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第97話
「……っ」
ノアリスの喉がひくりと震える。
足が、動かない。
行かなければならないと、体が覚えているのに、動き方を忘れてしまったみたいに動けない。
「おいで」
もう一度、柔らかな声が響く。
これに逆らえばどうなるか、ノアリスは知っている。
「……や、」
かすれた声が、零れた。
以前の自分なら信じられなかっただろう。しかし確かに、ノアリスは拒絶をした。
「……い、行けません」
震えながら、そう言った。
その瞬間、空気が凍りつく。
ブラッドリーの目がわずかに見開かれ、ロルフが低く唸り声を強めた。
「……ほう」
ルーヴェンは小さく息を吐き、まるで興味深いものを見るようにノアリスを見据えた。
「……誰に、そう教えられた?」
静かな声だった。だがその奥に滲む苛立ちはひしひしと伝わってくる。
「っ……」
ノアリスの肩がびくりと震える。
「自分で考えた言葉ではあるまい。まさか、ルイゼンの王に寵愛されたことで、お前自身が変われたとでも?」
「ぁ、な、なに、を……」
淡々とした言葉は否定する隙すら与えない。
「お前は変わらない。変わることはできない。ルイゼンに居るからといって、ここで愛されているからといって、役目を忘れることは許さない」
その言葉にノアリスの心はひどく締めつけられた。
「っ……」
息が、うまく吸えない。
頭の奥で、嫌な記憶が蘇る。
冷たい石の床。閉ざされた塔。逃げ場のない日々。あの屈辱と、痛み。
何度消えてしまえたらと願ったかわからない。
「お前が何のために生かされているのか、忘れたわけではあるまい」
一歩、ルーヴェンが近づく。
――ギリ、っとブラッドリーの指が、剣の柄を強く握った。
「それ以上はお控えください」
制止の声が強くなる。
「ここはルイゼン王城内です。陛下の許可なく──」
「黙れ」
冷え切った言葉が遮った。ロルフが今にも噛みつかんと一層強く唸る。
「お前が口を挟むことではない」
その言葉に、ブラッドリーの瞳がわずかに細まる。
「ノアリス、もう一度選ばせてやろう。──こちらに、おいで」
「っ……」
怖い。怖くて、あちらに行けばまた同じことの繰り返しだとわかっているのに、足が無意識のうちに少し動いていた。
行かなければ。逆らってはいけない。
──いや、もう、従わなくていいんだ。
でも……逆らった後の方が、怖い。
「……っ、ぁ……」
一歩、足が前に出る。
体は細かく、激しく震え、立っているのもやっとだ。
冷や汗をかいて、涙が溢れていく。
「ノアリス様」
ふと、ブラッドリーと優しく、それでいてどこが硬い声がスッと耳に届いた。
顔を上げて彼を見ると、嘘の無い微笑みを浮かべている。
「ご安心なさい。私たちがおります」
「ぁ……」
ストン、とその言葉が胸に落ちた。
ノアリスは足を止めて、震える手をキュッと握る。
「行きません……っ」
涙が溢れる。
初めて、兄にハッキリと示した拒絶だった。
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