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第85話
食堂で椅子に腰を下ろすと、ほどなくして次々と料理が並べられていった。
ノアリスは湯気の立つ皿をちらりと見やり、それから隣のカイゼルへ視線を移す。
どこか落ち着かない気配がある。
皆に休むよう命じたばかりだが、自分自身は休むつもりなど本当はなかったのだろう。
その気持ちの揺れが、表情の端に滲んでいた。
「……カイゼル様」
「ん? ああ、なんだ」
「……召し上がらないのですか……?」
「食べるさ。ただ……どうしても気になってしまってな」
戦い続ける者の癖のようなものなのだろうか。
体が限界だというのに、気を張り続けてしまう。
倒れて初めて止まる――そんな生き方をしてきた人だ。
ノアリスはそっと息を吸い、小さく唇を開いた。
「……カイゼル様。あの、ひとつだけ……申しても、よろしいでしょうか……?」
「? もちろんだ。ひとつと言わず、いくつでも」
ふっと目を閉じて、ふたたびゆっくりと開ける。
「では……。僭越ながら、あまり……ご無理をなさらないで、ほしいのです」
「ぇ……」
「貴方様が、倒れてしまっては……皆困ります。私も、報告を聞いた時、とても怖かったのです……」
「……」
大きな怪我をしたのではないかと不安で堪らなかった。
二度と産みたくないと思っている卵に頼らなければならないのかと考えたほどに。
「ですから……どうか、お休みの時は政務から離れて──」
「ノアリス」
「っ!」
名前を呼ぶ声は、いつもよりわずかに低く、体の奥に響くようだった。
ノアリスはびくりと肩を震わせ、膝の上で組んだ手をぎゅっと握る。
俯いたまま固まる彼を、カイゼルはしばし黙って見つめた。
「……顔を上げてくれ」
ゆっくり視線を上げると、絡んだ瞳から、不安と心配が真っ直ぐに伝わってくる。
カイゼルの胸の奥をそっと揺らすその瞳に、ノアリスは少しだけ息を呑んだ。
「そんなふうに思っていたとは、知らなかった」
「ぁ……」
カイゼルは言葉を選ぶように一度息を整えた。
「心配をかけてすまなかった」
「! お、おやめ、ください……。謝らないで、あの……私が、ただ……っ」
「いいんだ。言ってくれて、嬉しかった」
ノアリスの体からふっと力が抜ける。
そっと温かな手に手を取られ、そのまま包まれる。
「そなたが怖い思いをするくらいなら、心配をかけるような真似はもうしない。今日はしっかりと休むことを、仕事にする」
「! 仕事に……?」
「ああ。そう思わないと申し訳ない気がするから」
「……では、わ、私と、共に過ごして、くださいませんか……?」
ドキドキと心臓がうるさく鳴り、緊張でわずかに汗が滲む。
こうして『共に過ごして』とお願いするのは、初めてのことだ。
カイゼルの目がわずかに見開かれる。
続いて、その目が柔らかく細められ、優しい弧を描いた。
「ああ。共に過ごそう。ロルフも一緒に」
「わ……嬉しい、です」
「はは。……しかし、まずは食事だな」
ノアリスはハッとして目の前の料理に視線を戻す。
そしてほんの少し頬を赤くした。
「そうですね……すみません、恥ずかしいことばかり言って」
「いいや、俺の方こそ。さあ、食べよう」
ようやく料理に手をつけた二人は、穏やかな朝の時間を過ごした。
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