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第86話
食事を終えた二人は、ノアリスの部屋へロルフを迎えに向かった。
扉を開けると、ちょうど眠っていたらしいロルフがぱちりと目を開け、二人の姿に尻尾を勢いよく振りはじめる。
「ごめんね。長い間待たせちゃって……」
ノアリスはしゃがみ込み、柔らかな毛並みにそっと顔を埋めて抱きしめた。
その温もりが嬉しいのか、ロルフは喉を鳴らすように小さく「わふ」と鳴く。
「さあ、ロルフ。一緒に散歩に行くぞ」
「わふっ!」
『散歩』の言葉を完全に理解している賢い子だ。勢いよく立ち上がると、先に扉の方へ駆けていき、振り返っては『早く来て』と言うように尻尾を揺らしている。
「ふふ、可愛い」
「……ああ、本当に」
ノアリスが楽しそうに笑った瞬間、その横顔にカイゼルの胸がどきりと跳ねた。
気付けばカイゼルは自然にノアリスの手を取っていて。
「ぁ……」
「行こう」
「は、はい……」
握られた手に力が入り、ノアリスの頬がふわりと赤く染まる。
今すぐその頬に口づけしてしまいたいほど愛おしくて堪らない。
だが、それをしてしまえばまたノアリスが恥ずかしがって目を合わせてくれなくなるだろう。
カイゼルは胸の奥で高ぶる衝動をそっと押しとどめながら、その手をしっかり握り歩き出した。
扉を押し開けて外に出ると、柔らかな朝日が地面を淡く染めていた。
遠くで小鳥が鳴き、ひんやりした風が草をさらりと揺らす。
ロルフは勢いよく駆け出し、しかしすぐに振り返っては二人を待つように尻尾を振る。
「朝の散歩は……気持ちがいいですね」
ノアリスは小さく息を吸い、頬に触れる清々しい空気に微笑む。
「ああ。……暑くないか?」
「ええ。この時間は涼しいくらいです」
瑞々しい空気が鼻腔を擽る。
カイゼルは久しぶりに胸いっぱいに澄みきった空気を吸い込んだ気がして、体に入っていた余分な力がすっと抜けていくのを感じた。
戦中だというのに、こんな穏やかな時間が訪れるとは思っていなかった。
いつもなら、始まりから終わりまでずっと緊張が途切れなかったはずなのに。
「カイゼル様、ロルフとボール遊びをしても……よろしいですか?」
「ボール遊び? ああ、もちろんだが……」
遠慮なく楽しめばいい――そう言うつもりだったが、ノアリスの表情がどこか困っているように見えて、カイゼルは首を傾げる。
「ぁ……えっと……」
「?」
「あの……て、手を……」
「手? ……あ、すまない!」
手を繋いでいたことを完全に忘れていた。
カイゼルは小さく息を呑み、慌ててノアリスの手を離す。
ノアリスは「申し訳ありません」と言ってから、ロルフに声を掛ける。
ポイッ、と放られたボールはふわりとした軌道で近くの地面に落ちた。
「……失敗です……」
恥ずかしそうに肩を竦めるノアリス。
しかしロルフは嬉しそうに走っていき、尻尾を大きく揺らしてボールを咥える。
カイゼルはその光景を眺めながら、静かに息を吐く。
全てが愛おしくて、守りたい平和だった。
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