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第84話
綺麗に編み込まれた髪に見入っていたノアリスは、鏡の前からなかなか動こうとしなかった。
よほど嬉しいのだろう。頬はほのかに赤く、表情もどこか浮き立っている。
「ノアリス、そろそろ食事に──」
「ぁ……す、すみません……」
呼びかけると、はっと我に返ったように駆け寄ってくる。
その慌てぶりさえ可愛らしく、カイゼルはふっと目元を緩めた。
「髪、綺麗だな」
「! ありがとうございます……」
そっと頬に触れ、顔を上げさせる。
素直で、不思議そうな目で見上げるノアリスは、カイゼルが近づくのに気づくやいなや、ハッと目を閉じた。
唇が触れ合う。
角度を変えて、もう一度、そしてもう一度。
跳ねるように脈打つノアリスの心臓が手越しに伝わり、震える指先がカイゼルの服をきゅっと掴む。
「……怖いか?」
唇を離し、低く問いかける。
ノアリスは耳まで赤く染めて、小さく首を振った。
「い、いえ……怖くは、ありません……。ただ、慣れていなくて……」
「なら、慣れるまでしてみるか」
悪戯めいた笑みを向けられ、ノアリスは恥ずかしさに俯いて服を握りしめる。
その仕草が愛おしくて、カイゼルはもう一度そっと口づけた。
「冗談だ。からかってすまなかった」
「っ、あやまる、ような、ことでは……」
「……ノアリス、手を」
「ぁ……」
差し出された手をとると、カイゼルは「行こう」と穏やかに言い、ノアリスを連れて部屋を出た。
食堂へ向かう途中、廊下の先にイリエントの姿が見えた。
「イリエント」
「おや、陛下。お目覚めになったのですね」
「すまなかったな」
「本当ですよ。戦となれば食事も睡眠も疎かにして……挙句に倒れるのですから。もう少し、ご自身を大事にしていただきたいものです」
ふん、と腕を組んで小言を言うイリエントに、ノアリスはヒヤヒヤしたが、彼は軍議の場以外ではだいたいこんな調子なので、カイゼルも気にした様子はない。
「悪かったよ」
「……はぁ。その様子なら、多少はお休みになれたようですね」
「ああ。ノアリスのおかげだ」
「わ……っ!」
繋いでいた手を軽く引かれ、ノアリスはバランスを崩してカイゼルの胸にポスンとぶつかってしまう。
カイゼルはそのままそっと抱き寄せた。
ノアリスはアワアワと慌てふためくばかりだ。
「おやめください。人前ですよ。ノアリス様が困惑されています」
呆れ声に、カイゼルは知らぬ顔でノアリスの肩を支えたままだった。
「今からお食事ですか?」
「ああ。朝食には少し遅いが……」
「では、それを召し上がられたら、今日は一日お休み下さい。陛下が体調を崩しては元も子もありませんし、我々もそろそろ眠らないと倒れます。効率も悪くなりますよ」
イリエントの目の下にも薄いクマが浮かんでいる。
それに気づいたカイゼルは、静かに頷いた。
「……わかった。今日は皆、休むように」
「ありがとうございます」
イリエントはわずかに目元を和らげ、『それでは』と一礼し颯爽と姿を消した。
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