美しい瞳を見つめる。
お互いの息が触れ合うほど、その距離は近かった。
「私も、共に、戦いたい」
「っ、」
カイゼルのその瞳が、わずかに揺れる。
「剣は持てませんし、頭だって……良くないけれど、貴方様がよく眠れるように……安らげる場所を、私が作ります」
暫くの沈黙が流れると、カイゼルは小さく息を吐き、微笑んだ。
そして、まるで確かめるように、ノアリスの髪を優しく梳いた。
「ありがとう」
「ぁ……」
近かった顔が、さらに近づく。
きゅっと目を閉じると、唇に触れた温もりに顔が熱くなった。
カイゼルはそうして再び穏やかな眠りについた。
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